第3話 順番を守る女、参上

翌日。


「おーい、教室入るぞー。机くっつけんなよー」って担任が入ってきて、いつもの朝が始まる。

……はずだったんだけど、廊下に見慣れた顔がちらっと見えて、俺は思わず立ち上がった。


「……え、安達?」


「おはよ、蓮。びっくりした?」


教室のドアから顔を出したのは、肩ぐらいの長さのまっすぐな黒っぽいボブの女の子。前髪はぱつんじゃなくて斜めに流してる。制服のリボンはきっちり・スカートの丈も校則どおり。

美咲が“ふわふわした春物”なら、こっちは“新品のノートみたいに真っ直ぐ”って感じ。


「え、なんで同じクラス?」


「同じ中学から来てる子まとめたらここになったんだって。私、最初2組だったけど、朝きたら貼り替えられててさ」


後ろで担任が「ごめんな〜昨日入れ替え出ちゃってさ〜」って手を合わせてる。

いや、俺は別にいいけど……ここ、すでに難易度高めのクラスなんですけど。


美咲がすぐさま振り返った。

さっきまで友達と「今日のリップなに〜?」とか言ってたのに、一瞬で“縄張りチェック”の目になる。


「……だれ?」


「中学の同級生。安達ほのか。──えっと、説明むずいな。真面目なほう」


「真面目なほうってなに?」


安達は一歩前に出て、ぺこっと礼をした。

この“人の家にお邪魔します”感、クラスに入ってくるときに自然にできる女子ってだいたいモテるんだよな。


「安達ほのかです。えっと……たぶん、蓮くんとは、前からの知り合いです」


“前からの”って言われた瞬間、教室の温度が1℃上がった気がした。

美咲のほうに、みんなの視線が流れる。


美咲はにっこり笑って、すごく爽やかな声で言った。


「そっかぁ〜♡ じゃあ蓮くんの“旧姓時代”を知ってる人なんだね♡」


「“旧姓時代”ってなんだよ俺はずっと佐藤だよ!!」


クラス爆笑。

安達も「ちょっとそれは面白い」と笑っている。笑いのセンスが合ってしまった。やめてくれ。


先生が黒板の名前一覧をトントンと叩いた。


「じゃあ安達さんもこのクラスに入るので、仲良くするよー。……って、ほんとに佐藤が2人いるんだなあ」


そこでもう一回ざわざわ。

安達が黒板を見て、首をかしげた。


「……え、“佐藤 美咲”って」


「そう♡」


「佐藤くんの、えっと、親戚とかじゃなくて?」


「将来の♡」


「順番おかしくない!?」


やっと言ってくれたああああ!!!

ありがとう安達。俺の心がずっと昨日から言いたかったやつを、最初の一言でズバッとやってくれてありがとう。


安達はそれでも丁寧に続ける。


「だってさ、普通さ、話す→仲良くなる→好きになる→付き合う→家に挨拶→苗字、でしょ? なんで苗字からなの?」


美咲は椅子をくるっと回して、机にひじをついた。


「そっちのルートだと、途中で“やっぱ恥ずかしいからやーめた”ってなっちゃうかもしれないじゃん?

だから先に一番ドキドキするやつやっといたの♡」


「逆から落とすな!!」


安達が眉をしかめた。

この子、怒るっていうより「それ説明になってないよ?」って顔をするんだよな。中学でもよく見た顔だ。


「……ねえ蓮。もしかして、言ってないの?」


「言ってない」


「告白も?」


「してない」


「付き合っても?」


「してない」


「家に挨拶は?」


「昨日された」


「一番後ろが一番最初なんだけど!?」


クラス「ほんとそれ」って拍手してる。

やっとまともな人材が来た感じだ。


美咲は「ふふん」って笑って、金ピンで留めた横髪をくいって上げた。見せびらかすみたいに。


「でもね安達さん。書類は通ってるんだよ?」


「書類強っ……!」


「事務の人も『青春は応援しますね〜』って♡」


「事務が恋バナに参加してくるなよ!」


安達はふーっとため息をついて、それから俺のほうを見た。

黒ボブの毛先がすこしだけ肩で跳ねる。瞳は黒に近い濃い茶色で、目つきはおっとりなんだけど、芯がある感じ。

中学のときと変わってない。いや、ちょっとだけ大人っぽくなってる。


「蓮。私さ、こう見えて、けっこう前から蓮のこと好きだったよ?」


「……まじで?」


「うん。たぶん中3のときから。受験でさ、私が答案うっかり提出し忘れそうになったとき、“ほのかの分まだあります”って先生に言ってくれたでしょ。あれで“あ、この人ちょっと好きかも”ってなったから」


「そんな一瞬で?」


「一瞬で」


「私も一瞬で変えてきたよ?」と美咲。


「お前は戸籍を一瞬で変えてくるな」


安達はちょっとむきになって言った。


「だから、“長く好きだった回数”なら、私のほうが多いからね。」


その瞬間、教室の空気がまたふっと変わる。

• 美咲:外堀を全部埋めてきた女

• 安達:時間で勝ってる女


っていう構図が、全員の頭の中にできたんだと思う。

春川なんか「うわ〜これはおもろいやつだ〜」ってニヤニヤしてるし。


美咲も「へえ〜♡」って興味深そうに目を細めた。


「じゃあさ。どっちの“佐藤”が自然か、1学期で決めようよ♡」


「やだからね!?」と俺。


「いいじゃん、ゲームっぽくて」


「人の苗字をゲームにすな!!」


安達は即座に首を横に振った。


「私は順番守る。ちゃんと“話して”“仲良くなって”“好きって言って”“付き合って”、それから“佐藤”って呼ばれる。

だから──普通のやり方でも勝てるって見せるね。」


言いながら、スカートのポケットから小さめのスケジュール帳を出す。やっぱりこの子、計画で動くタイプだ。


美咲はそれを見て、楽しそうに手を叩いた。


「わー、計画派だ! じゃあ私も計画立てよっかな。今日:お母さんに蓮くんの味の好みを聞く。明日:お弁当を作る。あさって:親に“高校のうちに同居ってできますか”を試してみる」


「レベルが違うんだよ!!!」


「同居はまだやめなさい」と先生がようやく止めた。遅い。



休み時間。

俺は自分の席で頭を抱えていた。机の上に「蓮くん」「レンくん」「旦那さん」って3枚のメモが並んでる。誰だよこれ書いたの。


そこに、安達がそっと来た。

近くで見ると、まつ毛は長いけどマスカラは薄め。ノーメイク寄りで、でも肌がきれいだから高1女子の「ちゃんとしてる」ラインに見えるやつだ。


「ねえ蓮。あの子、ほんとに“先に佐藤にした”の?」


「マジで。書類も出してた。俺の母親ともう仲良くなってる」


「はや。……でもさ」


安達は少しだけ笑った。

中学のときよりも、笑うと口角がきゅっと上がるようになってる。大人っぽい笑い方。


「私、“安達”って呼んでくれてた期間長いのは私だから。

その分だけは、私のほうが先にいるって思ってるからね。」


「……うん」


「だから、負けたくない」


「……うん」


「それと──」


安達は俺の耳元に顔を寄せて、小声で言った。


「“まだ結婚してないほうの佐藤”って呼ばれてるの、ちょっとかわいそうで可愛かった」


「聞かれてたあああああ!!!」


顔が真っ赤になったところで、後ろからふわっとシャンプーのいい匂いがして、美咲が割り込んできた。

美咲はゆるい茶色で、安達はまっすぐ黒。2人が並ぶと色味でライバルってすぐわかる。


「なに話してたの〜?」


「いや、なんでも」


「蓮くん、顔赤いけど?♡」


「うるさい」


美咲はくすくす笑って、俺の机の上のメモを一枚ひらっと取った。


「じゃあ今日はこれで呼ぶね。──“まだ好きって言ってくれてない佐藤くん”♡」


「長い!!」


こうして、俺の高校生活に“順番を守る女”が正式に追加された。


そしてここから、苗字から始めた恋と、順番から始める恋の、見るからにめんどくさい戦いが、本当に始まるのだった。

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