異世界転生1日目、恋人ができました。人生懸けて幸せにします

成田楽

第1話 1日目にして恋人ができました。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 俺は逃げていた。


 全力で、どこを目指すわけでもなくただひたすらに森の中を走り続けていた。


 別に悪いことをしたとかじゃないし、誰かに恨まれるようなこともしていない。


「あー……はぁッ、なんでこんなッ!くそッ!」


 無駄なことだと知りながらも、心に余裕を作ろうと悪態を吐く。


 助けを求むことも許しを乞うこともしない。


 何故なら、意味が無いからだ。


 ……相手は獣なんだから。


「──!」


 言語化できない、奇妙な咆哮が背後から突き抜けてくる。


「来るな来るな来るな来るな!」


 右腕が酷く痛む。


 これまでの人生で一番痛かったのは、学校の持久走で思い切りふくらはぎを攣った時。


 あの時はまともに動けずただただ足を抱えるしか無かった。その後痛みが和らいでも歩こうとすればまだ激痛が走るものだから、友達に肩と足を持って保健室まで運ばれたなぁ……


 なんて、現実逃避をする余裕はない。でも、それでも何か他のことを考えていないと狂ってしまう。それほどに、肉体的にも精神的にも追い詰められていた。


「……っ!」


 今感じる痛みはそれを遥かに凌駕する。あの獣にやられたのは右腕だけなのに、段々の全身に痛みが広がっていく感覚がある。


 脳の勘違いだとはわかっていても、自分じゃどうしようもない。


 更には痛みのせいか吐き気がする。


 右腕の指先は痺れを感じているし、見る余裕はないけど血も相当出てるはずだ。


「し、ぬ……!終わるのかッ!?」


 戦場は森。獣の支配地。


 これは戦いではない。単なる日常の狩りだ。


「はぁ、はぁ!諦めてくれよ!」


 だが、一度傷付けた獲物を逃すほど獣は、野生は甘くない。


 例え捕らえきれなくとも、一定の距離を保って追い続けるだけでやがて獲物は弱っていく。


 勝者は決まっている。奴からすれば、ただのウイニングランだ。


「あっ──」


 地面を這うように伸びていた木の根に、つま先を引っ掛けてしまった。


 そう理解したのは転倒した後。


 振り返れば、痛みの原因である二メートルくらいの熊。


 片目だけ異様にデカく、横から見ないと断言できないけど少し飛び出ているように見える。


 体も異質だ。


 三百キロの人がダイエットに成功して七十キロになり、伸びていた皮が余ってデロンデロンになっている写真を見たことがあるが、それと同じような見た目の熊だった。


 あの熊も昔たらふく食って、最近はなかなか獲物にありつけずにああなっているのかもしれない。


 鳴き声も変だ。そもそもの熊の鳴き声は脳内再生できないけど、多分ガオーとかグオーとか、そこら辺だろう。獣らしさのある、唸り声が普通だと思う。


 でも、あの熊は耳を塞ぎたくなるような不快音。ゲームとかの化け物に使われそうな鳴き声だ。


 あれは、本当に熊なのだろうか。熊と呼んでいい生物なのだろうか……


 はたまた……


「──!」


 だが、そんなことを考える暇もなく、死が近づいてくる。


「……すぐに死ねると……いいなぁ…………」


 せめて長く苦しまずに終わりたい。


 足から少しづつ食われていくのだけは止めてくれ。


 ……そう。あれだけ必死に逃げていたのに、結局最後に思うことは諦めた考えだった。


 情けないとは思わない。


 もう関係ないから。


「くッ!」


 覚悟を決めて、目を閉じた。


 見ることが怖かった。


 考えるのが嫌だった。


 こんな人生で終わりなのが悔しかった。


 でも……諦めた。俺にはなにもできない。唯一できることといえば……祈ることくらい。






 なぁ、神様。


 別に神なんて信じてないけど、もしいるのであれば……救ってください。


 自分勝手で、矛盾した考えで、無責任だってわかってるけど……


「──!」


 ……もう終わりか。


 あぁ……もっと、人生楽しみたかったな……




「【ウィンドカッター】!」




「……?」


 知らない声が聞こえた。若い、幼い、女の子の声だ。


「は……」


 熊は死んでいた。首から上が離れたところに転がっている。断面は目を背けたくなるほどにグロテスクで、血が溢れるように流れ出していた。


「……」


 無駄な皮が重力に引っ張られて、地面に緩く広がっている。


 その光景もまた、今の熊もやはり一つの命であったのだということを自覚させてくる。


 それを成した者は、


「あなた、怪我はない?大丈夫?」


「ぁ──」


 俺は、この日の出会いを死ぬまで忘れないだろう。


 目に焼き付いてくる、その子の微笑み、風で揺らぐ金色の滑らなか髪。しっとりと潤う唇。


 一度目があったら、もう己の意思とか関係なく、脳が支配されて、その子の淡い水色の瞳から目が離せなくて……


「好きです」


「……え?」


 その言葉は自然と出ていた。


 こんなのキャラじゃない。


 どうせ蔑まれるがオチ。期待なんてすべきじゃ──


「──俺と」


 ダメだ。


 止まれ。


「俺……と」


 それ以上口にしたら、後戻りができなくなる。


 後悔しか残らなくなる。


 わかってるはずだ。散々経験してきただろ。


 あれほど……


 ……あんな変な獣に出くわして、九死に一生を得て、それなのに……なんでこんな考えが浮かぶんだよ……


 脳内物質のなにかしらでも湧き出てるのか?


 阿呆だ。馬鹿だ。命が助かっただけで十分だろ。それ以上なにを望むんだよ。


 それこそ死が──


「──ははっ……」


 そうか。そもそも、これ自体ありえないことなんだ。あんな獣も、こんな綺麗な子も、身体の痛みも。


 全部全部、夢なんだ。


 夢なら、夢の中でなら、少しくらい自分の理想の夢を見たって……いいだろ?


 だったら……あの記憶が夢であろうと現実であろうと関係ない。


「──恋人になってください」


「……はい」


 俺は、この日のこの選択に後悔は無い。


 例え、何が起ころうとも、絶対に正しい選択だったと思う。心の底から溢れる幸福感が、証明してくれてる。

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