第37話 広報記事で“真ん中構図”を量産するな

三学期も何日か過ぎて、ようやく朝の寒さに体が慣れ始めた頃、ホームルームの時間に珍しい人が教室に現れた。


カメラを下げたレイ先輩だった。


「おじゃましまーす、1-Bのみなさん」


ドアを開けてひょこっと顔を出すと、教室の空気が一気にゆるむ。何人かが「レイ先輩だ」「広報の人来た」と小声で騒ぐ。


田所先生が笑って言う。


「はい、今年もこの時期が来ました。レイ、説明頼む」

「はーい」


先輩は教卓の前まで来て、下げていたカメラを軽く持ち上げた。


「生徒会広報の佐伯でーす。今日は“1-Bの一年”まとめ記事用の素材を回収しに来ました」


クラスの何人かが拍手する。完全に見慣れた光景らしい。


「文化祭までは写真取ってあるから、冬以降の“最近の1-B”が欲しくてね」


そう言って、先輩の視線が俺のほうをちらっとかすめた。


「もちろん、真ん中のみなさんの許可も取りつつ」

「“真ん中のみなさん”って言い方やめません?」


思わず口が動いていた。


「一人じゃないのがポイントだからさ」


レイ先輩は悪びれもせず笑う。


「ほら、前の席の安達さんと、右の佐藤さんと、その角にいる佐藤くん。三角形セットで真ん中」

「セット商品みたいに言わないでください」


右から、美咲が小さく手を挙げた。


「記事って、どこに出るんですか」

「学校の公式サイトと、在校生向けブログ。あと、来年度のパンフに一部流用されるかも」

「パンフ」


誰かがオウム返しする。教室の空気が、ちょっとだけざわっとする。


「そう。つまり“来年度の新入生が見るやつ”だね」


レイ先輩は、さらっととんでもないことを言った。


 


ホームルームが終わると同時に、撮影タイムが始まった。


「じゃ、まずは“いつもの1-B”ってことで、適当に自然なところ撮らせてね」


レイ先輩は、教室の後ろのほうから、カメラを構える。パシャ、パシャとシャッター音が鳴るたびに、教室のどこかが固まる。


「自然にしててって言われると、一番自然じゃなくなるやつだよね」


美咲が小声で言う。


「そうだな」

「ねえ、真ん中。こういうとき、どこ見てればいいの」

「プリント見とけよ」

「じゃ、真ん中見る」

「それが一番自然じゃないだろ」


案の定、シャッター音のあとで先輩の声が飛んできた。


「はい、“真ん中見すぎ三角形”入りましたー」

「タイトルやめてください」


安達が前で、少しだけ肩を震わせている。


「こっちも自然じゃない気がする」

「いつも通りでいいから」

「“いつも通り”が、どのくらい真ん中見てるか自覚ないんだけど」


前と右と角の視線がややこしい方向に絡まり始めたあたりで、レイ先輩が近づいてきた。


「はい、じゃあ“真ん中の人たちの机まわり”一枚いきまーす」

「真ん中の人たち」

「真ん中の人たち」


左右から復唱が飛んでくる。


「いや、真ん中って一人じゃないからさ」


レイ先輩は、机の上を指さした。


「前には電卓と色ペンが並んでて、右には付箋とピンが散らばってて、真ん中には“真ん中LV”ってメモがあるわけで」

「なんでそれ知ってるんですか」


思わず身を乗り出した。


「このあいだ、写真整理してたときに、ちょっと写り込んでたんだよね」

「勉強じゃないところまで観察しないでください」

「でも、“真ん中LV”って単語、絶対記事で使いたいんだよなあ」


先輩はそう言って、カメラの液晶を確認する。


「“1-Bの真ん中LVが上がる一年”って、いい見出しじゃない」

「やめてもらえませんか」

「匿名だから平気平気」

「匿名の意味知ってます?」

「名前は出さないって意味」

「それ以外にもあると思うんですけど」


そんなやり取りをしているあいだにも、シャッターは容赦なく切られていく。


 


三限目と四限目の間の休み時間、レイ先輩は田所先生のところにいた。教卓の上に、例の目標カードの束が置かれている。


「先生、これって“クラスとして印象的だった一文”とか、もらえたりします?」

「全部は見せられないけどな」


先生は束をぱらぱらとめくりながら答える。


「個人が特定されない範囲でなら、何個か抜粋していいぞ」

「やった」


レイ先輩が身を乗り出す。


「“クラス目標”のところとか、おもしろいのあります?」

「そうだなあ……」


田所先生は、何枚かを指で弾きながら選んでいく。


「“困ってる人を見逃さないクラスにしたい”とか、“真ん中の人が一人で抱えすぎないようにしたい”とか、“三角形でちゃんと支え合いたい”とか」

「最後の一個、めっちゃ気になるんですけど」


レイ先輩が笑う。


「それ、“三角形の人たち”ですよね絶対」

「匿名だ」


先生が苦笑いする。


「でもまあ、確かにこのクラスらしいとは思うな。“真ん中”って単語が多い」

「ですよね」


レイ先輩は、メモ帳を取り出して、何かを書き留める。


「“真ん中って呼ばれてるやつがいると、その周りも勝手に真ん中意識し始める”って、なんかいいなあ」

「本人たちは大変そうだけどな」


田所先生の視線が一瞬こっちをかすめたので、そっと目をそらした。


 


放課後。

広報用の撮影は、最後にもう一枚だけ撮ることになった。


「じゃあ締めに、“1-Bと真ん中の人たち”集合写真いきまーす」

「毎年恒例のやつね」


春川が嬉しそうに言う。


「はいはい、背の高い人は後ろ、低い人は前。真ん中のあたりは……」


レイ先輩の視線が、まっすぐこっちに来た。


「佐藤くん」

「はい」

「そこ、教卓の前、ど真ん中に立って」

「なんでですか」

「見出し撮りだから」

「見出しってなんですか」

「“1-Bの真ん中”って文字がここに乗るの」


先輩は、俺の頭の上あたりを指でなぞる。


「それは嫌です」

「じゃあ、“1-Bの中心に近いところ”」

「大して変わってないですよね」


右から、美咲がすっと横に並んできた。


「じゃ、ここ“真ん中レーン”ね」

「レーンって」


春川が後ろから適当な合図を出す。


「はい、真ん中三角形、そのままー」

「真ん中三角形って何だよ」


そうツッコミながらも、周りがじわじわと位置を決めていく。後ろには男子が並び、左右には女子がすっと埋まる。その中心付近に、自然と三角形の頂点が揃った。


「はい、じゃあ“いつもの感じ”で笑ってー」


レイ先輩がファインダーを覗きながら言う。


「“いつもの感じ”って」

「文化祭のときみたいに」


文化祭。あのときの喫茶店の写真。中央に自分がいて、両側にエプロンの二人がいた構図が頭をよぎる。


(あの写真がまたどこかで使われるのか)


ちょっとだけ顔が引きつりそうになった瞬間、右から小さな声が飛んできた。


「大丈夫、真ん中」


美咲がささやく。


「真ん中にいるの、似合ってるから」


前からも、安達の声が追いかけてくる。


「こういうときは、真ん中にいてくれたほうが助かる」

「……そうかよ」


どっちに返事をしたのか、自分でもよく分からない声で答えた。


シャッターが切られる。

レイ先輩が、すぐにもう一枚。


「今の良かったけど、もう一枚」

「今ので終わりでよくないですか」

「真ん中はこだわって撮るの」


先輩は、ファインダーから目を離さない。


「“来年度の新入生が見たときに、ここ入りたいなって思う真ん中”を残したいじゃん」

「そんなところ見て学校決める人いますか」

「いるかもしれないじゃん、“真ん中先輩推せる”って思うかもしれないじゃん」

「やめてください」


二枚目のシャッターが、教室に響いた。


 


数日後。

夜、スマホの通知が鳴った。


学校の公式サイトからの更新のお知らせだった。

リンクを開くと、「在校生ブログ」の一番上に新しい記事が載っていた。


 『1-Bの一年、──真ん中から見える景色』


タイトルからして嫌な予感しかしない。


スクロールすると、文化祭の写真、体育祭の写真、冬の勉強会(仮)の写真が並んでいる。どれも、中央近くに見覚えのある後頭部や横顔が写っていた。


記事の途中に、目標カードから抜粋されたらしい一文がいくつか引用されている。


 「困っている人を見逃さないクラスにしたい」

 「真ん中の人が一人で抱えすぎないようにしたい」

 「三角形でちゃんと支え合いたい」


「……」


誰の言葉か、書かれてはいない。

でも、知っている人が見れば、一瞬で特定できるラインナップだった。


記事の最後に、例の集合写真が載っていた。

教卓の前、三角形の真ん中あたりに、自分が立っている。その左右と前に、美咲と安達と、クラスメイトたち。


その下に、小さくキャプションが添えてあった。


 “真ん中に立つ人が一人いると、その周りも真ん中を意識し始める、──そんな1-Bの一年でした”


「……勝手にまとめないでほしいんだけどな」


思わず声に出していた。


そのとき、個人チャットが二つ、ほぼ同時に震いた。


 【misaki_s】

 『見た“真ん中から見える景色”って記事タイトル、すごいね』


 【adachi】

 『記事読みました、三角形の話、ちゃんと拾われてた』


まず美咲のほうを開く。


 『タイトルやめてほしい』


 『でも写真はよかったよ、“真ん中の人と、その周りの人”って感じで』


 『その周りの人のほうが目立ってたけどな』


 『それはそう、真ん中は、目立ちすぎないくらいがちょうどいいんだよ』


安達のほうを開く。


 『匿名なのに、全然匿名じゃない感じでしたね』


 『こっち側から見てればな』


 『でも、外から見たら“なんか真ん中の話が多いクラスだな”くらいで止まると思います』


 『それはそれで嫌なんだけど』


 『でも、“困ってる人を見逃したくない”って書いたの、後悔はしてない』


少しだけ迷ってから、こう返す。


 『俺も、“真ん中を自分で選べるようになりたい”って書いたのちょっとだけバレた気がするけどそこまで後悔はしてない』


送ると、すぐに返事が来た。


 【adachi】

 『よかった、じゃあ、記事のタイトル分くらいは、前向きに受け取っておきましょう』


 【misaki_s】

 『“真ん中から見える景色”、ちゃんと好きになってこ』


二つのチャットを交互に見ながら、記事の集合写真をもう一度スクロールする。


“真ん中から見える景色”は、自分の目には見慣れてきたけど。この写真を、まだこの学校に来ていない誰かが見て――


“この真ん中先輩、推せる”


とか思う未来が、本当にあるのかどうかは分からない。


ただ、その可能性を楽しそうに語れる先輩と、その三角形の中にいる二人がいることだけは、たぶん間違いない。


ノートを開いて、ページの端っこに小さく書き足す。


 ・広報記事

  “真ん中から見える景色”でまとめられた

  真ん中LV.1.9 → 2.0(外から名前をつけられたぶん)


数字を2.0に書き換えた瞬間、ちょっとだけ背中がむずがゆくなった。


でも、画面の中の自分は、思っていたよりも悪い顔をしていなかった。

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