第16話 夏休みの宿題を先に終わらせるな
八月の終わり、午後三時。
窓の外でセミが最後の追い込みみたいに鳴いている。
俺の机の上には、
算数ドリルならぬ数ⅠAのワーク、
白すぎる読書感想文の原稿用紙、
そしてなぜかまだ手つかずの自由研究の用紙が広がっていた。
(終わらん)
「はい、終わらせに来ました〜♡」
ドアがバーンと開く。
先に入ってきたのは、もちろん佐藤(仮)。
今日は家仕様のTシャツとショートパンツ。
髪はゆるいお団子で、部屋着なのに写真映えするタイプ。ずるい。
「おじゃましま〜す♡ 未来の同居スペース視察〜♡」
「やめろ。高校生の部屋だ。」
「高校生の部屋も未来に続いてるからセーフ♡」
「セーフじゃない。」
続いて、ノックの音がちゃんとしてからドアが開く。
「……おじゃまします。」
安達ほのか。
こちらは白シャツにジーンズ、黒ボブはきっちり耳にかけて、クリアフレームのメガネ。
手には紙袋と、色分けされたファイル。
「なにその差」
「“勉強しに来ました”の服装」
「“勉強終わらせに来ました〜♡”の服装」
同じ目的のはずなのに、言い方で雰囲気が変わる。
◇
机の上の惨状を見て、二人の反応。
「うわ〜〜〜」美咲。
「……予想はしてた」安達。
「まずは宿題の現状把握」と安達がファイルを開く。
中には**“蓮の宿題チェックリスト”**が印刷されていた。
日付欄、進捗欄、優先度。ガチ。
「これ作ったの?」
「作った。ラインで聞いて埋めた。」
「監査役かお前は。」
「で、残ってるのが──」
・数学ワークの後ろ3ページ
・英語長文のプリント2枚
・読書感想文
・自由研究(ほぼ白紙)
「結構残ってるな!」
「分かってるよ!!」
美咲が袖をまくって、ドヤ顔で言う。
「安心して〜♡ 自由研究は先に終わらせておいたから!」
「は???」
「はい、これ〜」
取り出したのはクリアファイル。
表紙にはマジックで大きく、
『クラスに“佐藤(仮)”がいると夏休みはどう変わるか』
「テーマがもうふざけてるんだよ!!!」
安達が食い気味にツッコむ。
「それ、“研究”じゃないでしょ。」
「ちゃんと“観察”して“記録”したよ?
・LINEの回数
・呼び方の変化
・親のテンションの推移
グラフも作った♡」
「グラフってどんな軸だよ。」
開いてみると、
横軸:日付
縦軸:
・“奥さんって言いそうになった回数(美咲)”
・“止めた回数(蓮)”
・“笑ってた回数(安達)”
という、よく分からない棒グラフが並んでいた。
「これ、先生に出したら職員会議にかけられる自由研究だぞ。」
「そのときは田所先生が守ってくれるから大丈夫〜♡」
「先生を戦場に出すな。」
安達は深くため息をつく。
「……自由研究は普通に“図書館の利用状況”とかでいいから。これは個人アーカイブにして。」
「やだ〜♡」
「やだ、じゃない。」
◇
「じゃあ優先順位。数学から終わらせよ。」
安達がワークを手に取り、ページをぱらぱら。
「ここ、例題理解してないと詰むところだよ。」
「うん、詰んでる。」
「じゃあこれから。」
美咲が横からのぞき込む。
「私、分かるとこはマーカー引く係やる〜♡」
「係じゃない。それも勉強。」
「え〜♡」
結局、
・安達:解説&問題選別
・美咲:マーカー&「できたら褒める」係
・俺:ひたすら解くマシーン
という謎の分業になった。
「はい、ここ。xについて解いて。」
「えーと……」
「途中式、ちゃんと書いて。」
「うっ。」
横から美咲。
「蓮くん、途中式書かないのいつものクセ〜。」
「うるさい応援団。」
数学が片付き始めると、部屋の空気が少しだけ軽くなった。
扇風機がういーんと首を振って、窓からの夏の風を混ぜる。
◇
問題は、残り二つ。
読書感想文と自由研究。
「読書感想文は?」
「まだ本読んでない。」
「偉そうに言うな。」
安達が紙袋から文庫を出した。
「はい、“こころ”。」
「重いよ!!」
「中学のときも読んだでしょ。」
「中学のときも感想文書いてないもん。」
「それを胸張るな。」
美咲が手を挙げる。
「はい! 私が読んで要約してあげようか♡」
「それもアウトだよ。」
「じゃあ……“好きすぎて苗字を先に合わせておいたんだけど気づく?”って感想文書こ♡」
「タイトルからして怒られるわ。」
「“先生、これは実話です♡”」
「やめろ。」
安達が机を指でトントン叩く。
「……じゃあ、こうしよ。」
「ん。」
「“こころ”は読み切れないから、短編のほうにしよ。学校指定のリストにあった“走れメロス”で感想文。要約は私が手伝うから、感想は蓮が書く。」
「お、現実的。」
「“こころ”は、高2か高3の夏にとっときなよ。」
「宿題を学年単位で計画するな。」
でも、なんかその言い方がちょっと好きだった。
“今やらなくていいこと”をちゃんと未来に置いてくれる感じ。
◇
夕方になって、光がオレンジになり始めたころ。
数学ワークは埋まり、英語プリントもなんとか終わった。
残るは感想文と自由研究。
「自由研究、どうする?」
「図書館の利用状況でいいだろ。」
「いいけどさ。」
美咲が、自分の“佐藤(仮)研究”ファイルを抱きしめて言う。
「これ、ほんとに出しちゃだめ?」
「だめ。」
「だめ。」
即答二連。
美咲、しょんぼり。
「でもさ」
と、安達が続ける。
「中身は、ちょっとだけ見せてもいいと思う。先生に。」
「え。」
「自由研究って出さないけど、『こういうこと考えてました』って、
来年とか再来年にちょっと笑って話せるようにしとけば。」
「……」
「“バカなこと、ちゃんとやってたな〜”って、未来の自分が肯定できるように。」
その言い方に、美咲がきょとんとして、すぐに笑った。
「やだ、ほのかちゃん、そういうとこ好き〜♡」
「やめて、今勉強モードだから。」
「“好き”に勉強モードとかないよ?」
「うるさい。」
◇
とりあえず今日の結論。
・自由研究:図書館の利用+ちょっと真面目な統計
・“佐藤(仮)研究”:個人アーカイブ+いつかのネタ
俺が原稿用紙に「ぼくは夏休みに図書館に行きました」と書き始めたとき、
美咲がぽつりと言った。
「ねえ蓮くん。」
「ん。」
「今日の“宿題地獄”さ。
“美咲と安達が両側から攻めてきた日”って感想文にもできるよ?♡」
「タイトルからして怒られるわ第二弾。」
「“ぼくはなつやすみに けっこんしかけられました”」
「1行目で保護者呼び出しだよ。」
安達が笑いながら、ペンを走らせる。
「じゃあ私は、“ぼくはなつやすみに ちゃんと宿題をしたひとがとなりにいました”って書く。」
「それは正しい。」
「“となり”ってどっち?」と美咲。
「両側。」
「やった〜♡」
◇
夜。
二人が帰ったあと、机の上に一枚のメモが残っていた。
・数学:終わり
・英語:終わり
・感想文:あと半分
・自由研究:あとまとめ
逃げるな。
──安達
終わったら“奥さんって言っていい日”、
ちょっとだけ近くなるかもよ?♡
──美咲
「宿題と人生の距離を勝手に連動させるな……」
そう文句を言いながらも、
俺はそのメモを机の引き出しの、いちばん取りやすい場所にしまった。
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