第17話 いろは紅葉に染められて


****【その鈴が告げるもの】****


「それなのかよ、なんか起きると勝手に鳴る鈴って」


三堀が僕の貝守りを見てあからさまに嫌悪する。

気味悪ぃ、と言い捨てて、ソファからテーブルへと席を移動してしまう。


「そのくせ……あの、神社じゃ鳴らなかったじゃねぇの」


確かに、奄隠山の神社に閉じ込められたときは一切鳴らなかった。


「前は山でも鳴ったのにな」


ぽつんと二木が言った。


そういえば、前にこの鈴が鳴ったのは、山で僕が……


「もみじの怪異に遭った時だな」


と言ったのは渡会教授だ。


自分の部屋に入るみたいに、遠慮なくずかずか入ってきて、ソファではなく教授机に陣取る。

後ろからついてきた佐倉教授がやれやれと呆れた顔をして、ソファの上座についた。


渡会教授は津田の一件以降、しょっちゅう佐倉ゼミに顔を出す。


というか今みたいに突然現れるので毎度びっくりする。


この人自身が何かの怪異、妖怪なのではと思う。

それはさておき。


「なんですか、その、もみじの怪異って」


丹波に尋ねられたし、次はその話をしよう。





****【いろは紅葉に染められて】****


「ゼミ旅行、取れる部屋が4人部屋と2人部屋になっちまいそうなんだよ、みっ君」


「それで、どうして僕に同行しろという話になるんです」


修士1年の授業が始まるというのに、佐倉教授と津田がそんな言い合いをしている。


「院生一人当たりの参加費が○万円で収まらない」


部屋数は減らしたいということか。


「ゼミ生ではない僕がどうして貴方のゼミ旅行に自腹で行かなきゃならないんです」


津田の言い分はもっともで、僕らも津田がゼミ旅行に誘われていることに戸惑っている。でも、教授は引き下がらない。


「◎月●日、行き先はK府、○○。YYホテル、夕飯は豆腐鍋」


「豆腐鍋は良いけど、その日は別件を済ませて僕はK府○○を発つと言ったでしょうが」


なるほど、津田なら現地集合できるのか。いやいや、帰る津田を引き止めてどうする。


「じゃあ5人をどう分けるよ」


二木、四方田、三堀、八戸、そして、僕。内部生4人と僕で分かれるのが手っ取り早いじゃないか。そこは悩むところじゃないですよ、教授。


「一人だけ別室になるのが憚られるなら、4人部屋に3人、2人部屋に2人で泊まればいい」


津田が僕らを順繰りに見ながら言う。


いや、それはそれで、僕と相部屋になる可哀想な一人をどう決めるつもりだ、津田。


 このゼミ旅行はいわば各学年の親睦会のようなもので、佐倉教授は、唯一の外部生、それも一人だけ年上の僕が1人別室になるのを避けたいのだろう。夏を過ぎても4人と馴染めていない僕を気にして下さっているのは分かるけど、この年齢にもなって、皆と仲よしこよしでなくていいとも僕は思っている。


 津田がきっぱり言い放つ。


「僕は、貴方のゼミ生に関心は全く無い。どんな人間関係だろうが、誰が一人浮こうが、どうでもいい」


絶句する教授に、


「5人部屋のある宿泊施設を探しなよ」


そう言い置いて、津田は給湯室へ消えた。


「……お前ら、どこ泊まりてぇ?部屋割り、どうするよ?」


講義の間、教授は僕たちに何度も尋ね、勉強の進みが遅くなってしまった。


 結局、当初の予定通りにYYホテルで、ベッド4台の寝室に和室が併設された部屋と、教授のシングルタイプの2部屋を取るということで話がまとまった。院生5人は一応同じ部屋だけど、僕だけが和室に布団で眠ることになるだろうな。そのほうが気が楽だ。


 そんなこんなでゼミ旅行を来週末に控えたある日。がやがやと内部生4人が駄弁だべっている。彼らは大抵、学部の話で盛り上がっている。そういう時、僕は、僕にはよく分からないその話を同じテーブルの隅で聞き流す。僕だけが知らないことをいちいち尋ねて話の腰を折るのもなんだし、そもそも内部生の噂話に交ざりたいわけでもない。


「……J学部R学科の〇〇君、そんなことになっていたの」


給湯室から出てきた津田が珍しく、院生達の話の輪に加わった。


「あれ? 津田もここの大学出身?」


「そうだよ。君たちはJ学部のR学科だろ?……僕は、J学部のM学科」


それを聞いて、皆が、えっ! と驚いている。僕はとうに知っていたので、むしろ他の面々が津田の学部を知らないことに驚いた。


「学部同じなの? 初めて知ったわ〜」


と言う三堀に、津田が答える。


「三堀くん、君とは1年次の一般教養でいくつか、あと、2年次の統計学の講義が被ったことがある。K先生の講義だ」


そう言われ、三堀が眉間にしわを寄せ、考え込んだ。


「居たっけ? お前みたいな天パ頭に黒縁メガネ、覚えていそうなものなのに」


「覚えていないのは別にかまわないが、僕はそんな認識のされようだったのか」


僕が髪型と眼鏡を変えたら、皆は会っても僕だとわからないかな。


などと、至って真面目な顔で津田は呟いている。


「まぁ、それはいいとして、J学部R学科の〇〇君。彼といえば、」


サークルのこと、その派手な交際歴、就職先など、津田が“J学部R学科の〇〇君”についてあれこれ説明を交えて話す。それでようやく僕にも、その人がどんな学生だったのか想像がついた。確かにちょっと癖のある奴で、今なお噂になるのも、分からなくもない。僕も少し興味が湧いた。


いや、それより、何で津田は〇〇君のこと、そんなに詳しく知っているんだ。


僕だけでなく、皆もそこに食い付いている。


「おや、今日は十郷も、津田まで、皆と一緒か」


やってきた教授が軽く目を瞠った。嬉しそうな教授に津田はしれっと返す。


「未だに学部の話ばかりする内部生と会話に加わらない外部生の行動観察を試みたら、なんか、巻き込まれました。これでは観察失敗だ」


ひどく迷惑そうな口ぶりだ。


ただ、それを聞いて二木が少し何か感じた風で、そんな彼に津田は穏やかな眼差しを向ける。


自分から巻き込まれに来たくせに、と二木は笑って言い、津田はそれを聞かぬふり。


そこに、先輩達が入ってきた。漆原先輩が津田に何か言いかけたのに、


「もうゼミの時間ですね、千萱。部外者の僕は退散します」


腕時計に目をやって津田は立ち上がり、荷物をまとめて出ていった。


 その日から津田が来なくなった。ゼミ生ではないくせにここに居付いている奴だけど、居なくなると気になるのか、皆の話題は津田のこと。それなら僕も話に加われる。


ゼミ外では何かと僕は津田とつるんでいて、夜の図書館で斜向いに座って勉強したり、土日に映画を観に行ったりする仲だと言ったら、皆にあれこれ聞かれてちょっと困った。それに、普段から津田と親しくしている僕にも、彼の不在の理由は分からない。トークアプリでメッセージを送っても既読すらつかない。


そのまま数日が経ち、津田の身に何か起きたかと心配になった僕らは、佐倉教授に彼の安否を訊ねた。


「あいつならK府、○○に行ってるぞ。どうせ仕事中だ、放っとけ」


とあっさり言われ、僕らは顔を見合わせた。


「仕事……?」




そうして迎えた旅行当日。秋の行楽シーズンに、観光地で3泊4日の日程。よくまぁ、温泉旅館の予約が取れたものだと今更ながら感心した。


行きの新幹線は3人がけの席を向かい合わせにして、皆であれこれ他愛もない話をする。内部生の噂話をする時は、二木が僕に解説をしてくれるようになったので僕も何となく居やすくなった。ただ、その解説に対して実際と違うのどうのと特に三堀が引っ掻き回してひと騒ぎするのがお決まりだ。


佐倉教授は缶ビール片手にそんな僕らを横目で見やり、院生のくせに、もう少しまともで学術的な話はできねぇのか。とぼやいていた。


 無事にK府K市に着き、有名どころの神社仏閣を巡る。佐倉教授の思いつきで、悲しい言い伝えのあるべっこう飴を買いに行ったりもした。津田への土産だそうだ。


昼は、高級な料亭でびっくりするぐらい旨い牛ステーキとだし巻き卵を堪能した。なんと、教授の奢り。ただ、ステーキは高いので1皿を2人で分け合った。


「津田も来れば、これが食えたのにな」


と二木が言った。柔らかい牛肉をじっくり噛みしめながら教授が答える。


「あー、あいつ、仕事中は肉食わねぇから」


ん? どういうこと?


皆で教授を見る。それには笑ってごまかして、教授は


「ほら、冷める前に、たまご食えよお前ら」


と僕らを急かした。


 他にも様々な観光名所を巡り、日暮れ方にホテルに着いた。ビルの狭間に佇む、和風の温泉旅館。なかなか趣のある外観だ。わくわくしながら数寄屋門を入り、玄関の格子戸をからりと引き開ける。


土間で靴を脱いで上がり、畳敷きの細長い玄関ホールを抜けると、そこは、ここまでの装いとは裏腹に、カーペットの床にソファが置かれた洋風の設えだった。その奥の宿泊棟は、どこからどうみてもビジネスホテル。


……和風で趣があるのは、レセプション棟の外観だけか。


落胆したせいか、昼から歩き通しのせいか、どっと疲れが押し寄せてきた。受付の手続きは一人元気な佐倉教授に丸投げし、僕らはロビーのソファで休んでいた。


そこへ、長身痩躯の男性がこちらへ歩いてきた。


長い髪をうなじで括り、すっきりとまとめてある。前髪はかき上げられ、白い額と細い眉、彫りの深めの顔が露わだ。艶やかな黒髪と、明らかに欧米の血を引いた顔貌が絶妙に調和している。格好いいとか、イケメンとかそういう表現は彼に合わない。


まるで作り物のように均整の取れた美を体現したその男性は、僕らの真横を突っ切って、宿泊棟へと歩き去った。周りの客もぽかんとして彼を見つめ、見送った。


凄くきれいな人だったね、外国のモデルかな、と囁き合う女性の声がした。




 ルームキーを持って来た教授に、今見かけた男性について四方田が熱っぽく語る。演劇サークルに所属している四方田は、彼に役をあてて劇を想像し、うっとりしている。そんな四方田に、ちょっと引き気味の教授と僕らだった。


もう夕飯の時間だそうで、部屋に荷物を置いてすぐ、大食堂に呼ばれた。いつも腹を空かせている八戸が、いそいそと階段を降りて行く。


献立は、昆布で出汁をひいた豆腐鍋。ポン酢でさっぱりと湯豆腐を味わい、紅葉麩や生麩の食感と香りを楽しむ。宿で大事なのは、その建物も勿論だけれど、やはり美味しい食事だな。


もっとも、八戸には味だけでなく量も物足りなかったようで、〆のうどんと白飯を黙々とお代わりしていた。


食事の後は、少し部屋でまったりしてから、皆で露天風呂に行く。人の入りは少なめで、ゆっくり温泉を満喫できそうだ。


露天風呂の奥は小さな灯籠でぼんやり照らされている。その薄暗がりに、例の男性モデル(仮)がいるではないか。興奮した四方田が彼を指し、まだ洗い場にいる佐倉教授を大声で呼んだ。


「あの人っすよ。リアル黒髪エルフ!」


何というあだ名を付けているんだ、四方田。本人に聞こえるぞ。あと、人を指さすのはやめなさい。


 佐倉教授は面倒くさそうにこちらへ来て、ちらっと例の男性を見遣った。


そして大きな溜め息をついて湯船に入るや、ざぶざぶと一直線に彼のところに向かって行く。


いやいやいや、教授、何をしようとしているんだ。


止めるべく、僕らも慌てて後に続く。


肩まで湯に浸かり、目を瞑っているリアル黒髪エルフ(仮)に近づいて、僕は思わず唾を飲んだ。


鼻梁と眉の陰影が白い面に落ち、伏せた目と相まって、憂いを帯びた表情に見える。頬は僅かに上気して、唇も淡く赤みが差して色っぽい。つい見惚れていたら、不意に彼がぱちり、と目を開けた。


無遠慮に近づいた教授と僕らを、見た。




「何やってんだ、みっ君」


佐倉教授が呆れている。


え? みっ君? ……これが、津田?


「やぁ、◎◎大学院、佐倉ゼミの皆さん。思わぬ出会いですね」


言いつつ、彼は灯籠の陰から例の武骨な黒縁丸眼鏡を取り出した。それを掛け、前髪を顔に御簾のように垂らして、いつもの顔になった津田はくっくと喉を鳴らして笑った。


髪型と眼鏡を変えたら、皆は会っても僕だとわからなかったね。


と津田は言い、三堀が爆笑した。




 翌朝、教授に懇願されて、津田も旅行に加わった。教授がしつこいせいだろう。津田がどことなく、ぴりぴりしている。可哀想に。


紅葉の名所や庭園などを一緒に巡るうち、早くも腹が減った八戸の我儘で、K府K市に居ながら全国チェーンのハンバーガーショップに入る流れになった。


「津田、今は肉は食えるのか」


教授が聞いた。津田はゆるく首を横に振り、


「この地を離れるまでは、避ける。店はどこでもいいですよ。そこで食べられるものを自分で選ぶので」


津田は確かに、今朝の食事も、スクランブルエッグとベーコンのモーニングセットではなく、湯豆腐とご飯、味噌汁の和朝食御膳を選んでいた。


 ダブルビーフ&チーズバーガーにかぶりつく八戸の向かいで、津田は枝豆&キャベツとかいうサラダをしゃくしゃく食べている。


「ところで、だし巻き卵と牛ステーキは食べたのか?」


不意に、津田が隣に座る二木に聞いた。津田からゼミ生に話しかけるなんて、珍しい。


「食べた!梯子屋って店で。すげぇ旨かったんだぜ。いつか、弟にも食わしてぇ」


とてもいい笑顔で答える二木に、ふふっと柔らかく笑って津田は頷き、


「千萱、もう少しリサーチしなよ」


斜向いの教授には冷ややかに言う。しかも、教授を名前で呼び捨てにして。


「やー、お前の舌が1番信頼できるからな」


「何言ってんだか」


へらっと笑う教授に、呆れたようにひょいと肩を竦め、津田は枝豆サラダに向き直る。


「なぁ、仕事って、なに? あと、なんで髪の癖落ち着いてるの。それから、昨日眼鏡なかったけど見えてんの?」


四方田が聞く。


「どれが本題なんだ」と苦笑しながら、津田は答える。


「仕事は秘密。仕事の時は洗髪料を変えて癖を抑える。髪を纏めやすいように。眼鏡も使わない。視力に問題ない」


「じゃあ、緩やかウェーブにその太い縁の眼鏡の今は」


「仕事の待機モード」


さらっと答える津田に、教授がぎょっとした顔になる。


「仕事、終わってねぇの?」


「終わりましたよ。本当はさっさとこの地を離れて今日今時分、新幹線の中で仕事明けの焼肉弁当でも食べているはずだったんですけどね。枝豆で我慢します」


「す、すまん……」


普段は塩むすびと味噌汁ばかり食ってる津田も、焼肉弁当とか食べることもあるんだなー。


と僕がぼんやり思っていると


「まぁ、今は焼肉弁当なんてもの、食べませんけど」


謝る教授に津田がそんなことを言う。


「何だよ、お前の楽しみ奪ったかと思って俺、結構本気で謝ってんだぞ」


「食べられないのは今回だけ。いつもは仕事明けの肉が楽しみですよ」


え? どういうこと?


聞き返す教授と僕らに、津田は言葉を選んでいるふうにゆっくり話す。


「思ったより、仕事が……大変で、……今朝の食事が丸3日ぶりの常食だった。その間、水と飴で過ごしていた」


その体に脂っこい食べ物はきつい。そう言って、津田は透明なカップの中の枝豆を実に旨そうに食っている。穏やかな時間。


でも僕は見てしまった。津田が話す間に、一粒の枝豆が忽然と消えるのを。




 ポテトやらスナックやらをつまみ終え、店を後にする。歩きだしてすぐ津田が、


「このあと、どこへ行く予定です? 僕は用があって南に下るのですが」


そのまま僕だけ帰っていいですか? なんて、白々しく聞いてくる。


佐倉教授はむすっとしながら、帰りたきゃ帰れ、この協調性ゼロめ。などと悪態をつく。


それに対して、はははと声を立てて笑い、津田はふと真面目な顔つきになった。


「いや、……僕も、できる限り同行します。なんかざわついているので」


それから足元に目を遣り、優しく笑った。


「大丈夫。お社にお連れしますから。あと、人間の食べ物、盗み食いはだめです」


待て。何と喋ってる。


僕らが一様に一歩下がるのを見て、津田は妖しい笑みを浮かべた。


「十郷は気づいていたろ? さっき、枝豆一粒、消えたの」


僕は小さく肯いた。


「ここに、お狐様が居なさるんだ……まだ子狐で、参拝客について出てきてしまって迷子になられたそうだから、お送りしようと思う。だめ、油揚げもだめ。ちゃんとお供えしますから」


津田の視線が自分の左肩に向いている。津田の束ねた髪の房が、不自然に揺れた。


 この旅行は、幾つか行きたい場所を決め、あとは道中、気になるところに寄る気ままな道行きだ。今日は、教授が市内の北の方にある寺に行きたいそうだ。そこもまた紅葉の名所らしい。そこを最後に、宿に戻るということしか決まっていない。まぁ、急遽、ハンバーガーショップなんぞに行けるのも行き当たりばったりな旅行だからだ。


「それなら、千萱。お寺の中の美術館で待っていて」


ついでに、そこから少し行ったところのお菓子屋さんで、お餅を1箱、買って来て下さい。渡会教授へのお土産にするので。


 佐倉教授を使い走りにやるとは。さすが、津田。


美術館の展示を観たい教授にお使いを頼まれ、僕と二木で津田のいう菓子を買いに行く。寺の脇から住宅地を抜け、通りに面したところに、その菓子屋はあった。薄暗い店内を窺い、


「ごめんください……」


と声をかけると、お婆さんが出てきてくれた。


餅の他には、もなかや羊羹など、全部で4種類くらいに商品は限られている。津田に餅を箱で買って、自分らの土産にと、僕らは全種類1個ずつ買った。美術館に戻る道すがら、二木と僕は津田の欲しがっていた餅を食べてみた。


 柔らかい羽二重に、口溶けのいいこし餡が包まれている。こし餡はすっきりした甘みで実に上品だ。津田の舌は信頼できると佐倉教授が言うのも頷ける。二木の口にも合ったようで、もう少し買えばよかったなと唸っている。弟さんにあげたいそうだ。


「でも八戸には、このあっさり味は向かないね」と二木は言ってにやりと笑った。


 僕らが美術館に戻ると、ちょうど津田もやって来たところだった。僕が菓子屋の袋を下げているのに気づいて、本当に申し訳無さそうに詫びてくる。


「そんな気にするなよ、津田」


おかげで美味い餅を知れたと二木も言い、それを聞いて津田は少しほっとした様子だ。


「ゼミの皆を使い走りにするつもりなんてなかったんだ、本当にすまなかった。何より、有難う」


僕から菓子折りを受け取り、大事そうにリュックにしまうと、津田は


「千萱は君らにお金を預けず、店の名だけ伝えて買いに行かせたろ? 手間をかけた」と詫びつつお代をくれた。


佐倉教授は確かにお札一枚も渡さず、菓子屋の名前だけ僕らに伝えた。仕方なくスマホで地図検索しながら向かったけれど、二木のスマホと僕のスマホで微妙に位置情報がズレていたせいもあって、行きつ戻りつしながらのお使いになった。土地勘のない場所で、GPSもイマイチなネット地図を頼りに店にたどり着くのは思うより大変だった。


 津田がくれた代金は餅一箱の額には多く、僕と二木が自分用に買った分のお代も含まれているようだ。お釣りは受け取ってくれなさそうなので、道中の買い食いのときにでも、津田に奢ってやろう。


 秋とはいえ、これだけ歩き回るとそれなりに暑い。冷たいものが欲しくなった僕らは、目的の山寺に行く途中、カフェに立ち寄って昼飯兼おやつを食べることにした。


4人席2つに分かれて座る。僕と二木のテーブルに、自然と津田も来てくれた。


「何にしようか」


メニューは丼もの、蕎麦、茶漬け、鍋。あとはぜんざい、アイスなどの甘味が少し。


 八戸はカツ丼大盛りかな、と津田が声を潜めて言った直後、


「俺はカツ丼、大盛りで!」


と元気に注文する八戸の声が聞こえて、僕と二木は必死に笑いを堪えた。


ちなみに僕は鴨南蛮そば、二木はとろろ蕎麦、津田はきつねそば。涼を求めて入ったのに、店内は冷房が効いて寒く、皆、温かい蕎麦を選んでいる。


「津田、なんで肉食わないの。卵もだめ?」


二木がとろろとたまごを念入りに混ぜながら聞いた。


「今はいつでも仕事にかかれるよう、酒肉を断っている。身を穢すのは望ましくない」「え、何。宗教的な感じ?」


それには曖昧に笑い、津田は油揚げを器用に割り箸で切り分ける。口に運び、


「思ったより甘い」と呟いた。


僕が手洗いに立とうと椅子を引いた時、背もたれにかけたリュックが揺れ、チャックに付けた貝守りの鈴が、ちりりと鳴った。


「十郷。その貝守り、肌身離さず持っていて」


「え?」


聞き返しても、津田はそれ以上何も言わなかった。


眼鏡を外し、目元を揉んでいる。


げっそりしているというか、何というか。だいぶ疲れているのが伝わってくる。


二木もそんな津田を気にしているようだったけど、かける言葉が見つからないみたいだ。彼は、津田に何か言う代わりに


「俺、やっぱアイス食う」


と明るく宣言し、店員を呼んだ。


皆が軽食をゆっくり楽しみ、八戸がデザートのクリームあんみつまで平らげて、店をあとにする。


 会計は教授に言われて、津田が全員分のお代を支払った。さっきのお釣りで津田の分は奢るつもりだったのに。教授め、余計なことを。


 その後は、電車で山際まで行き、教授の行きたい山寺へ向かうことになった。


寺の最奥にあるお社まで行くとなると、ほとんど登山だ。


「うー、アイスが腹にきそう」


などとしょうもないことを言い出したのは二木。


「寺の近くにも茶店があったと思う。そこで休んでいれば」


津田の言げんに


「いやぁ、大丈夫だよ」と二木が笑う。


「二木。具合が悪い時に、無理に行くな。つかれるだけだ」


津田は至って真面目な面持ちで、言い含めるように二木に返した。


 山を登っている途中で二木は本当に体調を崩し、寺に興味のない八戸と、すでに疲れてしまった三堀と共に山の中腹の茶店に残ることになった。


教授と四方田、それから僕と、津田。4人だけ山奥に向かう。


僕は背負っていたリュックを二木に預けたので身軽だ。


山道の途中には小さなお堂や祠があり、津田はそれぞれに丁寧に礼拝をしている。登り始めていったいどれだけの時間が経っただろう。網の目のように木の根が地表を走る険しい道をようやく抜けたと思ったら、今度は長い長い石段。この先に、目的の社殿があるそうだ。


お寺の境内から山道を登っているときには、


「神社の中のお寺は神宮寺、お寺の中の神社は何ていうの?」「境内社、もしくは鎮守社だろう」、「そういえばもみじって食えるんだっけ」「もみじの天ぷらなら食べたことあるよ」「八戸に言ったら、生のまま枝にかぶりつきそうだな」


などとしょうもない雑談もしていたけれど、石段を前にして、もはや皆、喋る余裕がなくなった。


先頭の教授、四方田、僕。皆、黙々と登っていく。


一段、一段。もう一段。


一番うしろの津田ももう何も言わず、ただただ一定のペースで僕の後を登ってくる。


僕らは必死に足を動かす。一歩、もう一歩、


……あと、一歩……!


「着いたぞぉ!」「やったーー!」


登りきった達成感に、思わず口々に歓声が上がる。でも、津田は石段を登りきったところで足を止め、


「早く帰ろう、千萱」


青褪めた顔で教授の袖を引く。


「何だ、お前まで具合悪いのかよ? 茶店で休んどきゃ良かったのに。二木にはあんなこと言って、てめぇはのこのこついて来やがって」


教授が妙に苛立っている。叱られた津田はふいと顔を背けた。


教授を押し退けて誰よりも先に社殿に向かい、なにか必死に祈願している。


「では、茶店で待っています」


そそくさと教授の横をすり抜け、津田は石段を足早に降りて行ってしまった。


 教授ったら、なにもあんな言い方しなくても。


津田も、拗ねて逃げるなんて、子どもじゃあるまいし。


僕は、そんな二人の様子に少し嫌な気持ちになった。


でも、せっかく辿り着いた山寺の最奥だ、ちゃんとお参りはしよう。


 拝殿の手前、参道のど真ん中に建つ石灯籠に気を取られ、立ち止まった。


こんなところに一基だけなんて面白いな。


しげしげと石灯籠を眺めていたら、後ろから視線を感じた。


 僕は他の参拝客が来たかと思って、参道の脇に身を退いて、


「お先にどうぞ」


と声をかけつつ振り返った。




誰も居ない。


境内には、僕と教授と四方田だけ。


教授は社殿の横から、山の景色をカメラに収めている。


四方田は地べたに座って、水を飲んでいる。


ふたりとも僕の方など見ていない。




誰だ。


じっとりと僕を見ているのは誰だ。


はらりと一枚ひとひら、もみじの葉が落ちてきた。


社殿よりずっと下に、真っ赤に色づいたもみじの木があった。


とはいえ、葉がここまで飛ばされるだろうか。




冷たい風が、次々ともみじを巻き上げて吹き上がってくる。


だのに風の音がしない。


異様な静けさのなか、くるくると舞うもみじに取り囲まれる。


夥しい数のもみじ葉に、視界が赤に染まる。


その奥から、はっきりと視線を感じる。


赤いもみじの壁の向こうに姿を隠し、なにかが、ずっと僕を見ている。


目を背けたいのに、後ろを向いて逃げ出したいのに、


気づけば、僕はふらふらと、


その視線に、吸い寄せられるように、歩きだしている。




この眼差しの主は、僕をどこへ連れて行く気だ。


ここは、どこだ。




突然、


「僕を見て」


誰かの声が聞こえた。


「僕を見て! りゅー!」


津田に呼ばれたのだとわかった。


はっと我に返った。


かっかっと響く靴音が近づいてくる。


力強い柏手が聞こえ、僕を囚えていた視線が消える。


途端に足元がぐらりと揺れ、体が浮き上がった。違う。地面が消えた。


何かが僕をぐいと引き寄せ、抱きとめた。


赤いものが僕の視界の端を掠める。


遠のく意識の中で見た光景は、強烈に僕の心に刻まれた。




目が覚めた時、僕は倒れていた。いや、僕は津田を押し倒していた。


散り敷かれた赤いもみじの上に、津田と二人、身体を重ねていた。


至近距離に津田の整った素顔がある。何だか気恥ずかしくなって、急いで僕は津田の上から退いた。あちこち痛みはするが、体は動く。怪我もしていないようだ。


「津田、ごめん。大丈夫?」


返事がない。津田は目を閉じ、ぐったりしている。


僕はさぁと血の気が引いた。


もみじの絨毯に座り、倒れたままの津田をどうにか胸に抱えこんだ。


「津田! 起きろ、おい、頼む、目、覚まして」


津田が薄く目を開け、弱々しく口元に笑みを浮かべる。


「つ、だ」


呼びかける声が震えてしまう。


一際濃い赤に染まった津田の左手がゆっくりと持ち上がり、僕の頬を優しく撫でる。


「僕だけを、見て。りゅー」


うつろな目をして津田は言い、僕の胸に頭をこてんと預けた。


何度呼びかけ揺すっても、津田はもう目を開けない。揺するうち、津田の頭がかくんと倒れてしまった。慌てて手を添え、支えてやる。触れた白い首筋に、脈は無い。


大量のもみじの葉は突如吹いた大風に次々と巻き上げられ、くるくると竜巻のように回りながら空の彼方へと消えていった。


「おい、大丈夫か、ふたりとも!」


教授の大声が聞こえる。四方田と教授が石段を駆け下りてきた。


「津田、十郷、何があった」


教授に尋ねられても、僕は何と言えばいいんだ。


物言わぬ津田を見つめる。


教授も四方田も、微動だにしない津田に状況を察したようで、言葉を失ってただ茫然と立ち尽くしている。


冷たい石畳の踊り場に、僕は津田を胸に抱きしめて座り込んだまま動けなかった。




ちりん、ちりんと遠くで鈴の音がした。それに応えるように、きゅーん、と一声、獣が鳴いた。


その声に、僕の腕の中で津田が身じろぎして、その目が開いた。僕と目がぱちりと合う。


「津田!津田、僕がわかる?」


津田は目を瞬いて、それから、かぁっとその頬に血の気が戻る。


「落ちた衝撃で意識が飛んだ、それだけだよ」


と言いながら、僕の腕から逃れて立ち上がろうとし、痛みに呻いてその場にしゃがみ込んだ。


津田の左手がもう赤く染まっていないことに僕は気がついた。


あれは僕の見間違いか。紅葉がみせた幻覚か。


僕を助けに来た津田は。石段から突き落とされた僕を抱き止め、左腕で僕の頭を庇った。その時、その腕を引き裂いて赤いものが飛沫しぶくのを、はっきりと僕は目にした。


そうして津田は、


僕だけを、見て。


そう言い遺して、確かに僕の腕の中で――。


あんまり僕が見つめるからか、津田は恥ずかしそうに目を逸らした。


「すまない、十郷。変なことを言った。咄嗟のことで、他に思いつかなくて」


もそもそと謝られ、僕も今更ながら恥ずかしくなってきた。


たぶん僕も今、顔が赤いだろうな。


「……君まで照れるなよ。余計恥ずかしいだろ」


頬を紅葉より赤く染め、津田が僕に八つ当たりをする。


「なに、津田はそごーに何て言ったの? なぁ、おい」


四方田が聞く。


「……秘密」


僕と津田は同時に言って、思わず顔を見合わせ――


お互いを真っ直ぐに見つめてしまい、一瞬、固まった。堪えきれずに津田が笑い出す。


「頼むよ、さっきのことはもう、忘れてくれ」


笑いながら言う津田は、さっきから全く左腕を動かさない。



 皆で茶店に戻り、一休みする。

「拝殿に戻ろうと階段を上がっていた僕が落ちて、十郷を巻き添えにしたんです」

教授も四方田も、八戸も三堀も、津田からそういう風にあの状況を説明された。

津田の話が終わってから、二木に預けていたリュックを受取ろうとしたら


「なぁ、十郷。その鈴、何」


気味悪そうに二木が小声で問うてきた。聞けば、小一時間ほど前、鈴が突然けたたましく鳴ったそうだ。何か急を報せるように必死に鳴っていたという。その時間は、僕がお参りしようとしていた頃だ。


もし、僕が津田に言われた通り、このお守りを身につけていたら。


僕は津田をちらりと窺った。津田は唇に人差し指を当て、しーっと合図してくる。何も言うなということらしい。


「様々な天神地祇、諸仏のおわす地だ。守りの鈴が鳴る程度、なんの不思議もない」


うっすらと笑い、津田は二木にそう言った。


 それから、宿に戻るべく電車で川沿いを南へ向かう。宿に一番近い駅で降りようとしたけれど、津田はこのまま乗っていくという。


そんな怪我をしている体で一人で別行動する気かと教授が怒る。


「もう一度、稲荷へお詣りする用があるので」


津田の差し出した右手には、鈴のついた狐面のお守り。


狐の顔にぱっくりと亀裂が入っていた。


 津田が、右手で支えながら左腕をゆっくり持ち上げる。まだ自由は利かないようだ。


「腕一つで済んだのは、あの子のおかげ」


悲しそうに目を伏せた津田の右の拳の中で、りんと鈴が鳴った。


狐の声はもう聞こえなかった。


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