第5話 お弁当まで先に合わせておきました♡

「レン〜。お昼いっしょでいい?」


4時間目のチャイムが鳴ると同時に、後ろからふわっと甘い匂いがした。

ふり返ると、ゆる茶のセミロングを低めのポニテにしてる美咲が立ってた。今日は体育があったからか、まとめてるぶん首まわりが見えてちょっと大人っぽい。

でも手に持ってるのは、やたら女児アニメみたいなうさぎの保冷バッグだ。どっちに寄せたいんだお前は。


「お弁当作ってきたからさ。はい♡」


「“はい♡”じゃないんだよ。俺は作ってって頼んだ覚えは──」


「“俺のときは美咲で”って言ったじゃん。

“奥さんは俺が言うときだけ”って言ったじゃん。

じゃあその日のうちに“奥さんがやりそうなこと”しとくのが礼儀でしょ♡」


なんという論理ジャンプ。

昨日の“権限を俺にくれ”が、一晩で“じゃあ私がやるね♡”に変換されてる。人のセリフを勝手に家事に変えるな。


俺は一応ツッコむ。


「……それ、ただの“お弁当作ってきた自慢”じゃない?」


「そうとも言う♡」


かわいい顔で開き直った。

周りの女子が「え、弁当? 見せて〜」って寄ってくる。男子も「うわいいな佐藤〜」「またお前か〜」「おすそ分け〜」ってざわざわ。


「じゃあさ、ここで──」


「いやちょっと待て」


俺はその場で止めた。


「なんでだよ〜」と美咲。


「ここ、教室。ここで2人でお弁当って、“あいつらもうそういう感じなんだ〜♡”ってなるだろ」


「いいじゃん、“そういう感じ”だもん」


「まだじゃないって昨日言ったばっかだろ」


「じゃあさ、屋上♡」


「屋上はもっとカップル場所なんだよ!!!」


「じゃあ中庭♡」


「お前の辞書に“ふつうの場所”ってないのか?」


春川が机に頬杖つきながら口を挟んだ。


「お前ら、もう保健室で食えよ。どうせ“旦那さんです?”って言われるから一周して面白いぞ」


「言われんのかよ」



結局、「廊下寄りの、窓の近くの机2個くっつけ」で落ち着いた。

ぎりぎりクラスの端だから全員が見てるわけじゃないけど、見たい奴は見られる位置。

はい公開処刑。


「じゃーん♡」


美咲がバッグからタッパーと、お弁当箱と、小さい保温ボトルを取り出す。

ひとつひとつがパステルカラーで、全部に小さいシールが貼ってある。ハートとか、うさぎとか、「Good day!」とか書いてあるやつ。

こういうのを朝から詰めてくる時点で、今日のために早起きしたのがわかる。


「今日はねー、蓮くんちが好きって言ってた味に寄せた」


「……俺、好きな味の話したっけ?」


「したよ? 昨日うちで。お母さんが“蓮はね〜甘い卵焼きが好きなのよ〜”って」


「お前うちのスパイ力高すぎんだよ」


「情報は先にとる♡」


「戸籍も先にとるな」


ふたを開けると、そこには

• ふんわりした卵焼き(たぶん甘い)

• ミニハンバーグ(照りがしっかり出てる)

• ブロッコリーにマヨが星型

• ウインナーがタコになってるやつ

• ごはんは俵おにぎりが3つ


っていう、**教科書に載せたいくらいの“ちゃんとした女子高生弁当”**が入っていた。


「……いや、すげえな」


「え? すげえ?」


「すげえ」


「やった〜♡ じゃあこれ、奥さ──」


「それはまだ言ってねえって言ったろ!!!」


「えへへ♡ 言わせたくなっちゃう」


美咲は自分のぶん(こっちもちゃんと可愛い)を開けて、箸を一本こっちに差し出した。


「はい、あーん♡」


「もう周り見ろって!」


見回すと、クラスの何人かがあからさまにスマホ構えてる。

“高校ラブコメってこういうとこで生まれます”って動画を撮るな。


「じゃあ自分で食べるからスプーンだけちょうだい」


「はーい」


差し出されたスプーンを受け取って、一口。

……甘い。ちゃんと甘い。卵の味がちゃんとして、出汁の風味もある。

それっぽい顔をしてる女子がつくる“砂糖ドカ入れ卵焼き”じゃなくて、「家で何回もつくってる味」のやつだ。


「うめえな」


「でしょ〜。お母さん直伝。“男はね、最初に胃袋を握りなさい”って♡」


「それ昭和の女が言うやつだよ」


「でもほんとに握れたらそれでいいでしょ?」


「……まあ、悪くはないけど」


言いながら、チラッと安達のほうを見る。

安達は安達で、落ち着いたチェック柄のランチバッグから、たぶんお母さんが作ったやつを出してる。中身はのり弁系。こっちも美味しそうだけど、完全に“普通”だ。

安達と目が合ったら、向こうは「ふふん」って感じでスプーンを掲げてみせた。

“私はまだやってないからね。順番は残してるからね。”って無言で言ってる。

なるほど、ここでも真面目路線で来るのか。


美咲も気づいたらしい。横目でチラっと安達を見て、すぐこっちに視線を戻してきた。


「……ねえ蓮くん」


「ん」


「さっきのさ。

“奥さんは俺が言うときだけ”ってやつ」


「おう」


「あれ、ちょっとズルいよね」


「なんでだよ」


「だってさ、こっちはもうぜーんぶ先にやってんのにさ。最後のいちばんおいしいとこだけ“俺が言うから”って持ってくの」


「おいしいとこって言うなよ」


「でも、そういうとこが好きなんだよね〜」


さらっと言った。

しかも、言った瞬間ちょっとだけ目をそらす。

ずるい。いつもみたいに「好き好き〜♡」じゃなくて、「ほんとに好きだからここまでやってるんだよ?」って温度で言ってくると、こっちも急に真面目になる。


「……お前さ」


「ん?」


「なんでそこまでしてんの」


「え?」


「苗字まで変えて、親まで巻き込んで、弁当まで作って。そこまでして、もし俺が“やっぱ違うわ”ってなったらどうすんの」


ちょっと意地悪な質問だった。

俺の中で、昨日から引っかかってるやつ。

“全部先に取ったのに、肝心の気持ちがまだ”っていう、あの微妙なズレ。


美咲は箸を止めた。

口をへの字にして、ちょっとだけ考える顔になる。

その顔はいつものバカじゃなくて、中1のときに廊下でぶつかって「大丈夫?」って言われた女の子のほうに近い。


「……うーん。

でもさ、“やっぱ違うわ”ってなったらさ。

“じゃあ違わなかった世界のほうに行くねー♡”って言うだけだよ?」


「どこに行くんだよ」


「心のほうに♡」


「実体がねえ!!!」


「でもほんとにそうだよ。

“あのとき佐藤にしてなかったら、今こうなってないでしょ?”って言える世界があるなら、私はそっち作っておきたいんだもん」


「……」


「順番どおりにやるのもいいと思うよ? ほのかちゃんみたいに。あれはあれですっごい可愛いし、ちゃんとしてるし。

でもさ──」


そこまで言ってから、俺のほうをちゃんと見た。

ポニテの毛先が肩でゆれて、目じりに光が入る。さっきまでの“お弁当女”じゃなくて、本物のヒロインの顔。


「“あのとき先に佐藤になってくれてありがとう”って、いつか蓮くんに言わせたいから。

それが叶うなら、順番なんかどうでもいいやって思っただけ」


「……」


「だから、今日お弁当を先に合わせたのも同じ。

“あのときからずっと美咲の味食べてた”って言ってほしいの♡」


俺はちょっとだけ黙って、それからタコウインナーをつまんで口に入れた。

ケチャップがちゃんと甘い。子どもっぽい。でもうまい。


「……わかった」


「なにが?」


「“あのときからずっと美咲の味だった”って、

いつか言うわ」


美咲の顔がぱあっと明るくなった。

教室の端っこなのに、春川のやつが「お、なんか今いい感じのやつ出たぞ〜」ってこっち見てる。うるさい。


「約束ね?」


「約束」


「ほら、そうやって約束しちゃうとさ」


「なに」


「もう“奥さん”って言いそうになるじゃん♡」


「まだ言わねえって言ってんだろ!!」


「はーい♡ じゃあ今日は“お弁当の人”でいいや」


「それもどうなんだ」


そんなこんなで、俺は昼休みの半分を、

“ちょっとだけ未来にいる女の子の味”で埋められてしまった。

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