第32話 #夏祭りの二人と秘密の灯

 夏祭りの夜は、空気そのものがざらついている。

 屋台の煙、焼きそばのソース、金魚すくいのビニールの匂い、そして人いきれ。

 星と提灯の明かりがごちゃ混ぜになって、街を別世界にしていた。


 集合は神社の石段下。

 俺は五分前に着いて、すでに汗だくになっていた。

 浴衣ってやつ、見た目は涼しげだが、実際は蒸し器だ。誰だ考案したの。


「お待たせしました、蒼汰くん」


 振り向く。

 思考が一瞬、停止した。


 ……浴衣のひよりが、そこにいた。

 薄い藍色に朝顔の模様。帯は白。髪はいつもの肩先でふわりとまとめて、涼しげな小さな髪飾り。

 祭りの光が、やさしく輪郭を縁取っている。


「……似合ってる」

「ありがとうございます。蒼汰くんも、甚平、すてきです」

「いや、これ、通気性が悪くて……」

「“がんばってる蒼汰くん”という感じで、すてきです」

「褒められてる気が、たぶんする」


 ひよりが小さく笑う。

 それだけで、屋台の喧騒が一段下がる感じがした。


「じゃ、行くか」

「はい。今日は“秘密の灯”を探す日です」

「唐突なテーマ設定やめろ」

「先生の課題です。“人の集まる場で誤解が生まれる構造を観察し、レポートせよ”。夏祭りは最適です」

「やっぱり桜井先生が黒幕だった」


 俺たちは人波に混じって歩き出した。


 焼きもろこしに並び、たこ焼きの列を横目にかわし、型抜きの屋台で惨敗。

 射的で俺が妙に当ててしまい、店主に無言で難易度を上げられたのは納得いかない。


「蒼汰くん、あの、りんご飴……半分こ、しませんか」

「お前、“半分こ”の使い方、よく迷子になるよな」

「では、四分の一こ、です」

「数学に寄せるな」


 結局、りんご飴は“俺三分の二・ひより三分の一”で落ち着いた。

 口の端に飴の赤が残っていて、ひよりが慌ててハンカチで拭う。

 丁寧なのに、どこか可笑しい。


「人、多いな」

「はい。見られている気がします」

「そりゃ……」


 そう言いかけて、俺は視界の端に見慣れたスマホの構えを見つけた。

 校内ウォッチの面々、夏でも活動は平常運転らしい。

 そして、予想通り――通知が震える。


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StarChat #夏祭りの二人と秘密の灯

【校内ウォッチ】

「真嶋&ひより、浴衣で来場確認!」

コメント:

・「#尊い浴衣連番」

・「#金魚よりきらきら」

・「#甚平のツンデレ」

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「……甚平のツンデレ、やめろ」

「でも、合ってます」

「自覚はない」


 ひよりが提灯の列を見上げる。

 赤い丸が連なって、まるで空に浮かぶ点線みたいだった。


「蒼汰くん。秘密の灯、見つかりそうです」

「どれのこと言ってる?」

「まだ、ないしょです」


 いつもより少しだけ茶目っ気のある声。

 夏のせいだと、思うことにする。


 神社の境内はさらに人が多かった。

 拝殿の前の鈴の音が絶えない。

 俺たちは屋台の間を縫うように歩く。


「わっ――」


 ふいに、横から押し寄せた波に、ひよりの身体がよろめいた。

 咄嗟に手を伸ばす。

 指先が、彼女の手をつかむ。

 浴衣の袖からのぞいた手首が、驚くほど細い。


「ごめん、危なかった」

「いえ……ありがとうございます」


 手は、離さない方がいい気がした。

 理由は一応“人混み対策”。建前、完璧。

 でも、心臓の鼓動は、建前と逆方向に大騒ぎ。


「蒼汰くん」

「ん」

「手――あたたかいです」

「お前が冷えてるだけだ」

「どちらにしても、助かります」


 そのまま歩いた。

 提灯の光が、繋いだ手のところだけやけに明るい。

 “秘密の灯”は、たぶん今ここにある。


 射的エリアの奥で、見覚えのある後頭部を見つける。

 悪友は季節を問わず、悪友だ。


「悠真、お前ここでバイトすんな」

「うお、真嶋。二人とも浴衣とか、イベント攻略に本気~?」

「攻略って言うな」

「お嬢さん、金魚すくいはどう? 今なら二匹保証」

「金魚に保証って概念あるのかよ」

「商売とは誤解の上に成り立つものだ」

「先生の影響受けすぎ」


 ひよりが笑って首を振る。

「今は、金魚より灯りを探しているので」

「灯り?」

「はい。秘密の灯、です」

「……ひより、ヒロイン台詞が板についてきたな」

「まだ練習中です」


 練習でこれか。完成形が怖い。


 砂利の参道を抜けると、境内の隅に小さな屋台があった。

 ラムネ、風鈴、そして、紙袋に入った“ろうそく”。

 神社の奥で、景色を灯すための“献灯体験”らしい。


「これ、やってみませんか」

「火、扱えるか?」

「注意事項をよく読めば大丈夫です」


 受付の巫女さんに指導されて、ろうそくに火を移す。

 小さく、心臓みたいに揺れている光。


「蒼汰くん、手、貸していただけますか」

「どうすんの」

「風が強いので、影にしてほしくて」


 俺の掌で風よけを作る。

 ろうそくの火が、少し落ち着く。


「……きれいですね」

「そうだな」

「誤解の火は燃やすと広がりますけど、こういう灯は、守ると温かくなります」

「先生が言いそう」

「影響を受けてます」


 ひよりが灯りを箱に納める。

 並んだ小さな明かりが、順番に奥へ運ばれていく。

 誰かの願いが、列になって夜を歩く。


「秘密の灯、見つけました」

「これのこと?」

「はい。今日、いちばんきれいに見えました」


 ちょっと、勝てそうにない比喩だった。

 俺はうなずくしかない。


 川沿いの土手に上がる。

 花火の時間まで、あと五分。

 レジャーシートがパッチワークみたいに敷き詰められている。

 人の声、遠くの駅のアナウンス、虫の音。

 夏の音は、いつだって欲張りだ。


「ここ、少し空いてます」

「おう」


 腰を下ろすと、川風が汗をさらっていく。

 繋いだ手を、ゆっくり離す。

 離した指先に、火が消えたみたいな寂しさが残る。

 ――いや、今のは比喩。理性、がんばれ。


「蒼汰くん」

「ん」

「さっき、“手をつないだ理由”って、人混みでしたか」

「……そう、だな」

「わかりました。ありがとうございます」

「……え、そこは“違います”って否定してもいい場面だよな、俺」

「ふふ、どちらでも嬉しいので」

「お前、ほんと強い」


 最初の花火が上がった。

 遅れて、胸の中まで響く音。

 ひよりが小さく息を呑む。


「きれい……」


 浴衣の袖が、そっと俺の手の甲に触れる。

 偶然のふりをして、世界でいちばんささやかな接触。


 ふいに、後ろから聞こえた。

「ねえ、見て。真嶋と七瀬、並んで花火!」

「やば、タグ立てよ!」

 おい、祭りの神様、情報化社会を一旦止めてくれ。


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StarChat #夏祭りの二人と秘密の灯

【校内ウォッチ】

「花火の下、二人の影が重なった瞬間、見届けました」

コメント:

・「#手つなぎ疑惑再燃」

・「#花火より眩しい」

・「#秘密の灯=二人」

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「……影の観測、仕事が早い」

「でも、うれしいです」

「まじか」

「今日の“誤解”、すごくやさしかったので」


 二発目、三発目。

 夜空に花が咲いては落ちていく。

 消えるために、美しくなる光。

 それでも――消えたあと、目の裏に残像として残る。


「蒼汰くん」

「ん」

「私、花火は“誤解”に似ていると思います」

「どう似てる」

「一瞬で広がって、すぐ消えて、でも覚えているからです」

「……それ、ちょっとズルいくらい上手い」


 ひよりが少しだけ照れる。

 暗闇で分かるくらい、口元がやわらかい。


「ねえ、蒼汰くん」

「うん」

「――手、またつないでもいいですか」

「……人混み、だからな」

「はい。人混み、です」


 建前という名の橋を渡って、指先がもう一度、重なる。

 火薬の匂い、川風、汗、金魚鉢。

 全部まとめて、“今夜”になった。


 帰り道は、石段が渋滞だった。

 俺たちは列に並んで、少しずつ下りる。

 その途中、見慣れた人影が鳥居のところに立っていた。


「先生……浴衣?」

「観察対象に合わせるのが研究者の礼儀だ」桜井先生はうちわで扇ぎながら言う。

「先生、今日は観察、やめませんか」ひよりが笑う。

「なぜだ」

「“秘密の灯”は、観察より、守る方が大事なので」

「……良いことを言う」


 先生が、空を見上げてからスマホを取り出した。

 やめて。いや、ありがとう。いや、やめて。


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StarChat #夏祭りの二人と秘密の灯

【桜井先生@担任】

「群衆のざわめきの中で、守られる灯がある。

 それを“恋”と呼ぶのだろう。」

コメント:

・「#先生、今夜も詩」

・「#守る灯=恋」

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「……先生、やっぱり詩だな」

「詩は、観察の副作用だ」

「先生、それ多用しないでください」

「了解した。ところで真嶋、甚平が似合っている」

「今それはいいです」


 先生と別れて、人波に押されるように表参道を抜ける。

 灯が遠ざかるほど、夜が濃くなる。


 駅前で足を止める。

 人の流れも、ようやく落ち着いてきた。


「今日は、ありがとうございました」

「こっちこそ」

「蒼汰くん、秘密の灯、守ってくれて」

「いや、俺は手で風よけしただけだ」

「それが、いちばんでした」


 ひよりが、指先を名残惜しそうに離す。

 離された手が、火照りを覚えている。

 夏のせいだ。……夏のせいにしておく。


「次、また祭りがあったら――」

「うん」

「もう少し、人混みを言い訳にせず、手をつなぎたいです」

「……検討します」

「では、研究の進捗として、期待しておきます」

「研究の言い換えやめろ」


 ひよりが小さく笑った。

 電車の到着を告げるベルが鳴る。

 別々のホームへ向かう手前、彼女が振り返る。


「蒼汰くん」

「なんだ」

「今夜の“誤解”、ずっと忘れません」

「……俺も」


 扉が閉まり、車内の灯りが流れ出す。

 ガラスに映った自分の顔が、どうしようもなく間抜けで、少しだけ幸せそうだった。


 帰宅して、濡れた手を拭きながらStarChatを開く。

 タイムラインの上に、ひよりの新しい投稿が浮かんでいた。


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StarChat #夏祭りの二人と秘密の灯

【七瀬ひより@2-B】

「人混みの中で、静かに灯るものがありました。

 消さないように、ゆっくり守っていきます。」

コメント:

・「#静かな約束」

・「#誤解が灯に変わる夜」

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 画面がにじんで見えたのは、汗のせいか、夜風のせいか。

 どっちでもいい。

 俺は“いいね”を一つ、強めに押した。


 ――誤解で始まった俺たちは、今、灯りを持っている。

 人の波が消えても、スマホの光が消えても、

 この手の熱だけは、もう誤解じゃない。

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