第31話

 もっと話をしたかったが、恭一がお腹が空いたと言うので話を中断して食堂へ行った。入れ違いで食堂を出て行く桃井とすれ違ったが、どういう顔をすればいいかわからず顔を背けてしまった。向こうはおそらくにやにやしていたことだろう。


 桃井の顔を見たせいで黒岩のことが再び思い出される。もしも告白されたらどうしよう、と思考が飛躍し、嫌な汗が背中にうっすらと滲むのを感じた。


 誰かに好かれるのは耐えられるが、告白されたら耐えられない。誰かに付き合ってと言われたら断る勇気もない。

 恭一に付き合ってもらっていても自分が平気でいられるのは、向こうに恋愛感情がないからだ。付き合ってと言った自分は断られたとしてもまったく傷つかない確証があったからだ。


「おい、紀?」


 名前を呼ばれて我に返る。無意識にエビチャーハンをスプーンでずっと突いていたようだった。


「あ、ああ、ごめん。何か言った?」

「別に何でもねえよ。早く食え、夕食の時間が終わる」


 周囲を見回せば、食堂内の人は少なくなっていた。来るのも遅く、食べるのも遅かったので、時間ぎりぎりになっているようだ。慌ててチャーハンを口の中にかきこむ。


「おまえさ、ずっと勉強してる様子がないけど、来週の中間考査は大丈夫なのか?」

「ああ、授業中にだいたい覚えてるから問題ないよ」


 記憶にある中で最後に必死で勉強させられたのは中学受験のためだった。父が中学受験に熱心で、嫌々ながらも勉強に取り組まされた。なお、受験日にインフルエンザになって第一志望を受験できず、滑り止めには受かったが、結局公立に行くことになった。

 それ以後は授業を聞いて教科書を覚えていればテストも入試も点が取れたので、必死に勉強する必要はなかったし、今もそのスタイルは変わっていない。


「……おまえ、そんなに勉強できるなら国立も目指せるだろうに、なんで内部推薦なんだ?」

「なんでって、うちの大学に行きたい研究室があるからだけど」


 恭一は何か言いたげだったが、そうか、とだけ言って話を終わらせた。


 消灯後、寮監の見回りが終わった後、ベッドを抜け出して恭一のベッドの方へこそこそ近づいた。この時間に話をすることに恭一も慣れてきたようで、ベッドのそばに腰を下ろしたときには目を開けていた。


「松本先生が有力候補って話だったが、警察には事故前日は何があったか話してるのか?」

「うん、梶尾と退勤時間が一緒だったから駅まで一緒に帰ったけど、変わったところは何もなかったと言ってたらしい。そして、当日はいつも通り通勤したと」

「松本先生は当日はいつも通り通勤してきたのに、正門の監視カメラに映ってないのか? 最寄り駅から来てるなら、正門を使わないとおかしいだろ」

「逆だ、いつもは最寄り駅から来てないんだ。裏門から歩いて十分のところにあるバス停までバスで来てる。前日梶尾と一緒に駅まで行ったことの方が普通じゃなかった」


「松本先生は警察に理由を説明してるのか?」

「バスの最終便が終わってたかららしい。バスの時刻表を調べたけど、事実だった。電車はまだ終電じゃなかったんだ」

「不自然じゃねえけど……」

「そう、ごく自然だ。不自然じゃないからこそ計画したとも考えられる。誰だって梶尾なんかと一緒に帰りたくないと思うけど、同じ職場の人で露骨に避けられないから一緒に帰るのが普通の流れだ」


 そこまで話して、眠気に負けてあくびが出た。精神的なアップダウンが激しかったせいか疲れているらしい。恭一のベッドに頭を置くと少し楽になった。


「おい、そこで寝るなよ」

「寝ない、大丈夫。ここまではアリバイの話でしかない。殺人の証拠を見つけないといけない。でも、それがどういうものか見当もつかないんだ。犯行時に身に着けていた手袋や靴、靴下に血が付着していたとしても、そんなものはとっくに捨てられているはずだ」


 頭の向きを変えると恭一と目が合う。恭一の瞼は三分の一くらい閉じていて、いかにも眠そうだ。彼も疲れているのかもしれない。そういえば、恭一は今日一体どこに行っていたのだろう?


「俺は物的証拠を探すより、警察が掴んでいない梶尾周辺の人間関係を調べるべきだと思う」


 言って、恭一は布団の中で身じろぎした。


「もう寝ろ、俺も寝たい」

「んー、わかった。またね」


 音を立てないように自分のベッドに戻り、目を閉じて考える。恭一の言ったことには一理ある。物的証拠が残っている可能性が低い現状では、他の方向から調べてみるべきかもしれない。


 美鈴と犯人が何らかの理由で繋がっていると仮定した場合、その関係性を知っていそうな人物は誰だろう?


 問いの答えは出ないまま、気付けば眠りに落ちていた。

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