第35話 恋を請け負う者たち

 午後の《ハート・ラボ》。

 いつもより静かな時間が流れていた。

 カウンセリングルームの窓から、冬の光がやわらかく射し込む。


 机の上には、一冊のノートと、数枚の写真。

 写真には、笑顔の夫と並ぶ女性――安堂美咲(あんどう・みさき)。

 三年前に夫を事故で亡くして以来、

 誰かと向き合うことを避けてきた。


「……夫を亡くしてから、季節の区切りが分からなくなったんです」

 そう語る彼女の声は、落ち着いているようで、どこか宙に浮いていた。


「時間が止まったように感じるんですね」

 真司が静かに返す。

「はい。誰かに“好き”って言われても、

 私だけ別の場所にいるみたいで。」


 真由がそっとうなずいた。

 テーブルの上のペンを指で転がしながら、

 彼女は言葉を探すように口を開いた。


「安堂さん、“亡くした人を忘れないまま”生きることも、

 ちゃんと愛の形なんですよ。」


 その一言に、美咲の目がわずかに揺れた。


「……そんなふうに、考えていいんですか?」

「ええ。」真由はやさしく笑った。

「“思い出す”ことが苦しくなくなるときが、必ず来ます。

 それが、心のグリーフケアなんです。」


 真司が小さくうなずく。

「もしよければ、少し“記憶の再現ワーク”をしてみませんか?」


 美咲はためらいながらも、そっと写真を手に取った。

 その中の自分に向かって、かすかに微笑む。


「あなたがいなくなっても、私はちゃんと笑ってます。

 ……ありがとう。」


 その声は震えていたが、悲しみではなかった。

 真由の目に光がにじむ。

 真司は静かに目を閉じ、息を整えた。


 ――人は、“別れ”を受け入れるのではなく、

 “共に生き直す”ことで前へ進むのだ。


 美咲が顔を上げた。

「少し、肩の力が抜けた気がします。」

「それが、“恋をもう一度はじめる準備”なんですよ。」

 真司が穏やかに答える。


 帰り際、美咲はドアの前で振り返った。

「先生方、“恋を請け負う”って、不思議な仕事ですね。」

 真由が微笑んだ。

「ええ。でも、請け負っているのは“恋”じゃなくて――希望です。」


 ドアが静かに閉まる。

 部屋の中には、まだ温もりの残る空気が漂っていた。


 真由が窓の外を見つめながら呟く。

「……支援って、結局、自分にも返ってきますね。」

 真司が頷いた。

「そうだな。俺たちも、まだ“誰かを失った痛み”の途中かもしれない。」


 沈黙が訪れる。

 その沈黙は、重くなく、どこか優しかった。


 ――《ハート・ラボ》は、ただの恋愛支援ではない。

 それは、“心の再起動装置”なのだ。


(つづく)



---


📘次回予告(第36話)

「ハート・ラボ解散会議」

安堂美咲のケースがメディアで話題になり、

心理支援と恋愛支援の境界を問う声が高まる。

真司と真由は、《ハート・ラボ》の存続をかけて最後の会議に臨む――。

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