第15話 推古天皇に憧れる

👑 「マザー・グース」と推古のロジック

​「オペレーション・ネーム『マザー・グース』。私は、この**『不良債権』を、システムの心臓部へ**と運びます」

​ 春枝の冷たい決意の言葉は、物流センターの湿った空気を切り裂いた。彼女はピエロから受け取ったアクセスコードを、リュックサックの内ポケットにしまい込んだ。それは、ヒューマンブリッジ社本社ビルの、最深部に位置する**「中枢データコア」**への物理的鍵だ。

​ 周囲の「裏バイト」メンバーたちは、それぞれの家族、すなわち「不良債権」である高齢者たちを車椅子に乗せ、無言で春枝に続いた。彼らの目には、恐怖よりも、システムへの深い憎悪と、この「最後の仕事」にかける虚無的な希望が宿っていた。

⛩️ 推古天皇の「叡智」

​ 春枝は、茂の車椅子を押しながら、ピエロが手配した小型の貨物トラックへと向かう。その道すがら、彼女の脳裏には、数年前に偶然図書館で見つけた、飛鳥時代の歴史書の一節がフラッシュバックしていた。

​ それは、日本史上初の女性天皇、推古天皇に関する記述だった。

​「推古は、単なる傀儡ではなかった。彼女は、血族(蘇我氏)の権力を利用しつつ、甥である聖徳太子(厩戸皇子)の並外れた知性を、**『システムの調整役』**として巧みに活用した。彼女の統治のロジックは、感情ではなく、**国体という巨大なシステムを維持・刷新するための冷徹な『最適解』**だった」

​ ヒューマンブリッジ社の幹部候補生時代、春枝は常に「感情的なノイズ」を排除し、「最適解」を求めるよう訓練されてきた。しかし、彼女が見てきたのは、システムが「不良債権」として人間を切り捨てるだけの「最適解」だった。

​(私は、ヒューマンブリッジの**『聖徳太子』になろうとした。だが、彼らは私を『部品』**としか見なかった)

​ 春枝は、隣で静かに眠る茂の、擦り傷の残る頬を見つめた。

​(推古は、血族の力を、統治の基盤とした。ならば、私も…)

​ 彼女は、自分自身の**「血族」であり、システムが「無価値」と断じた「不良債権」である茂を、ヒューマンブリッジ社という巨大なシステムを打ち破るための、「生きた叡智」、すなわち「推古の最終兵器」**として利用する決意を固めた。

​**「制御不能な『生』のエネルギー(不良債権)を、システムの心臓部に投入し、内部から崩壊させる」というロジックは、ヒューマンブリッジ社のいかなるデータモデルにも存在しない、「推古的最適解」**だった。

​ 

 🏛️ 本社ビル地下への潜入

​ 貨物トラックは、夜明け前の首都高速を走り抜け、ヒューマンブリッジ社本社ビルから数ブロック離れた廃ビルに到着した。

​ 春枝は、トラックの荷台から、他のメンバーと共に茂を下ろした。ピエロが、廃ビルの地下から本社ビル地下駐車場へと繋がる、極秘のメンテナンス・トンネルの入り口を指し示す。

​「午前7時45分。あと15分で、中枢システムの起動シーケンスが始まる。ランサムウェア『認知症』が、中枢データコアの周囲のセキュリティ・レイヤーを、**『認識障害状態』**にする。この15分が、物理的な侵入の全てだ」

 ​ピエロは、冷たい目で春枝を見つめた。

​「マザー・グース。中枢データコアへのアクセスコードは、時間限定の一度きりの使用だ。失敗は、貴女たちの『不良債権』としての完全な処分を意味する」

​ 春枝は、フードを深くかぶり、茂の車椅子のハンドルを握り締めた。

​「推古は、『一言で十人の訴えを聞き分けた』。私は、彼らの『不良債権』という定義の**『一言』で、このシステムを『十倍』**の崩壊へ導く」

​ 彼女は、トンネルの暗闇へと、迷いなく足を踏み入れた。

💣 「不良債権」の最終兵器化

​ 薄暗いトンネルを進み、本社ビルの地下3階、従業員専用駐車場の裏口に到着した。セキュリティカメラは、すでに「認知症」ランサムウェアの影響で、ノイズだらけの映像を流している。

​ 春枝は、ピエロから渡されたコードを、駐車場の緊急搬入口の認証パネルに入力した。重い防火扉が、鈍い音を立てて開く。その奥には、中枢データコアへ直結する、厳重なセキュリティフロアへと続く通路があった。

​ 彼らがフロアに侵入した瞬間、周囲の照明が赤く点滅し、システム・アラートが鳴り響き始めた。

​「警告。システム計算外のヒューマン・エラー。隔離対象データと一致するIDが、中枢エリアに侵入。即時、排除プログラムを実行せよ」

​ 春枝は、茂の車椅子のブレーキをロックし、周囲の「裏バイト」メンバーたちに最後の指示を出した。彼らは、すべて老人の家族であり、システム管理の技術者でもあった。

​「いい? 制御装置はデータコアの周囲に分散している。ランサムウェアが効いているのは、あと数分よ。**『生きた兵器』**を、躊躇なく、そこに投入しなさい!」

​ 彼女は、茂の背中を強く押した。

​「お父さん。さあ、**『仕事』**の時間よ。彼らがあなたに『無価値』と定義した、そのエネルギーを、全部、システムにぶつけるのよ!」

​ 茂は、春枝の激しい声に、目を大きく見開いた。彼の瞳には、談話室で見せた、あの剥き出しの「本能の時間」の光が再び宿った。

​「うおおおおお!」

​ 茂は、車椅子から身を乗り出し、周囲の他の「不良債権」たちと共に、奇声と怒号を上げながら、制御不能なエネルギーの塊となって、データコアの周囲の機器へと突進し始めた。

​ 春枝は、その光景を、**復讐心と、愛する父を利用する冷徹な「推古のロジック」**が交錯する瞳で見つめていた。システムは、この「不良債権」という名の「生きたノイズ」を、計算に入れることができなかったのだ。

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