1−3




「真くん」


 目の前に立ちはだかった女の声に、ふたりは足を止めた。男はぽかんとしていたが、真には見覚えがあった。数日前に詰め寄ってきた女のひとりである。男が知らないということは、依頼人はこの子ではなかったのだろう。

 彼女は5人のなかでも控えめな子であった。言ってしまえば地味であったが、今日はさらにそう見える。よく見れば髪のセットはおろか、化粧すらしていない。目の下には隈ができているし、どこか目が虚ろである。

 真は瞬時に面倒くささを感じとった。


「この3日間ね、いろいろ考えてたの。あのときはみんなの前だからああ言ってただけで、嘘だよね。みんな好きって言わないと駄目だもんね。だって、言ってくれたもんね、私のことを愛してるって。私だけを愛してるって……ね? 本当はそうだよね」


 女の目は、真だけを見ていた。小刻みに揺れている瞳が危うい。その異様さに、すれ違う何人かは不審そうな視線を向けたり、避けて通っていく。

 ここで『君だけを愛してる』なんて言えば、丸く収まる上に真の安定した生活は戻ってくるだろう。しかし、それ以上に面倒くさいことは明白だ。真のなかで面倒くさいは使えないと同等である。

 真はゆるやかな笑みを浮かべた。女からして、いつも見ていた表情なのであろう。女の瞳が希望を含んだ光を揺らす。

 ヒモという世間一般的にはクズと言われる真だが、その外見は爽やかにも感じる柔らかい雰囲気をまとっている。そんな真の笑みに、人は騙されやすいのである。そして、それを真自身が重々承知している。

 冷たい風が真と女のあいだを駆け抜けた。笑顔という仮面をはがそうとやっけになっているような強さで。

 真は鬱陶しそうに自身の前髪をかきあげた。


「それは、嘘って言われたいの? それとも、真実が知りたいの? どっち?」

「……え?」

「しょうがないから両方に応えてあげる。うん、嘘だよ。今までの全部が嘘。どこにも本当なんてものはない……僕は、都合のよかった君たちが好きだっただけ。都合いい男でありたいわけじゃないから。だからもう、君はいらないかな」

「……なにそれ」


 女の瞳を揺らすものが、光ではなく涙へと変わっていく。


「こんなに好きなのに……」

「君が僕を好きだとしても、僕は同じものを返せないよ。そう最初に言わなかったっけ? それでもいいって言ったのは君だったと思うけど」


 女の両手が丸くなった。ギュッと音がしそうなほどの強さで握られた拳が、痛々しく震える。


「……死んでやる」


 か細い声がした。

 真はため息をついた。


「真実を知りたがったのは君でしょ」

「……真くんに捨てられるくらいなら死んでやるから!」


 女は金切り声そう言って、走っていった。真はその後ろ姿を見ながらも、いっさい追いかけようとはしなかった。

 だが、その瞬間に動いたのは、暴き屋の男だった。「あれは嘘じゃない」という呟きは真の耳にも届いていた。俺は関係ない、そう言い張っていたはずの男が女を追いかけていく。

 矛盾している。が、別段驚きはしなかった。

 真は男の背を追いかけた。勢いよく走り出したくせして、そんなに進んでいなかった男に追いつくのはすぐだった。ジョギングしている気分で男に並んだ。


「ねえ、なんでわかるの?」


 自身でも内心びっくりしてしまうくらいにシンプルな質問だった。チラリとこちらに向けられた視線が、ちょっと恥ずかしいくらいに。

 マスクしている男の表情はハッキリとはわからない。それでも、なんとなく笑われた気がした。


「……企業秘密」


 男はそう言って、足をとめた。すでに男の肩は上下に動いていて、彼の運動不足さが見てうかがえる。女の姿はすでに見えない。追いつくのは諦めたらしい。

 男がどこかへと電話しはじめた。

 真は一緒に立ち止まって、男の電話内容を聞いていた。


「……あ、向かってほしいところがある……死のうとしている女がいて……そう。駅前のビル、どこか……え……追いつくのは無理だった……頼む……酒……煙草……あ」


 話の内容的に、さっきの女のところへ誰かを向かわせるようだ。ただ、なにやら相手が一筋縄ではいかないのか懸命に交渉していたのだが、『あ』の瞬間に男がこちらを見てきた。

 真は小さく首をかしげた。


「クズ男、いる」

「え……なんか僕、売られてる?」

「よし、頼んだ」

「交渉成立しちゃった?」


 電話を終えた男が静かに息をついた。そして、辺りやビルの上などいたるところを注視しながら、ゆっくりと歩みを再開させる。


「誰?」

「……企業秘密」

「またそれ? ……まあ、いいや」


 真は、動きつづける男の瞳を見ながら歩いていたが、ふいに足をとめた。


「ねえ、さっきのことなんだけど」


 真の声かけに、男も足をとめ、わずかに振り向いた。


「そんなに駄目かな、嘘って」

「は?」

「だって、君が暴くまで、あの子たちとっては真実でしかなかったんだよ。嘘は一種の夢。僕は甘い夢を見せてあげてただけ。僕の生活とひきかえに。いわば等価交換だよ」


 じっと男が真の顔を見ていた。また、あの目だ。


「……言っただろ、知りたいと思ったのは依頼人だって。俺はそれに協力しただけだ……無責任ってだけで、嘘が駄目だとは言ってない。この世は嘘であふれてる。嘘をつかないやつなんていない。嘘がこの世からなくなることはない」

「君、暴き屋だよね? そんなこと言っていいの?」

「……嘘は人を騙すことがすべてじゃない。ときに身を守るためのすべになる。ただ、そこに絶対っていう確証がまったくないのが嘘だ。だから、そもそも嘘に責任なんて存在しない」

「んー……じゃあ、なんで君は暴き屋なんてやってるの? 話だけ聞いてたら君はけっこう嘘肯定派じゃない?」

「肯定派ってわけじゃない。ただ……わかるから。本人が暴くことを望むなら、俺はそれに応えるだけだ」

「でも、その結果がさっきの子じゃん。それについてはどうなの?」


 意地悪な質問だと自覚していた。とっさに動いた男の姿が答えなのだから。

 男の視線が左下に落ちた。



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