忘却のエリンジウム
御月ケイ
第1話 猫とツタと探偵クラブ
──チリン
今、雪見の目の前に猫がいる。
「みゃん」
柄は三毛。
細身でクリクリした目を持つ、中々の美猫だ。
道路脇の植え込みのレンガ。その上にちょこんと座って雪見を見つめている。
「──ツタだ」
雪見の言った通り、猫からツタが生えていた。背中あたりから黒ずんだ緑のツタが細く、長く、グルングルンと体に巻き付いている。そしてそのまま猫から上の方向に伸び、その先端は"消えていた"。
(取ってあげないと……)
だって、これが見えているのは雪見だけだ。
雪見は、このツタが見える人に今まで会ったことがない。
雪見が猫に手を伸ばすと──
「みゃうん」
「あ!」
ぺしっと雪見の手を叩き、猫は走り去ってしまった。
雪見はどんどん遠くなっていく猫の背中を見送る。
(まだ葉もなかったし……大丈夫だよね?)
そうして躊躇うように道路を見ていると──
「雪見! 何してるの? 遅刻しちゃうよー!!」
角の向こうから親友が顔を出し、雪見を呼ぶ。
「ごめん! 今行くよ!」
最後にチラリと猫が去った方を見て、雪見は親友の後を追った──。
***
「雪見、なんかご近所でゲートが見つかったらしいよ」
隣を歩く親友──
朝のニュースで雪見も見た内容だった。
(ゲートか……)
だいたい八年前だった。
世界に不思議が生まれたのは。
理由や原因なんて、雪見は知らない。
この頃、不思議なことはいろいろ増えて、そのうちのひとつが"ゲート"の存在だった。
「危ないから近寄らないようにね」
「はーい」
雪見の言葉に、真梨枝は素直に返事をした。
まるで水球のようなそれは、世界中のあちこちにある日突然現れた。
ふよふよと宙に浮かび、光を反射して揺らめくその水は、やがてゲートと呼ばれることになった。
見たことがない雪見にとってはただのファンタジーだが、世間は大騒ぎだった。
その名の通り、それは不思議への入口だったのだから──。
──キーンコーンカーンコーン
「吸い込まれたら、幽霊になっちゃうらしいよ!」
放課後──
転校初日授業を終えた真梨枝は、わざわざ雪見のクラスまでやってきて、両手を垂らしお化けポーズをとる。
「あ、うん」
とりあえず頭を撫でてあげると、真梨枝はえへへと笑う。
ゲートの話は、雪見の転入したクラスでも話題だった。この時期の転入生より、俄然生徒の興味を引く話題なんだから仕方ない。
(見たことない人がほとんどだもんね……)
窓から流れ込む風に髪を押さえながら、雪見は窓の外を見る。いい天気だ。
結局のところ、確かに世界は変わったけれど、人々の日常は何ひとつ変わらなかった。
正体不明の水球を調査した結果、誰にも何もわからなかったからだ。
それでもゲートなどという名前がついたのは──中に吸い込まれた人々が、誰も戻らなかったからだ。
「
「何? 入ってみたいの?」
「え、違うよー」
噂では、とある世界の入り口なのだとか。
(確かめようがないけど)
街中に、立ち入り禁止のテープが増えていく。
新しい高校生活も、たぶん無関係に進んで行くんだろう。平和が一番だ。
──と、思っていたのだが。
「へいへいへーい! 今日転校してきた
のんびりしていた雪見と真梨枝は、突然の乱入者の突拍子もないその言葉にポカンと見つめ合う。
「やあやあ、部活決まってないだろー? どうかな? 同じクラスになったよしみで!」
「え……ええー……」
目の前の小学生の男の子みたいな女の子は今日、真梨枝が転入したクラスにいた女の子であるらしい。
「(確かそう! 名前まだ覚えてないけど)」
ボサボサのショートカットに顔に似合わぬ大きなメガネ。度は強くなさそうだが、あまり似合ってない。
雪見から見て、その辺を抜いても可愛い子だと思った。
(まあ、それはともかく)
雪見はひとりツッコミをしつつ、目の前の少女に意識を向ける。
「ダメかなー? ダメかなー? ちょっと人数厳しくてさ、助けると思って! 学校や地域の案内、あっちこっちの噂話とか、耳に入れちゃうよ! 馴染めるよ! たぶん!」
たぶんという言葉を使わないでほしい。
「ねえ、探偵クラブって何するの?」
真梨枝は少し興味を引かれたようだった。フワフワの長い髪をふわりと揺らし、小首を傾げながら質問する。
「よっくぞ聞いてくれました!! 探偵クラブはさぁ、その名の通り探偵だよ。迷子の捜査から、街を騒がす事件まで、独自に調査していくよ!」
意気揚々と答えたメガネ少女。ノリとテンションはどこまでも高そうだ。
「街を騒がすってどんな?」
日差しを避けるようにノートで影を作りながら、雪見も首を傾げる。
「ふむふむ、気になるよね? そうだよね、わかるよ」
「わからないよ……」
「興味は尽きないよね! 探偵なんて面白そうだもんね」
「あー、うん、そうだネ」
「雪見、棒読み……」
真梨枝のツッコミをよそに、うんうんとメガネ少女は頷き、大きく手を打った。
「失踪事件とか、殺人事件も含むよ。とはいえ、警察の邪魔にならないようにという制限はつくけどね」
「それはまた……危なくない?」
というか迷惑では、という言葉が喉元まででかかった。
(いや、私ならこんなこと言わないな)
雪見はそう思い直して言葉を飲み込む。
「その辺はプロの監修が入るから大丈夫! ボクらはあくまでも体験って感じだよ。もちろん、危険のない仕事や、警察が動かないレベルのものは率先して解決に乗り出すぞー!」
「なんかすごいねぇ、雪見」
横で真梨枝が楽しそうにはしゃぎ出す。
これはもう行くしかないやつだと悟り、
雪見は遠い目になった。
***
「とりあえず、改めて自己紹介しとくねー! ボクは
部室に案内するという瑠花について、雪見たちは廊下を進んでいた。
迷わないように周囲を見ながら、雪見は瑠花の後ろを歩く。
「1年生なのに部長なんだ?」
「ぐはっ、そこは言わないお約束だぜ……」
「え、ごめん?」
とりあえず雪見は謝罪してみるが、瑠花は神妙な顔をする。
「いや、別にいいんだけどぉ。探偵クラブってさ、先生本物なんだよね」
しみじみ語り出した瑠花の話をまとめると、この探偵クラブの顧問は探偵学校を卒業して実務経験もある本物の探偵らしい。
そしてそんな先生がいるにも関わらず、この探偵クラブは、サボりたい生徒の巣窟だったという。
いわゆる、部活には所属しておきたいけどやりたいことはない人々の集まりだった、と。
「もったいないじゃん。だからさ? ちょーっとボクが意識改革をするために頑張った結果……」
「先輩達が逃げてしまった、と」
「ごふっ」
真梨枝の悪気のない言葉に、瑠花は致命傷を受ける。
雪見は、転入生を急いで勧誘しようとしてる理由がよく分かった。
(つまり過疎ってるんだね)
先行きが少し不安になるが、真梨枝が楽しそうなので良しとした。
雪見達が案内された場所は視聴覚室だった。ここが部室なのだという。
「よっし、我らが部員を紹介しちゃうぞ!」
そう言って瑠花が扉を開けると、1人の生徒がお茶を飲んでいた。
肩までの髪をハーフアップにしてる大人しそうな女生徒に、瑠花は驚いたような顔をする。
「……ひとり?」
「え、いつもでしょう?」
「ぐ……近藤君は?」
「大会近いって」
「えええ、ボク、ちゃんと新入部員連れ帰るって言ったのに……!!」
何やらふたりでやり取りしている所に、奥にいた教師がのんびりと顔を上げる。
無精髭を生やしたボサボサ頭の教師は、眠そうな声で笑った。
「おー、大塚、やる気に満ちてるなぁ」
「先生もやる気出してよ!?」
間髪入れずに声を上げた瑠花。
(これは人、来ないだろうなぁ)
雪見は再度納得するのだった。
「とりあえず自己紹介だ。ボクはさっきした。大塚瑠花だよ、よく小学生に間違われるけど女子高生だよ!」
横で先生がブフォッと吹き出す。
瑠花がすかさず睨むが、先生は笑いを止められない。
「私は
「ふほんい!!!?」
「え、うん」
「がーん」
見てると面白いふたりである。
「俺は
「殿仕事して!」
「何でだよ、ここでくらいのんびりさせろよ」
「顧問でしょ!?」
「体裁は保ってるだろ~?」
「ガッデム!」
瑠花は天を仰いだ。麗奈はお茶を飲んでいる。
(あ、面白いのはこの子だけだった)
認識を改める雪見である。
「こら、英語教師相手に汚い言葉使うんじゃありません」
「先生の日常よりマシだよ!?」
「なんだと、俺の口が悪いみてーじゃねぇか」
「雪見、楽しいね、ここ」
こっそりと耳打ちしてくる真梨枝に、雪見も苦笑いする。確かに着心地は悪くない。
「私は桜木真梨枝ですー。お菓子はマカロンが好きです」
はい!と手を挙げて、真梨枝は意気揚々と自己紹介を始めた。
「美味しいわよね、マカロン」
「確かに美味しいけど、ボクは生粋のチョコ好きだ」
「え、そういうこと言うなら私だってシュー系が好きだけど」
「俺はいちご大福一択だな」
「渋い上に可愛い!」
「で、雪見は?」
ワイワイとしていたものが突然真梨枝に投げられて、雪見は思わず飛び跳ねた。
壁の花のように待機していたはずなのに、と雪見は苦笑する。
「雪見はマカロン~?」
「え……私は...…」
雪見ならマカロンだろうか。
(いや……)
「私はマカロンじゃなくてマロン系が好きかな」
雪見がそう答えると、真梨枝は嬉しそうに微笑んだ。
「えっと、城井雪見です。そんなわけで、お菓子はマロン系かな。…………あれ? 入部って決まったんだ?」
「え、違うの!?」
「え……ええー……」
そこに、バタバタと走る音が聞こえて扉が開く。
「悪ぃ、遅れたー」
「近藤君! 遅いよ!」
「向こう優先なの、元からそういう約束だろー!?」
文句を言う男子生徒はスポーツマンといった青年ではなく、メガネをしたインドア派に見えた。
しかしユニフォームを着ているところを見る限り、大会が近くて練習しているというのなら選手なのだろう。
「人数合わせってだけじゃないのか……? あ、俺は
どうやらサッカー部と兼部しているらしく、大会が近いのでほぼ向こうに行っているとのことだった。
「うん、よろしくね~」
真梨枝はニコニコと返事をする。
「あとひとり部員がいるんだけど、彼は幽霊部員だからね……」
瑠花は苦い顔をする。
「呼んだら来るんじゃない?」
「え、じゃあ、呼んで」
「あいつ今日帰ったよ、俺見たよ」
「引き止めてよ!」
帰った人は仕方ない。
そもそもその
引きこもりなどではなく、遊び歩いているとか。
(その人も数合わせかな?)
そしてなんだかんだと、雪見と真梨枝は入部希望用紙に記入させられた。
瑠花は小躍りし、その横で麗奈はお茶を翔に渡す。翔は喉を潤してサッカー部に戻って行った。ちなみにその間、梶尾先生は寝ていた。
転校初日は、こうして終わっていったのだ。
***
夜ーー。
「楽しかったねー!」
真梨枝は屈託のない笑顔で探偵クラブの話をする。
雪見は同意し、夕飯の準備を進める。
ふたりは郊外のマンションに住んでいた。
雪見には、もう両親がいなかった。
どうしようかと思っていたところに、ひとり暮らしをしていた真梨枝に声をかけられ、居候させてもらっていた。
雪見はいつか収入を得たら、この恩を返そうと心に決めている。
「でもあの子たち、普段何してるんだろ」
「梶尾先生から、探偵術を習ってるんだよ!」
真梨枝は拳をグッと握り、目を輝かせて言い切る。
雪見は遠い眼差しをしながらそうだね、と答える。
(あの先生が教えてるところ、想像つかないけどな……)
そう考えてふと、彼も教師だったことを思い出す。
案外ちゃんと教えるのかもしれない。
そう考え直し、夕飯のサラダを盛り付けて机に持っていく。
(人は見かけによらないっていうしね)
そういうこともあるかもしれない。
「事件とか、ドキドキしちゃうね」
「んー。まあ、物騒なことを言っていた気がするけど、せいぜい猫探しとか簡単なものじゃないかな。さすがに」
朝の猫が頭をよぎったので、雪見は適当なことを言った。はずなのだが。
──翌日。
「依頼が来たぞ! ミケ蔵探しだ!!」
あっという間に回収されたフラグに、雪見は苦笑いし、真梨枝ははしゃいで意気込んだ。
「ミケ蔵…………すごい名前」
チリンと鈴を鳴らした昨日の猫が、雪見の頭をかすめる。
──こうして転入生活は騒々しく始まったのであった。
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