第2話 夜刀神流・上




 ある歴史ある高級住宅街の、その一角。


 道場付きの風流なお屋敷があった。


 家の表札には【夜刀神】、道場の表札には【夜刀神流】と記されている。


 ぱっと見の印象だけでも、由緒正しい家であるという雰囲気が十分に伝わってくる威風堂堂とした威容だった。




 この家とそれに纏わる伝統を連綿と受け継ぐ夜刀神家は、夜刀神流と呼ばれる非常に実践的な武術を受け継ぐ歴史ある名家の一つ。



 その本拠地こそ、表向き日本を代表する高級住宅街の一角に建っているが。


 その実、非常に実践的で、危険性も高い技術を伝えていることから、この家で行なわれる夜刀神流の継承はごく限られた者達の間でしか行われない。



 故に夜刀神流は、その門下生に関しても、その時代の当主、もしくはその代理が認めた内々の者達でお互いに技を磨き合うのが特徴だった。




 そして今代では、主に一人の少年と四人の少女達がこの道場にほぼ毎朝集まって、明け方より鍛錬にいそしんでいる。



 またその鍛錬というのも、夜刀神流においては姿勢や型に関する基本的な内容から、実際に模擬戦を行うような内容に至るまで常に実戦を想定した思想を重んじながら行われていた。


 ここ日本にとっても歴史的に重要な流派ということで、特別な許可を受けて管理している【真剣】や、様々な武器を実際に鍛錬に用いることも多々ある。


 実際、夜刀神の現当主代理である少年――――【夜刀神晴翔やとがみはると】もまた、異世界に転移する前・・・・・・・・・には何度もこの鍛錬で本物の武器と触れ合っては、その身体中にいくつもの生傷をつくっていたほどである。


 しかも、その傷跡は特に生命の危機を感じる首元や胸もとに多かった。



 ただでさえ、当時から普通の中学生にしては大人っぽい顔立ちをしていた彼は、周囲から少し近寄りがたい雰囲気のやつだと揶揄されていたが。


 この生傷が目に見えるようになってからは、その流れがより顕著になったと言っていい。



 しかし、そこは一度異世界に転移して自由に容姿をいじれるようになった彼である。


 帰還後は魔術で人の認識をいじることすらも容易であったし、肉体の傷も20年程前の当時と比べて違和感のないように調整していた。



 その一方で、少女達の方は時代が時代ということもあって、彼女達の親とハルトの意向もあり、身体に傷がつくような無茶はしていない。


 故に、現在流派の継承を正式にしているのは現当主代理の彼と、そんな彼が異世界に転移する前に流派を【免許皆伝】していた彼の姉だけだった。


 まあ、これに関してはハルトが異世界で不老・・となったこともあり、自分がうまくやればいいと考えたのもある。



 その為、この流派の神髄しんずいにまで精通しているのは現在ハルトと夜刀神の長女二人だけなのだが、それでも、一門下生である他の少女達も決して劣った使い手という訳ではなかった。



 むしろ極めて厳正に選抜された存在というだけあって、その才覚はこと現代において世界屈指といえる程である。



 それも異世界での経験を経て、一層実践的な戦闘技術に明るくなったハルトの教えも受けているのだ。


 歴代でも類を見ない速度で、彼女たちはその実力をメキメキと伸ばしていた。




 ――――現在時刻は午前6時20分。




 微かに聞こえてくるシャワーの水音すら消し去るほど、粛々とした厳格な雰囲気漂う道場の中心。


 ポリプロピレン製の模造刀を構える一人の少女と、惑わすように左手で短刀(模造品)を蛇のように手首をうねらして構え、右手で少女のと同じ模造刀を構えているハルトが対峙していた。


 そこに審判や見届け人などはいない。


 代わりにシャワー室の方には今も三人ほど人の気配があるが、少なくとも今この空間にいるのはこの二人だけだった。



 夜刀神流の最初の構えは個々のスタイルによって大きく左右される為、決まった型はない。


 今回はどちらも得物は刀剣。


 また居合ではなく、最初から刀を抜いた状態での斬り合いの状況を見据えており、お互いに既に得物を抜き放った状態で模擬戦に臨んでいた。



「準備はいいか?」


「ええ、構わないわ」



 堂々とした声音で問うハルトに、凛とした耳障りの良い声音で静かに返す少女。


「「よろしくお願いします」」


 互いに微動だにせず、言葉だけで礼を交わした。


 はじめに構えてから礼をするのは、相対する相手だけではなく、その都度披露することになる他の流派の構えや技にも敬意を払うためという夜刀神流独自の習わしである。



 未だ力強い眼光でにらみ合う少年少女は、お互いに恐ろしく容姿端麗だった。


 それはこの状況と、その目に宿る確かな闘志さえ違えば、あたかもお互いに見惚れて見つめ合っていると見る者が錯覚してしまうほど。



 ハルトの方は、黒の道着越しにのぞく鍛え上げられた胸元が妖艶ですらあり、美丈夫で凛とした容姿はとても男前な印象を受ける。


 少し大人っぽい爽やかな黒髪も、キリッとした眼や無数の生傷と相まってえらく強者としての風格があった。



 しかし、その少女――――早坂佳織はやさかかおりの方も、整然とした風格では負けていない。



 何せ、彼女はハルトが異世界から帰還した後に出会い、見初められた才女である。


 いかにも優等生然とした清楚で品行方正な雰囲気に、色気のある口元の黒子。


 控えめながらも確かな膨らみを感じる胸元から、腰のくびれにかけての滑らかな曲線美。


 まるで彫刻のように端正でありながら、自然の美を象徴するかのように涼やかな印象を受ける彼女は、まさしく才色兼備の高嶺の花。


 さらさらと手入れの行き届いた黒髪のセミロングは、清潔感のあるポニーテールにまとめられており、その髪色に近い瞳の色も相まって、怜悧で毅然とした風格もあった。




 もしもこの場に観客がいたならば、きっとそんな二人がにらみ合う数秒間だけで、あらゆる思考を放り捨ててただこう感じたはずだ。



 ――――とにかく絵になる二人だ、と。



 しかし、そんな言葉で片付けるなんて生易しい。


 そう天が告げていると錯覚するほどの衝撃が、刹那、この場の空気を一瞬で震わせる。


「……っ」


 それは、既にカオリの間合いへと入ったハルトの踏み込みだった。


 気付けば喉元まで迫っていた模造刀の切っ先を、カオリはほとんど反射的に身をひねって交わす。


 立て直しも早い。


 彼女はそのまま地面に転がるでもなく一瞬で着地して、同時にすかさず反撃をと、一閃。切り返した。


 相当に鋭い一撃だ。


 しかし、異世界で数多の魑魅魍魎ちみもうりょうと死闘を繰り広げてきた彼にとっては、まさしく幼子を相手取るが如く。


 全力の一割も出さずにカオリの反撃を軽く短刀で受け流したハルトは、そのまま二刀流の長所を生かし、受け流しと同時に追撃。


 それを体の重心をずらすだけですっと回避するカオリに、ハルトもまた同じく体の重心をずらして今度は体術を繰り出した。



 しかし、この程度にまんまとしてやられるほど、カオリもやわではなかった。



 彼女はハルトが放った蹴りを冷静に片手でいなし、更にはもう片方に握られた獲物で次なる反撃をせんと、今度はハルトの太ももをねらう。


 一閃。


 しかし――――甘い・・、と。


 そう一蹴するように、身体を柔軟に使っただけでそれをするりと交わしてみせる少年。


 そこにもすかさずカオリが体術を放つも、今度は先ほどの自分と同じやり方でそれをいなされ攻めきれない。


 ほんの数秒。されどその間に何十回という攻防。


 それは一際優れた身体能力を有する者達が、狂気的な研鑽と天才的な才格をもって磨き上げた技術の応酬。


 剣で剣を、体で体を抑える。


 自らの体の軸をぶらさず、ただ相手の軸を崩しにかかる。


 隙あらば相手の身体の中央――――正中線を取りに行くも、互いにそれをするりと阻止する。


 ハルトの方がその事情から加減しているとはいえ、地球の人間が傍から見る分にはまさに一歩も譲らない修羅の攻防だ。


 だが、やはり加減を考慮しても実際の趨勢すうせいは厳しいか。


 攻防一体の二刀流を使いこなすハルトの方が、剣技によっては幾分か有利に戦っているような印象を受ける。


 現状は、それをカオリの方がうまく体術を駆使してカバーしているといった戦況だ。


 彼女としては、なんとか彼の二刀流の攻防一体を崩そうと、その利を捨てるような間違った対応を引き出そうと応戦する。


 ようは、ハルトのミスを誘ってなんとか反撃の隙をつくりたいという訳だ。


 そして――――


 ついにお互いから放たれた、【夜刀神流】の基本を活かした全く同じ蹴りの一撃。


 ひゅんっと、一際大きな風が巻き起こり、お互いがお互いの一撃を相殺する。



「あなたの完全再現・・・・と、私の完全記憶・・・・。どちらが上か、今日こそはっきりさせましょう」


 カオリが挑発的な笑みを浮かべ、その品行方正なイメージからは想像が付かないほどの好戦的な気配を醸し出す。


「はは、本当は両方持っててようやく真価を発揮する能力なんだけどな」


 それにハルトが苦笑交じりに冷静な見解を返す。


 無論、この返しは彼女の真意を理解したうえでのことだ。


 完全再現――――それはハルトが異世界で編み出した純粋な努力の結晶。


 完全記憶――――それはカオリが生まれ持った天性の才能。


 互いに努力家でもあると理解しあってなお、生まれ持った才能で勝っている筈の自分が手も足も出ない。


 それを自らの研鑽が足りないのだと戒めているからこそ、出た言葉だったのだろうと。



 まあ、ハルトに生まれ持った才能はないと見抜いていたり、その上で容赦なく才能のある人間のほうが高みにいけると証明しようとするあたり、カオリも見た目以上に強かな人間だ。


 しかし、なりふり構わず強さを追い求めてきたハルトには、カオリのそういった無自覚に傲慢なところや、それが全て向上心に注がれているところは心底好意的に映っていた。





 そうして、また何十という激しい応酬の後、今度は蹴りの威力の相殺によりお互いに少しだけ隙が生じる。


 しかし、それはお互いに狙い合った状況でもあった。


 自らの隙すらも掌握して糧とする【夜刀神流】――――その真骨頂はここからだ。













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