INNOCENCE
水底 眠
それはお菓子のように甘く
第1話
春めいてきた三月末に寮へ戻ると、すでに多くの生徒の姿があった。新学期に向けての浮ついた空気は一切なく、こちらに向けられる視線もどこかよそよそしいものがあった。
理由は単純明快である。先日の卒業式の日に起きた先生の死亡事故のせいだ。そして、生徒たちがどこか遠巻きにこちらを見ているのは、遺体の第一発見者だからだろう。
三階まで階段を上がり、三〇一号室の扉の前に立った。部屋番号の下には
恭一とは一年生の時のクラスメイトで、二年の途中から寮の相部屋になった。彼が先に寮に戻っているかは、ここ数日彼からのメッセージ通知を見て見ぬふりをしているのでわからない。
鍵を差し込んだが手ごたえがなかったので、ノックをしてから部屋に入った。開け放たれた窓から吹き込む胸をすくような春風の良い香りがした。
「久しぶり、元気だった?」
ベッドに寝転んで本を読んでいた恭一は、弾かれたように立ち上がって近づいてきた。かなりの勢いで詰め寄られたので、びっくりしてその場から動けなかった。
「おまえ、人からのメッセージ毎日無視しておいてどういうつもりだよ」
後ろ手でドアを閉めて、苦笑いを浮かべた。全く何も面白くなかったが、恭一とはかなりの体格差があり、こちらは悲しいくらいの細腕であるので、情けないがこれ以上機嫌を損ねたくなかった。
「ごめんごめん。会ったらすぐ謝ろうと思ってたよ。でもおまえも毎日同じ質問してくるから、答えるこっちも面倒になってきてさ……」
「遺体を発見したおまえを心配して何が悪いんだよ」
「声が大きい、少し抑えろ。大丈夫だって何度も言っただろ。嘘じゃなくて本当に大丈夫だよ。だからもうこの話は終わり」
恭一を押しのけて、自分の机の横に鞄を置いて荷解きを始めた。背後で大きなため息が聞こえる。ああ、怖い怖い。
「おまえが始めたことだろ」
「何のこと?」
首だけで後ろを振り返ると、恭一が耳を少し赤く染めながら唇をぐっと引き結んでいる姿が見えた。
目つきが鋭く、それに加えて言葉少なな恭一は、端から見れば怖い人でしかない。だが、彼は考えや思いを言葉にするのが苦手なだけで悪人ではない。内面はおそろしく繊細で、書く言葉は硝子細工めいた儚さを帯びる。そして、意外と恥ずかしがり屋でもあった。
ようやく恭一が口を開きかけた時、廊下から昼食の時間を告げる館内アナウンスが聞こえてきて、話は中断された。
食堂へ移動すると、早くも生徒たちが列を成していた。列の最後尾に並ぶと、前に並んでいたクラスメイトの和田に声をかけられた。二年から三年はクラス替えもないので、彼女とは三年からも同じ教室で勉強することになる。
「綿貫君、久しぶり。色々と大変だったみたいだけど、大丈夫そう?」
「久しぶり。俺はもう平気。実家でゆっくりしたから落ち着いたよ」
「そっか、なら良かった。三年からもよろしくね」
言いながら、和田はちらりと恭一の様子を盗み見た。意味ありげな視線だったが、恭一をそんな目で見る理由はわからなかった。
「……うん、引き続きよろしく」
今日の昼食のメニューはオムライスで、かなり好きな部類のメニューだった。しかし、和田の視線が頭の中で引っかかって、いつものように喜べなかった。
トレーを置いて席に座ると、引き続きだんまりの恭一が前の席に座った。目立たないように食堂の端の席を選んだが、それでも何となく周囲の視線が気になる。
「周りのことなんか気にするなよ」
恭一はぽつりと言って、オムライスを食べ始めた。彼の食べっぷりを見ていると、不思議と周りの目が気にならなくなってくる。
「……そうだね。その通りだ」
スプーンを取って半熟の卵と一緒にケチャップライスをすくい、大きく口を開けてほおばった。
「美味しい」
喋らずどんどん食べていると、やがて元気が湧いてきた。空腹は人を弱気にするという事実を、空腹の時にはいつも思い出せない。
「ようやく気づいたんだけど、見られてるのは俺だけじゃないよね?」
「そうだよ。おまえは心配されてるだけだ。どっちかというと俺の方が見られてる」
「なんで?」
オムライスを食べ終わった恭一は、スプーンを置いて、視線を窓の外へ向けた。それから、声を潜めて言う。
「俺が梶尾を殺したんじゃないかって噂されてるから」
すぐに恭一の言ったことの意味が理解できなかった。あまりに荒唐無稽で、ひどい噂だ。
梶尾は数学の教師で、卒業式の日に数学準備室で亡くなっているのが発見された。
しかしながら、学校は悲しいムードには包まれなかった。なぜなら梶尾は性格の悪い数学教師で、授業が目が覚めるほどつまらないのと、やけに生徒に絡んでくるので嫌われていたからだ。
問題児や成績の悪い生徒には異常に強く当たるし、辛辣な態度を取る。過去には生徒を追い込んで退学させたという噂もあった。
他の先生たちは梶尾を腫れ物扱いして、積極的に関わろうともしなかった。
「ありえない。警察もあれは事故だったと発表してる」
「そうだな。たぶん事実だ」
「ならどうして変な噂が立ってるの?」
「さあな。どうせ俺が梶尾に嫌われていたから、報復をしたと考えたいんだろ。内部推薦に向けてストレスも増えてるだろうし、それに……」
恭一はそれ以上言わなかったが、彼の言わんとしたことは理解できた。
それに、暴力沙汰で停学になったし。
そう言おうとしたのだろう。
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