昼食時の出会い

 魔法界ブリアー――それは読んで字の如く、魔法に満ち溢れた魔法使いたちの世界。魔法を持たない只人たちの世界――物質界アッシャーとは異なるもう一つの世界だ。数百年前から一つの世界として存在しているらしいが、深紅はほんの一週間前に初めてその存在を知ったばかり。それどころか都市伝説の類ですら、魔法界などという存在を耳にした事は無い。

 それもそのはず、魔法界は物質界とは異なる次元に築かれた秘密の領域なのだ。物質界と同じ場所に存在はするものの、決して重なりはしていない。コインの裏表のように、基本的にはお互い干渉できない一種の平行世界染みた佇み方をしているのだ。魔法の力を持たない只人では魔法界に立ち入るどころか、見つける事すら出来ないのである。

 そんな魔法界に存在する魔法使いたちのための教育機関、アサナト魔法学院。それは中世の古城を思わせる古めかしい石造りの外観と、堅牢な城塞の如き佇まいを誇る魔法使いたちの学び舎だ。

 実際に中世の頃に建造された城を流用して作り上げた建物らしく、歴史を感じさせる趣きのある面構えである。大昔の石造りの建造物なので室温の乱高下が激しそうだが、そこは素晴らしき魔法の世界。廊下の端からトイレの個室まで完璧に室温が調整されており、暑すぎず寒すぎずの快適さを提供していた。

 無論快適なのはそれだけではない、施設一つとってもバイキング形式の食堂や何万という書物が収められた図書館、果てはバスケットゴールやサッカーゴールなどが併設された運動場まであり、生徒たちが快適に遊び学べる環境が用意されていた。

 惜しむらくは学院そのものが縦にも横にも広大過ぎる故、移動に時間がかかる事くらいだろうか。しかしそれ以外に欠点らしい欠点など無い、実に素晴らしい学び舎であった。


「――メシだ! 深紅、一緒にメシ食おうぜ!」


 入学式の後、深紅たちは教師に引率され学院の施設を回った。その途中で昼時となったため、新入生たちは一旦食堂で昼食を摂る事となった。

 食堂もまた広大であり、内装はまるでレストランのように明るく雰囲気良く整えられていた。そしてバイキング形式であるが故、当たり前のようにご馳走が並んでいる。唐揚げや天ぷらといった一般的なものから、うなぎや松茸といった高級食材による料理まで。中学時代に給食で出された微妙なものを除けば、深紅は一度たりとも口にした事が無いものばかり。これには感動で目頭が熱くなってくるほどだった。


「そうだね、そうしよう。あ、食べながらで良いから色々魔法界の事を教えてくれると嬉しいな」

「おう、良いぞ。けど絶対俺だけじゃ説明できねぇし、賢そうな奴見つけて一緒に食おうぜ!」


 とはいえ人の良い初雪に涙を悟られればどんな心配をされるか分からない。なので努めて涙を呑み込み、笑って返事を返した。

 そうしてトレイを手にした大勢の新入生たちと同様、並ぶご馳走を思い思いに取り最高の昼食を作り上げていく。自由に取って良いらしいがそれでも遠慮と若干の不安が捨てられず、結局深紅はトンカツと白米にサラダ、季節の果物という無難なメニューになった。それでも今までの食生活からすれば何十倍も彩り豊かで上等なのが悲しい所である。


「――お、ちょうど良さそうな奴発見! なあなあ、ちょっと良いか?」

「ひえっ!? な、な、なん、ですか……?」


 他にも食べて良いだろうかと考えていると、唐突に隣で小さな悲鳴が上がる。見れば初雪が一人の女生徒の肩を掴み、人当たり良くにっこりと笑いかけていた。

 とはいえ初雪は同年代にしてはかなり大柄。加えて少女が小柄なのも手伝い、彼女は結構な威圧感を感じたのだろう。すっかり怯えた様子で身を固くしていた。


「コイツが魔法界の事知りたいそうだからさ、色々教えてやるの手伝ってくれよ。俺じゃどうしてもまともな説明出来そうにないんだよ。俺馬鹿だからさ」

「え、あ、うぅ……!」

「初雪、彼女怖がってるよ」

「えぇ? 何でだよ、俺なんか悪い事したか?」

「まあ突然男に話しかけられたら怖がる人だっているよ。初雪は身体デカいし身長高いからなおさらね」

「そうなのか? 悪い事しちまったな。すまねぇ」

「あ、ぅ……」


 悪気は無かったようで、初雪はすぐに手を離し謝罪した。

 とはいえ少女は未だに縮こまってぷるぷると震えている。恐らく元来臆病な性格か、あるいは人と接するのが苦手な子なのだろう。だとすると下手に話を続けるのは悪手に違いない。


「怖がらせてごめんね? 無理に頼んだりするつもりは無いから、気にせずお昼にして良いよ?」


 なので深紅はなるべく安心感を与えられるように、距離を取った状態で微笑んだ。本当は手でも握ってあげた方が良かったかもしれないが、さっきの今で身体に触れるのはむしろ逆効果だと思ったのだ。


「は、はい……ご、ごめん、なさい……!」


 一応効果はあったようで、少女の頬に赤みが戻って行く。

 しかし怯えは捨てきれなかったらしい。頷きはしたものの、そのまま列を離れていずこかへと走り去って行った。もう一度並び直して食事を取って行く手間を考えても、自分に話しかけてきた男たちと一緒にいる方が嫌だったのだろう。


「良いのかよ、深紅? 言っとくけど俺じゃ詳しくは説明できないぜ?」

「良いよ、別に。大雑把な事さえ知れたら、後は図書館で調べるからさ」

「うげー、図書館か。俺にとっちゃこの学院で一番縁の無い場所だな」


 苦虫を噛み潰したような表情をしつつ、唐揚げを大量に取って行く初雪。

 どうやら今までに学校で図書館を利用した回数は少ないらしい。尤も放課後は毎日図書館を利用していた中学生時代の深紅と比べるのも、少々酷と言うものだろう。とはいえ深紅の方も、好き好んでそんな日々を送っていたわけではないのだが。


「――そんじゃ、いただきまーす!」

「いただきます」


 料理を取り終わった所で、四人掛けの席に二人で座りいざ昼食。

 ガツガツと貪り食う初雪を尻目に、深紅はまずトンカツに箸を伸ばした。狐色の衣を誇るそれは特製の濃厚ソースがかけられており、鼻を近付ければ香ばしい肉の香りと香辛料の刺激が鼻孔をくすぐる。

 本当に食べても良いのかと迷っていたが、そんな暴力的な香りに当てられては耐える事など出来ない。故に意を決してがぶりと食らいついた。


「……っ!」


 瞬間、咥内に至福が広がる。衣はザクザクと固く歯応えが良いというのに、内側の肉はまるで蕩けるような舌ざわり。ひと噛みした瞬間濃厚な肉汁が溢れ、刺激のあるソースと共に口いっぱいに味わいが広がる。

 中学校の給食で食べたトンカツとは雲泥の差。いや、同じトンカツと呼ぶのもおこがましいレベルだった。


「ど、どうした深紅!? 何か泣きそうな顔してるぞ!?」

「いや、ごめん……凄く、美味しくて……」


 当然人生で初めて食べたレベルの美味しさの権化に、深紅が耐えられるわけもない。気が付けば涙が溢れ出しており、抑えようにも次から次へと頬を伝って零れ落ちていた。


「旨すぎて泣く奴とか初めて見たぞ。お前今まで何食って生きてきたんだよ?」

「給食以外だと、生ゴミとか残飯、あとは調味料とかかな……」


 最高に美味しいものを口に出来た感動と喜びから、決して口にするつもりは無かった事が零れ出てしまう。

 深紅は今まで家庭の事情でそのようなものしか口にしておらず、まともなものを食べる事が出来るようになったのはつい最近、それも一週間前の事なのだ。覚悟はしていたがあまりにも料理のレベルが高く、感動を抑えられなかった。


「……ごめん。マジでごめん。無神経な奴で本当ごめん」

「いや、良いんだよ。気にしないで。今は幸せだから……」


 予想通り、初雪は真顔で謝罪を口にしてくる。先程の食生活から深紅の今までの家庭環境を推し量り、容易に踏み込んではいけないものだと悟ったのだろう。実際放課後は毎日のように図書館を利用していたのも、家庭環境に起因する。

 気にするなと言ったものの、かなり人の良い初雪は完全に流す事など出来ないらしい。何か言いた気に非常に居心地悪そうにしており、何度も口を開きかけていた。


「そ、そうだ! デザートも持ってきてやるよ! ちょっと待ってろよな、深紅!」


 しかし触れられたくない過去もあると判断したのか、最終的には席を立ちデザートを取りに走った。恐らく事情は聞かず、かつ深紅のためになる事を考えた結果そうなったのだろう。本当に友達甲斐のある奴である。


「ああ……本当に、美味しいな……」


 美味しいと感じる食事を、友人の想いを胸に抱きながら進める。気が狂いそうな多幸感に晒され、深紅はとめどなく零れる涙を抑えられなかった。だから顔を伏せ、誰にも涙を悟られないように食事を進めていた。


「あ……あ、あの……! こ、こりぇ――これ、どうぞ……!」

「えっ?」


 しかし不意に背後から肩を突つかれ、裏返った声をかけられて振り返る。

 見ればそこに立っていたのは一人の少女。癖の強い深緑の髪と、長い前髪に隠れ片方しか見えないライム色の瞳に深紅は見覚えがあった。つい先ほど、初雪に話しかけられ怯えていた人見知りの少女だ。

 しかも恥じらいで顔を真っ赤にしながらも、ぷるぷると震える手でハンカチを差し出してきている。まさか彼女が自分から話しかけて来るとは思わず、これには深紅も少々面食らった。


「君は、さっきの……」

「わ、私、は……尾白おじろ綾女あやめ、って言います……」

「そっか。僕は竜胆深紅っていうんだ。よろしくね、尾白さん。それとさっきはごめん。でもアイツは僕のために君に話しかけただから、アイツの事は嫌わないでくれると嬉しいな? 少し不器用な所はあるけど、凄く良い奴なんだよ」

「そ、それは、大丈夫です……あの、これ……」

「あ、ああ、ありがとう……」


 少女――綾女は正式な謝罪でも要求しに来たのかと思ったが、そういうわけではないらしい。深紅に半ば押し付ける形でハンカチを手渡してきた。

 どうやらボロボロと涙を零している所を見られていたようだ。人見知りにも拘わらずハンカチを貸しに来てくれる辺り、彼女もまた善き人物なのだろう。その勇気と優しさに胸を打たれたせいで余計に涙腺が緩くなったため、深紅は素直にハンカチを受け取り涙を拭いた。


「あ、の……竜胆さんは、魔法界の事を、知りたいんですか?」

「普通に深紅で良いよ。敬語もいらない。僕らは同級生だし、そもそも僕は敬われるような人間でも無いしね」

「あの、じゃあ……し、深紅、くん……」


 もじもじと俯きながら、綾女は深紅の名を口にする。これは怯えているというより、恥じらっているという表現が正しいだろう。怯えられるよりは深紅としても助かるのだが、異性に名を呼ばれるのは妙にむず痒く感じられた。


「うん。僕は物質界育ちだからね。魔法界の事を知ったのはつい最近だし、ここにも数日前に来たばかりなんだ。だからどうしても色々知りたくなってさ。授業で知る事もあるだろうけど、あまりにも常識的な事までやるとは思えないからね」

「そ、そう、なんですか……」


 綾女は意外にも会話を続け、立ち去る様子を見せない。むしろ何か言いたい事があるらしく、上目遣いに深紅を見上げたり目を逸らしたりしながら口を開こうと頑張っている。

 しかし考えてみれば深紅がハンカチを持ったままなのが原因かもしれない。とはいえ涙がたっぷり染み込んだハンカチをそのまま返すのもはばかられるので、後で洗って返す事を伝えようとしたその時――


「じゃ、じゃあ、その……私で良ければ、ご、ご説明、しましゅ――します、よ……?」

「えっ、本当!?」

「は、はい……私で良ければ、ですけど……」


 一世一代の勇気を出したように見えるほど頬を真っ赤にしながら、綾女が自らその提案を口にしてきた。これには深紅も涙が引っ込むほどに驚き、そして同時に感謝の念を抱いた。盛大に噛んだのは聞かなかった事にしてあげた。

 ファーストコンタクトに問題があった上、人見知りする性格なのは間違いないにも拘わらず、恥じらいと怯えを押し殺して無知な深紅の求めに応えようというのだ。初雪に続きこんなにも思いやりの深い人と出会うなど正に幸運であった。


「もちろんだよ! あ、でも尾白さんこそ良いの? きっと君は人見知りな子だろうし、僕みたいな奴と話すのは怖いんじゃ……?」

「だ、大丈夫、です……思ったよりも、怖い人じゃないって、分かりましたから……」


 チラリ、と綾女の視線が深紅の手にあるピンクのハンカチに向く。どうやら食事程度でボロボロ泣を零す男なら怖くは無いと思って貰えたらしい。

 しかし今更ながら、綾女はどうやって深紅が泣いている事に気付いたのだろうか。わざわざ後ろから話しかけてきた辺り、少なくとも見て察せるような位置にはいなかったはずである。


「そっか。ありがとう、尾白さん。このお礼はいつか必ずさせて貰うよ。あ、このハンカチもちゃんと洗ってアイロンかけて返すからね。って、アイロン借りられるかな……」

「あ、そ、そのままでも、大丈夫、です……」


 とはいえ深紅はその辺りを深く考えるつもりは無かった。そもそも純然たる善意からの提案なのは疑うべくも無いのだ。きっと深紅たちの会話が聞こえる範囲にいただけで、その内容から事情を察して居ても立っても居られず話しかけてくれたに違いない。

 故に綾女が優しい少女だという確信を深めた深紅は、席の隣に彼女を座らせ話を聞かせて貰う事となった。

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