第2話

 成暦一〇年――一九九八年の「いま」の世界には、まだスマホも、“iモバイルリンク”も存在しない。その代わり、女子高生たちを中心にマイクロセル通信網〈ライトコール〉が爆発的に普及し、ショートメッセージのやり取りのために、ビープメモ端末がなお現役で鳴り続けている。ポケットから聞こえる電子音の列が、この時代の情報速度の上限だった。


 もちろん、“生まれ変わる前”に当たり前のように使っていたLリンクサーチのような、洗練された検索サイトなど影も形もない。インターネット自体はあるが、「ピー、ガー」とノイズを撒き散らすダイヤルアップ接続の、その向こう側にかろうじて広がる未整備の荒野だ。未来の感覚からすれば、ここでまともに現状確認をするというだけで、ひと苦労どころではない。


 それでも、もはや「図書館に通うしかない」時代には戻っていない。子供部屋の机の上で、分厚いブラウン管モニターが重たげに光を放ち、この七月二十五日に発売されたばかりの「WinSphere 98」のロゴを映し出す。まずは「Yahho! J-NEXUS」を立ち上げるところから始めるが、その使い勝手は、前世で知っているネットとはまるで別物だ。厳選サイトをカテゴリで辿るディレクトリサービスが主役で、キーワード検索に失敗すると、旭陽連邦デジタル通信公社(NDC)の「muu検索」へと処理が引き継がれる仕組み。ニュース速報は依然としてテレビが主戦場だが、この原始的なネットと自分の記憶を突き合わせれば、この時期の輪郭くらいは掴めてくる。


 たとえば政治。現在の内閣総理大臣は、七月の参院選で保守統合党が歴史的惨敗を喫した責任を負い、早見辰郎からバトンを引き継いだばかりの小牧恵介。オルビス合衆国の大統領はグレン・クリフォード。画面の中で交わされる名と顔を見ながら、俺は未来の記憶と照らし合わせる。


「二人が“レオ・コウ”などと呼び合うような、蜜月の絆は期待できそうにないな」


 自らを「凡人」と称する小牧首相と、今年は別件のスキャンダルで世界的な悪名を轟かせているクリフォード大統領。その組み合わせから、あの時代特有の強い同盟イメージを引き出すのは無理がある。政治の足場もまた、不安定なままだと分かる。


 そしてもう一つ、この年を象徴する熱狂がある。オセアニカ連邦発のモフベアブームに代わり、いま子どもたちの心を独占し、社会現象と呼ばれている存在――旭陽連邦が生み出したモンスターコンテンツ、「コレクタブルモンスターズ」。ちょうど七月には『劇場版コレクタブルモンスターズ オメガドラグの覚醒』が公開され、街頭ビジョンも玩具売り場も、その名を叫び続けている。この熱狂の渦もまた、俺がこれから組み替えようとしている未来の、一つの鍵になるはずだった。


 スタジオアルシアの『風導の谷のエリシア』が象徴していた幻想の時代に代わり、この一九九八年夏のスクリーンを支配しているのは、七月公開の『劇場版コレクタブルモンスターズ オメガドラグの覚醒』だった。これは単なる人気作ではない。旭陽連邦発のキャラクター文化が、“コレクタブルモンスターズ”という看板で世界を呑み込んでいく、その序章にほかならない。劇場を出る子どもたちの瞳に映る光は、この国の「未来はまだある」と信じたがっている無数の願望そのものに見えた。


 一方で、かつて“危毒注意”の「ガリナ・東条連続脅迫事件」のような派手な劇場型犯罪がニュースを独占していた枠には、もっと陰湿で、もっとこの時代らしい闇が入り込んでいた。マイクロセル通信網の普及に伴い、女子中高生による“契約型交遊”が連日ワイドショーを賑わせ、予告もなく若者が暴発する「瞬間爆発」という不可解な行動様式が、流行語トレンドアワードのトップテンに食い込むほど一般化している。巨大なモンスターが画面の向こうで躍るのと同じ時間帯に、現実の街角では、小さな亀裂が静かに増えていた。


「片や世界的なコレクタブルモンスターズ旋風、片や契約型交遊と“瞬間爆発”若者か。光と影が極端すぎる」


 思わず口にした感想は、自分が知る「元の歴史」と、この世界の微妙なズレを確かめる作業でもあった。事件名も作品名も、どこか少しずつ変えられている。それは単なる言い換えではなく、「ここは似て非なる世界だ」と耳元で囁くマーキングだ。名前の差異が、俺の違和感を確信へと押し上げていく。


 さらにテレビ欄を追えば、それは一層はっきりする。長年視聴率の柱だった「金森駿作」系の時代劇は明らかに勢いを失い、代わって学園ドラマが黄金枠を席巻していた。中でも、柊真也主演の『GTV』(グレート・ティーチャー・クジョウ)は、問題児クラスと元暴走族教師という図式で、いじめや不登校に蝕まれた教室を叩き起こす物語として、社会現象級のヒットを記録している。崩壊した現実に手が届かない視聴者は、せめて画面の中でだけでも「誰かがぶち壊し、やり直してくれる」姿を求めているのだ。


 ――世界は娯楽のなかで救済を夢見ている。その一方で、現実の歪みは確実に積み上がっている。俺が介入できる余地もまた、その矛盾の狭間に口を開けていた。


「やっぱり、マンネリじゃ飽きられるよな。さすがに。『GTV』の九条剛志ほどのインパクトは、もうないか」


 テレビ画面の向こうで学園ドラマが量産される一方で、野球の世界もまた別の“新しさ”を演じていた。東都アリーナは「スカイクレストドーム」に生まれ変わり、かつての「広島フレアーズ黄金期」どころの騒ぎではない。今年は横浜オーシャンスターズが三十八年ぶりに旭陽リーグを制覇し、連日スポーツニュースは青と白の祝祭で塗りつぶされている。


「オーシャンスターズの奇跡、ね。クローザー砂原、“湾岸の黒き守護神”か。流行語トップテン入りも当然だな」


 そう評しながらも、俺の心は少し冷めていた。強さも英雄譚も、結局は資金と運の上に立つ砂上の城かもしれない。この熱狂がいつまで続くのか、球団の財布とスポンサーの気まぐれ次第だと知ってしまっている分、純粋に酔いきれない。


 景気の空気も、それに拍車をかける。新紙幣発行のような明るい話題はどこにもなく、福澤諭吉の一万円札は「当たり前」に存在しているはずなのに、その諭吉が手元に回ってこない。「旭陽列島大停滞」「信用絞り」といった言葉が流行語大賞の候補に並ぶほど、街全体が冷えているのが分かる。


「廣澤弘文の一万円札なんて、もう教科書の写真だもんな」


 自嘲まじりにそう呟き、小遣い帳をめくる。一月一万円――この不況下では、むしろ恵まれている額かもしれない。だが、それがいつまで続くのかを考えると、紙の数字が急に心許なく見える。


 そんな中で、「週刊少年ブレイク」は全盛期、いや“第二の全盛期”を謳歌していた。『ドラゴンオーブ』も『北辰の拳』も幕を閉じたが、その後釜として『ONE QUEST』や『SEEKER×SEEKER』が看板に躍り出ている。『コマンドウィング』の成功で一気にメジャー化したサッカーは、ついに今年、ワールドカップ・ガリア大会への初出場を果たした。


「ブレイクを買って、みんなで回し読みする文化は変わらないな」


 ページをめくる指先に、昔の自分と同じ習慣が残っている。その結果として、俺はいまも変わらずサッカー部所属だ。旭陽連邦中が初出場に沸き返ったあの夏。結果は三戦全敗。それでも、テレビの向こう側で歌われる代表戦の熱狂に、自分が届かないことだけは痛いほど理解していた。


「部活、続けたところで、あのフィールドには立てないよな」


 残念ながら、レギュラーを奪えるほど運動神経が突出しているわけではない。それは前の人生でも、今のこの体でも変わっていない現実だ。だからこそ、ふと胸に引っかかる。


「……生まれ変わったんだし、なにか前より優れた能力とか、知識とか、もらってるはずだよな? 部活に顔出して、試してみるべきか」


 そう考えつつ、机の上に放り出された写真週刊誌に視線が滑る。陽春社の『瞬映フライデー』、新波社の『直撃ショット』。パパラッチ的報道はさらに先鋭化し、標的を求めて世界中を嗅ぎ回っている。今もっとも格好の餌食となっているのは、間違いなくオルビス合衆国のクリフォード大統領だ。


 ――英雄も、政治家も、モンスター級コンテンツも、誰もが覗き込まれ、消費される時代。その渦中で、俺は二度目の人生をどう使うのか。問いだけが、じわりと大きくなっていった。


「雑誌報道の下品さは、この時代もぶれないな。今はオルビス合衆国のクリフォード大統領のスキャンダルで、世界中が嬉々として騒いでいる」


 そう呟きながら、ふと別の光景が脳裏をかすめる。旭陽中央市街圏で地価が年一〇〜二〇%も跳ね上がり、「地価膨張期の始まりだ」と浮かれていた頃――あれはすでに十年以上も前の、遠い過去だ。今は“停滞の黄昏期”、すなわち「旭陽列島大停滞」のただ中にいる。土地はもはや「必ず上がる」資産ではなく、永騰地価信仰は跡形もなく崩れ去った。


 民間企業への就職が公務員より圧倒的に人気で、「フリーター」が気楽な生き方としてもてはやされた時代も終わった。今は「新卒極寒期」と呼ばれる深刻な不況で、企業は「構造整理」という名の選別を次々と敢行している。かつて「能力がない人間の行き先」と揶揄された公務員が、倒産リスクのない数少ない「勝ち組」として羨望の的になる――そんな価値観の反転が、当たり前の現実だ。


 そして、「大手の銀行や証券会社は潰れない」という神話が、もっとも残酷な悪夢へ変質した時代でもある。昨年の津守第一証券と北辰殖産銀行に続き、この十月には、エリートの象徴とされた東都長期信託銀行までもが経営破綻し、一時国有化が決定した。ニュースキャスターが読み上げるたび、画面の隅で、古い神話が一行ずつ抹消されていく。


 俺の家は千潮県湊橋市。父親は銀行マンだ。よりによって、いま世間から「貸し渋り」の元凶だと非難され、「倫理崩壊リスク」の象徴として冷たい視線を浴び、いつ「構造整理」の対象になるか分からない、その“銀行マン”。母は元銀行事務員で、今は専業主婦。四十代の父の年収は(まだ)一千万円を超えており、表向きの我が家は十分に恵まれている。一軒家、個室、個人用テレビ。そして何より、この七月に発売されたばかりの WinSphere 98 を搭載したパソコンが、部屋の隅で静かに存在感を放っている。


「本棚には漫画も新書も文庫もある。……それにパソコン雑誌やインターネット入門書も。雑食っぷりは、やっぱり変わらないか」


 ページの背表紙を眺めながら苦笑する。この世界の俺も、情報という名の餌なら何でも口に入れてきたらしい。その視線が、今度は学校と同世代の空気へと滑っていく。


 この時期の中学校には、一九八〇年代のように「窓ガラスが割られる」分かりやすい校内暴力はほとんど残っていない。その代わり、いじめや不登校といった見えにくい傷が深まり、さらに、「若者が前触れなく暴発する」と報じられる“瞬間爆発”が社会問題として取り沙汰されている。暴走族が道路を埋め尽くすよりも、紫谷セントラル通りで地面に座り込み、「グラウンドシッターズ」と呼ばれる“シャドータン”スタイルのストリートガールズたちが無言でたむろする光景のほうが、よほどこの時代の象徴だ。


 バブルの残り香と長期不況、壊れた神話と行き場のない若者。二度目の人生を与えられた俺は、そのすべての断層の上に立っている。さて、この歪んだ地図のどこから書き換えていくべきか。


「うちは、まだマシなほうか。教室に“瞬間爆発”しそうなやつがいないとは言い切れないけどな」


 そんなことを考えながら、視線は自然と社会全体へと滑っていく。かつて八〇年代には、民間企業の給料がうなぎ登りになり、「公務員なんて能力のない人間がなるものだ」と笑われていた時期があった。


 だが、今はまるで逆だ。津守第一証券や北辰殖産銀行の破綻、貸し渋りの蔓延、総不況。そして、エリートの象徴だった東都長期信託銀行ですら国有化される「旭陽列島大停滞」の真っ只中。街頭インタビューで流れるのは、失業と整理の話ばかりだ。


 「構造整理」という名の首切りに怯える民間企業を尻目に、「潰れない」ことだけは約束されている公務員が、再び脚光を浴びている。新卒極寒期を生き延びるための、ほとんど唯一の安定ルート。いつの間にか、“唯一の勝ち組”とまで呼ばれる存在になっていた。


「うーん。今から死ぬ気で勉強してキャリア官僚になっても、この資産膨張崩落後の大不況を救える気はしないな。長銀破綻の尻拭い役に回る未来が見えるだけだ」


 そこまで考えて、思考は自然と四十年後に飛ぶ。少子高齢化が臨界を迎える二〇四〇年代。あの地獄を回避するには、いま何を変えるべきなのか。


「結局、“男女平等だから女性も男と同じように働け”だけじゃ駄目なんだよな」


 一見、能力ある女性が社会で活躍できる環境を整えるのは、正しいことにしか思えない。だが現実には、「男と同じだけ働けるなら認めてやる」「平等なんだから生理でも簡単に休むな」「育児でブランクがあるなら出世が遅れるのは当然」といった“男側の論理”が平然と主流に居座る。その圧力の中で働きながら、結婚は遅れ、出産は減り、子どもを産み育てること自体がリスクとして扱われていく。


 本当に必要なのは、「働きやすさ」だけではない。子どもを産み育てても生活が破綻しない制度、保育や教育を安心して任せられる仕組み、キャリアと出産を天秤にかけさせない設計だ。そこまで整えなければ、口先だけの平等は、むしろ少子化を加速させる毒になる。


「主要上場企業=銀行が平然と潰れ、キャリア官僚がその後始末に追われる。そんな“旧システム”に乗るより、自分で起業したほうがまだマシかもしれないな」


 思考が、ようやく自分自身へ戻ってくる。これから確実に伸びる分野。前の人生の記憶が、その答えをはっきり告げていた――コンピューターとインターネットだ。


 一九八四年当時は、ただの曖昧な憧れだった。それが今、一九九八年には形を持ち始めている。iSphere G3 や Vireo が発売され、家庭用PCが本格的に普及しつつある。WinSphere 98 が動き、ダイヤルアップ接続の先には「Yahho! J-NEXUS」のようなポータルサイトが顔を出している。


「ゲームも GameSphere が覇権を握って、『コレクタブルモンスターズ』 は世界的ブーム。“コレモンカード”も大流行。……陣天堂だって元は花札屋だ」


 コンテンツとIT。そこには、銀行員の父が今まさに巻き込まれている旧来システム崩壊とも、ある程度距離を置いて勝負できる余地がある。正面から殴り合うのではなく、土台そのものをすり替える戦場だ。


 とはいえ、どんな戦場を選ぶにしても、最初の一手には地位とコネと資金が要る。スタートアップの燃料は、理想論だけでは賄えない。


「まずは、高校。それから、できるだけ上の大学に行く。それが、この二度目の人生の最初の条件だな」


 そう心の中で区切りをつけると、子供部屋の WinSphere 98 の起動画面が、さっきよりも少しだけ現実味を帯びて見えた。


「やっぱり、真面目に勉強して、いい高校といい大学には行っておかないとな」


 そう口にしてみて、あらためて痛感する。旭陽連邦は徹底した学歴偏重社会だ。履歴書の出身校の一行で、人間の評価の大半が決まる。この一九九八年になっても、そのルール自体は変わっていない。


 けれど、その意味は一九八四年とは決定的に違う。あの頃は、「良い大学に入れば、良い会社に入り、生涯安泰」という単純な方程式が、少なくとも表向きにはまだ機能していた。


 今は違う。津守第一証券も、東都長期信託銀行も、かつて“選ばれた側”の象徴だった名だ。それらですらあっさりと崩れ去る「旭陽列島大停滞」のただ中で、その方程式は音を立てて壊れた。


 皮肉なのは、その崩壊が学歴の価値をむしろ高めていることだ。深刻な「新卒極寒期」、企業が絞りに絞った採用枠に群がる学生たちを、「エントリーシート」という紙切れ一枚、そこに記された大学名だけで足切りする。かつて“良い学歴”は、安泰を約束する黄金の保証手形だった。今のそれは、不況の嵐の中でようやくスタートラインに立つことを許されるかどうか、その最低限の“入場券”に過ぎない。だからこそ、俺はその一枚を取りに行かなければならない。二度目の人生を、本気で使うつもりなら。

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