第34話 小さな魔法少女は、単独で守り切ったんだ
部長は油性ペンを手に取って、ホワイトボードに何かを描きはじめた。
「八年前、アンチマターがこの国に現れたことは、二人とも知っているね?」
「知ってるよ」
部長は油性ペンを動かしながら、夏空の声に頷いた。
何を描いているのかと思えば、日本地図だった。
「奴らは我が国の都市部を優先して攻撃を仕掛けてきた。それはもう大人も子供も社長も平社員も、全て平等に人生を終わらせようとしてきた。誰もが次の犠牲者は自分か、自分の大切な人なのではないかと怯えていた」
部長はアンチマターの攻撃を受けた場所に、赤い油性ペンで点を打ち込んでいく。まさか全てを記憶しているのだろうか。北海道から沖縄まで、両手ではとても数えきれない量だった。自分でも驚く。もっと少ないのかと思っていた。
「このすべてを、小さな魔法少女は、単独で守り切ったんだ」
部長の目には尊敬、いや、崇拝の色が浮かんでいた。
「……でも亡くなった人も大勢いる」
「これらの都市の人口は合計で約8000万人だ。その中で亡くなったのは52万3256人。これを多いとみるか少ないとみるかは人によるだろう。だが相手が兵器の効かない得体のしれない化け物であることを思えば、やはり魔法少女はまごうことなき英雄だ」
演劇部のみんなも表情が明るかった。部長ほど極まっていなくても、似た考えをもっているのかもしれない。
「裏では米軍による核兵器の使用も検討されていたらしい。もしも実現していれば死者はこれだけでは済まなかっただろう」
知らない話だった。私は魔法少女に関する情報から可能な限り目をそらしていた。
数字と現実は別だけど、この人が魔法少女を崇拝する理由は分かった。
「……それで、恩返しって?」
「それはもちろん、魔法少女プリティーダイヤの偉大さをみんなに知らしめることだ!」
部長はホワイトボードに『英雄譚』と大きく書いた。そしてそれをさらに大きな丸で囲った。
「ここにいる四人はみな魔法少女に命や家族を救われている。だが彼女は八年経った今ですら行方が分からない。本人に感謝を伝えるのは不可能なのだよ。だからこその恩返しだ!」
部長は胸を張って笑みを浮かべている。私は思わずため息をついた。この女は変人だけど悪意なんて一切なかったのだ。もしかすると魔法少女を「英雄」とたたえる雑誌も、部長みたいな人が作ったのかもしれない。
怒るに怒れず感情のやり場に困る。夏空まで優しい顔をしていたのだ。
だから私は思ったままのことを伝えた。
「……でも魔法少女的には、みんなが元気で幸せに過ごすのが一番のお返しだと思う」
「ふむ、流石白峰君だ。確かに彼女ならそういうだろうな」
そういうだろうな、じゃなくて本人がそう思ってるんだけど……。でも正体を明かすわけにもいかない。
崇拝されるのは絶対に嫌だ。英雄と呼ばれるのも嫌だ。
目の前のティーカップに手を伸ばす。紅茶をすすっていると、部長は正面の椅子に腰を下ろした。
「そうだ。二人とも、仮入部という形で演劇部を体験してみないか?」
「……なんで?」
「私は魔法少女だけでなく演劇自体も好きだ。だから君たちにも演劇の楽しさを知って欲しいのだよ。嫌なら劇には出なくていい。ただ私たちと日常を共にしてくれるだけでいいんだ。どうだいやってみないかい?」
夏空は尻尾を振る犬のような顔で私をみていた。今すぐにでも飛び出していきそうな雰囲気だ。やっぱり部活に興味があるのだろう。
私はそれを抑え込んで部長に問いかけた。
「何が目的?」
「二人を害する気はないさ。もちろん多少の『宣伝効果』は期待しているがね」
その言葉に便乗するように、浪人たちが言った。
「演劇部には一年生がいないのでござる。このままでは来年に廃部してしまうのでござる」
「この場所には思い入れがあるのですわ。廃部は嫌ですわ!」
「客寄せパンダをお願いする前に、この妙ちくりんなキャラ付けをやめるべきだと思うのだわ……」
人を遠ざけている自覚はあったのか……。ゴスロリの言葉に心の中で突っ込む。
「どうだい二人とも。返事を聞かせてくれないか」
部長が私たちを交互に見遣った。
わたあめは、正反対な考えをもつ人と接してほしいと言っていた。色々なことを経験してほしいとも笑っていた。
価値観が凝り固まってしまうことの危険性を、私は身をもって理解している。正直、このコスプレ軍団に混じるのは気が進まない。でも全く話の通じない奴らでもなさそうだし、何より夏空がとても入りたそうにしている。
夏空は私に付いて回ってばかりで部活にも入っていない。でも本当なら学校生活を楽しむべき女だ。
だから私は控えめに頷いた。
「……まぁ仮入部なら」
「私も入りたい!」
食い気味な夏空をみて、部長はくつくつと笑う。
「いいとも! 二人を歓迎しよう! 我らが演劇部に!」
疎らな拍手がぱちぱちと部室に響いた。
*
部活動は明日から行うらしい。ほとんど歓迎会のようなノリのまま、時間は過ぎていった。やがて下校時刻が近づくと、浪人もシンデレラもゴスロリも部長も、みんな制服に着替えていた。こうしてみると、ただの高校生でしかない。
「ごめんなさいなのだわ。今日は塾があるから少し急ぐのだわ」
ゴスロリ――今はただのツインテール女子高生な黒森は、廊下を早歩きで進んでいく。黒森というよりは、やっぱり「ゴスロリ」という感じだ。これからも心の中ではゴスロリと呼ぼう。
浪人――今はただの長身の女子高生な時雨も「拙者も塾でござる。さらばでござる」と一足先に帰って行った。シンデレラ――今はただの派手めなギャルの華宮も「お先に失礼しますわ!」と長い髪を揺らしながら歩いていった。
そうして部室に残ったのは、軍服を着ていた部長――今はただの眼鏡をかけた女子高生な奏屋と、私たちだけだった。
「部長はまだ帰らないの?」
夏空の問いに奏屋は微笑む。
「まだ用事がある。二人は雨が止んでいるうちに帰りたまえ」
「……それじゃ遠慮なく」
「じゃあね部長」
「うむ」
部室を出て扉を閉めようとしたそのとき、奏屋が「待ちたまえ白峰君、伝え忘れていたことがある」と私を引き止めてきた。何だろうと目を細めていると、奏屋は唐突に「すまなかった」と頭を下げた。
「白峰君は魔法少女が嫌いなんだろう。もしかすると八年前、辛い目に会ったのではないか?」
「だとしたら何」
「馬鹿なことを頼んですまなかった」
「……別にいい。たぶん奏屋が思ってるのとは違うから」
私がつぶやくと奏屋は顔を上げた。ずれた眼鏡を人差し指で直している。
奏屋はきっと良識のある人間なのだろう。変わり者ではあるけれど。
「……それじゃまた明日」
それだけ伝えて背を向ける。
「ああ! また明日! 白峰君!」
明かりがついていても薄暗い廊下を、夏空と歩いていく。すぐに後ろで扉の閉まる音がした。
窓に目を向けると、見下ろした街の向こう側、地平線の辺りが暗いオレンジ色だった。
「明日から楽しみだね! どんな練習するのかな」
「声を出したりするんじゃないの。よく分からないけど」
演劇は演技より何より、声量がないとダメだと聞いたことがある。私には厳しい練習になりそうだ。
階段の近くまでやってきたところで、後ろから声が響いてきた。内容は分からないけど奏屋の声だということは分かった。一人残って練習をしているのだろう。ここまで聞こえてくるのだから相当な声量に違いない。
「すごい声だね。毎日練習してるのかな」
なんて夏空が感心していると、四階から吹奏楽部の部員たちが下りてきた。
奏屋の声を聞いて、こんなことを言い合っている。
「うわ、またやってる」
「今年もあのひっどい劇やるのかな」
「去年は鳥肌立ちまくりだったよね」
「演劇部なんてもう廃部でいいでしょ廃部で」
夏空は険しい顔をしている。部員が通り過ぎてから小さくため息をついていた。
私は夏空ほど奏屋たちに肩入れしていない。去年の文化祭の演劇が酷かったのは事実だ。それでも他人を公然と馬鹿にする声を聞いて、いい気分にはならない。
「……帰ろう夏空」
ぎゅっと握り締めた拳を手のひらで包んでやる。夏空には似合わない横顔だった。
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