第2話 転生の前日譚

アステリオン王国歴590年。


その日、アステリオン王国の城下町では王子の誕生祭を明日に控え、前日祭と言わんばかりに町民、兵士、旅人、商人、観光客達で賑わっていた。


一方、アステリオン王国の中心にそびえ立つ城の城内では兵士やコックの慌てふためく声と、メイド達の悲鳴が轟いていた。


「うわぁああああ⁉ 靴の奥に馬糞が詰まっているぞ」


「げぇ、なんじゃこりゃ。容器の中の砂糖と塩が入れ替わっているじゃないか⁉」


「きゃぁああああ⁉ 服の中に蛇と虫を入れられましたわ⁉ 誰か、誰か取ってください⁉」


あちこちで大騒ぎが起きているなか、城内を走り回ってその様子を見て楽しんでいる少年の姿があった。


彼は浅葱色で少し癖のある髪を靡かせ、大きくぱっちりした目には赤紫の瞳が浮かんでいる。


この悪戯少年こそ、アステリオン王国の王子アテム・アステリオンであった。


「あっははは。こんな簡単に引っかかるなんて皆そろってまぬけだな」


アテムが目を細めて笑い声を響かせたその時、「見つけましたぞ」と行く手から怒号が轟く。


彼が正面を見やれば、そこには白髪混じりの黒髪に黒い瞳を浮かべ、髭を蓄えた男性。


そして、さらっとした黒髪に優しい目付きで水色の瞳を浮かべた青年が立っていた。


「やばい、ガスターとグレイだ」


ガスターとは、アステリオン王国の大臣を務める『ガスター・アスゲルム』のことである。


グレイは将来有望視されている兵士だ。


二人の姿を見てアテムは顔を顰めるも、駆ける足は止めない。


「今日という今日は許しませんぞ」


「城内だけの悪戯に留まらず、学業の先生を落とし穴に嵌めて置き去りにしたそうではありませんか」


ガスターが鬼の形相で青筋を走らせ、グレイは呆れ顔を浮かべている。


「はは、先生のくせにあんな『子供だまし』の落とし穴に嵌まるほうが悪いんだ」


「アテム様。そのようなことを申しては、お父上のような立派な王になれません」


グレイが前に出てくると、アテムはズボンのポケットに手を入れて何かを思いっきり振りまいた。


次の瞬間、グレイは顔を歪めてその場に蹲ってしまう。


「め、目が……⁉」


「悪いな、グレイ。でも、安心してくれ。それはただの砂だ」


「あ、アテム様……⁉」


グレイは片目を必死に開けながら手を伸ばしたが、アテムは余裕で躱して駆け走っていく。


正面に残るガスターが仁王立ちで行く手を阻むが、彼は不敵に笑うのみで足を止める気配はない。


「先生から兵は詭道なり、って教わったぞ。つまり、騙されるほうが悪いってわけだ」


「そういうのは屁理屈というものです」


アテムはにやりと口元を緩めると駆ける勢いそのままに滑り込み、ガスターの股下を抜けてしまった。


「な……⁉」


「あっはは、年寄りの冷や水は良くないぞ。僕を捕まえるのは諦めるんだな」


「あ、アテム様⁉」


「お、お待ちください⁉」


「ば~か。待てと言われて、待つ者などいるものか」


目を丸くするガスターと涙目のグレイを捨て置き、アテムはその場を走り去ってしまった。


怒った兵士やメイドたちの追跡を持ち前の身軽さで逃げ続けたアテム。


彼は一息入れるべく中庭にある木の上に隠れ、慌てふためく給仕たちを見つめてにやにやと笑っていた。


「はぁ、お兄様。また飽きずに悪戯してるのね」


下から聞こえてきたツンとした声に反応してアテムが視線を落とすと、そこには少し癖のある紺色の長髪に鋭い目付きで灰色の瞳を浮かべた少女。


そして、水色の瞳を持ちフリルの付いたカチューシャを頭に付け、黒紫の髪を後ろでまとめているメイドが立っていた。


「なんだ、アルテナにリシアか。僕がここにいるって誰にも言うなよ。言ったら、明日の標的はお前達になるからな」


「……わかってる、誰にも言わないわよ。お兄様の悪戯には、私もリシアもこりごりだもの」


アルテナは呆れ顔で肩を竦めると、深いため息を吐いた。


「お兄様の許嫁になる人は気の毒ね」


明日、十歳になるアテムには、近いうちに隣国の姫から許嫁が選ばれることになっている。


「ふん、許嫁なんてこっちから願い下げだね」


アテムは鼻を鳴らすと木の上から飛び降りて、アルテナの隣に着地した。


「あ、そうだ。木の上に可愛い子達がいたからリシアとアルテナの肩にプレゼントしておいたよ」


「へ……⁉」


アルテナとリシアが真っ青になって互いの肩を見やると、そこには芋虫をはじめとした小さな虫たちがわんさと乗せられていた。


「きゃぁああああああ⁉」


「お兄様ぁああああ⁉」


「あっはは。油断大敵だな」


アルテナの怒号とリシアの悲鳴を背中に受けながら、アテムは楽しそうに笑いながらその場を走り去ってしまった。



「アテム様はどこだ⁉」


「こちらでは見かけておりません」


「明日で十歳を迎えるというのに。一体、この悪戯はいつまで続くんだ」


兵士と給仕たちがアテムを捕まえるべく城内を走り回るなか、当の本人は廊下の影に隠れながらその様子を見てほくそ笑んでいた。


「ふふ、慌ててる、慌ててる。でも、さすがに兵士達の数も多くなってきたな。そろそろ自分の部屋に戻るか」


アテムがそう呟いた時、普段は気にも留めない部屋の扉がなぜか目に飛び込んできた。


「……なんだ、こんなところに扉なんてあったかな」


引き込まれるように足を進めて扉を開くと、部屋は白い大理石で覆われた荘厳な造りとなっていた。


中心には『三女神の像』がそびえ立っている。


「すごいな、こんな部屋があったなんて知らなかった」


アテムは内装を見渡しながら三女神像の前に進んでいく。


生と死を司る女神、長女ルテラス。


優しく明るい表情をしているが、アテムはなぜか厳しさと覚悟が伝わってくるような気がした。


断罪と贖罪を司る女神、次女イナンナ。


凜とした力強さと鋭い目付きをしているが、アテムはなぜか優しさと勇気が湧いてくるような気がした。


導きと運命を司る女神、三女セレーネ。


慈愛に満ちた表情をしているが、アテムはなぜか自分自身の責務を問われているような気がした。


「……これだけ立派な女神像を間近で見たのは初めてだ」


アテムがぽうっと見蕩れていると、「捕まえましたよ」と彼の両肩に手が乗せられる。


アテムがぎくりとして振り向くと、そこには彼の母にして王妃のミリーナ・アステリオンと、父にして王のオルガ・アステリオンが立っていた。


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◇あとがき◇

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