夕焼けとトマトソースと、時々ヴァンパイア

狂う!

第零章:古書に曰く、夜の眷属

古びた羊皮紙の頁に、黴の匂いが染みついている。

西欧の片田舎で記されたとされるその書物には、夜の支配者たる吸血鬼『ヴァンパイア』の伝承が淡々と綴られていた。



『彼らは夜を生きる』



人間の目に映ることのない時刻、静寂と闇が満ちる刻に目覚める。

肉体は陶器のごとく白く、長き年月のあいだ太陽の光を拒み続けてきた。

その血脈には、かつて神に背いた古の魔の呪いが流れているともいう。



彼らの住まう場所は、日差しの届かぬ森の奥、地中の墓所、廃教会、そして時に人間の住まう町の隙間。

吸血鬼は不老不死に近い存在とされるが、孤独からは決して逃れられない。



『彼らは人間の血を糧とし、渇きを癒す』



食事としての血は、彼らに力を与えるだけでなく、己の存在をこの世に留めるための“錨”となる。

血を味わうたび、わずかに“生”の残り香に触れることができる

それだけが、彼らがこの世に執着する理由なのかもしれない。



太陽は絶対の禁忌。

陽光を浴びれば、肌は灼け、血は煮え、骨まで灰となる。

昼間の時間は棺桶の闇で眠り続けるしかなく、目覚めるのは夜半、闇がすべてを覆い尽くした頃合い。



“孤独こそが、彼らの真の“呪い”である。

永遠に近い寿命を与えられながらも、共に歩む者は誰一人として現れない。

その心を癒す術は、ただ一つ。“契約”──眷属を得ること。”



吸血鬼が眷属を持つ儀式は、古くから決まりがあった。

血を与え、血を受ける。それだけでは足りない。

“主”となる者が“眷属”となる者の血と魂を受け入れ、両者の間に名もなき“印”が刻まれる。

この契約を以て、主は眷属のすべてを支配し、眷属は主に永遠の忠誠を誓う。



伝承には、契約の成立する条件がいくつも書き残されている。

最も強固な契約は、“現世と常世の境が曖昧になる夜に交わされる。

この夜は、死者の魂と生者の世界の壁が最も薄くなり、吸血鬼に流れる“古の魔力”が活性化する。

儀式は夜半、静寂の中で、魔法陣や特別な紋章、秘薬やハーブの香りと共に行われることが多い。



契約の代償は重い。

眷属は主の命令に逆らうことができず、その肉体も魂も“主”の所有物となる。

だが、その代わりに死すべき運命から逃れ、病も老いも恐れることなく、“主”と同じ時を生きることが許される。



吸血鬼と眷属、夜に紡がれる主従の鎖。

それはただの支配や従属ではなく、“孤独”から解き放たれるための唯一の道。

契約を交わしたその瞬間から、二人の運命は永遠に重なり合い、切り離せなくなる。



もっとも、こうした伝承の数々が、本当に“超自然的存在”としての吸血鬼を語っているかどうかは、定かではない。

例えば一説には、ヴァンパイアの原型とは狂犬病に罹患した人間であったとも伝えられる。

発症者は昼夜逆転し、目に見えぬ何かに怯え、喉の渇きに苦しみ、時に人を咬む。

その姿は確かに、吸血鬼の特徴と一致していた。



日本の“雪女”の正体が、雪山で発見された凍死体に由来するように。

人々は、理解できぬ死と現象を、整合性ある“物語”に変換してきたのかもしれない。

理不尽な死、異常な行動、説明のできない渇きや発作。

それらを、人々は“吸血鬼”と呼んで恐れ、祀り上げ、そして物語に閉じ込めたのだ。



やがて人々は、夜を恐れ、闇に棲む影に十字を切った。



頁を閉じると、蝋燭の炎が揺れ、夜の静寂が部屋を包む。

ただ、遠いどこかで、誰かの寂しげな息遣いが聞こえた気がした。

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