犬洗い日和

 久々に天気がいい。こんな日は溜まった洗濯物を――。


「犬洗い日和って感じの天気だなぁ」


 いつの間にか起き出してきた恋人が、隣に立ってのんびりした口調で言う。


「はぁ?」


「こう、大きなゴールデンレトリバーを、わしゃわしゃーっと」


 指を動かしながら、手を上下に動かす恋人を、俺は呆れた目で見る。


「何言ってんだ」


「洗われた犬が、ブルブルって身震いするのよ。その水しぶきを浴びてお前が嫌そうな顔するの。眼鏡が汚れるだろーって」


「昨日、眼鏡を汚したのはお前だろ」


「でも次は小さいダックスフンドで、水が嫌いだから、ぬるぬるぬるぬる逃げ出すの。いつものワイシャツとスラックス着たお前は大変よ。あちこち濡らしながら犬を捕まえるんだ」


「待て待て」


「ブルドックも洗ってみたいな。顔のしわまで洗わないといけないのかな。そしたら大変だ。嫌がられて噛まれないようにしなきゃいけない」


「そもそも俺たち、犬飼ってないだろ」


 恋人はきょとんとした目で俺を見る。


「そりゃそうだろ」


「じゃあ、なんなんだ、その妄想は」


「休日の晴れた日限定でやるんだよ、犬洗い屋さんを」


「なんだそれは」


「犬を洗う」


「それは分かったが、そんなことできるわけないだろ」


「前読んだ本でさ」


「うん?」


「江戸時代に江戸に住んでたやつらって、定職ない奴らも多かったんだって」


「そ、それが?」


「金があるうちはごろごろして、必要になったら適当な商売をするんだって」


「適当って?」


「とうがらしの被り物被って、とんとんとんがらし~って歌ってとうがらし売るとか」


「……そのノリで、犬洗いを?」


「そ、お前が犬の着ぐるみ着て、犬洗いしませんか~って」


 俺は首を振った。


「今は江戸時代じゃなくて、ここは東京だ」


 恋人は笑って、洗面所へ消える。

 俺はやれやれと首を振る。突拍子もないことを言って俺を困らせるだけ困らせて、正論を言われたら逃げるのが、恋人の悪い癖だ。

 ベランダの窓を開ける。朝の風が吹き込んできた。目が覚めるように冷たいが、日差しは優しい。日が高くなれば温かくなるだろう。犬を洗っても凍えないくらいに。

 眼下にある公園が目に入る。あそこを借りよう。着ぐるみは着ない。二人がかりでないと元気な犬を取り押さえながら洗えない。ジャージを出さなければ。高校時代のジャージまだあったかな。

 大きなたらいをホームセンターで買おう。犬を洗っても大丈夫なソープも。そして散歩中の人に片端から声をかける。犬を洗いませんか?


「洗濯機回していーい?」


 洗面所へ振り向いて声をかける。


「パジャマ洗うから待ってくれ」


 俺は窓をゆっくり閉める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る