壊れゆく街

鷹山トシキ

第1話 残業を愛する男と、消せない警報

 🏢 1.1. 午前零時の「最適」

​ 佐倉健太さくらけんたは、カチリ、とオフィスビルの非常灯が消える音を聞いた。

 ​派遣会社「ヒューマン・ブリッジ」

 名古屋支店のフロアに残っているのは、彼一人。壁の時計は午前零時を少し回っていた。デスクに広げられたのは、明日のマッチング候補リストだ。製造ラインの夜勤シフトに空きが出たA工場と、急な欠員が出た物流倉庫のB社。

​「最適解は、どれだ」

​ 健太はリストに並ぶスタッフの顔を思い浮かべる。シングルマザーで収入を最優先したい西田さん。体力はあるが夜勤経験のない山本くん。派遣コーディネーターの仕事は、単なるパズルのピース合わせではない。彼らの人生に、**「明日を生きるための安定した収入」**という橋を架けることだ。

​ 彼はこの残業時間が好きだった。静寂の中で、すべてをコントロールしている感覚。誰も見ていないが、確かに誰かの生活を支えているという実感。

​「よし、山本くんをA工場に。西田さんは短時間で高収入のB社へ、シフトは午後。これでどうだ」

​ペンを走らせたその時、スマートフォンが、低く震えた。

 🔊 1.2. 30年確率80%の重み

​ 通知は、政府地震調査委員会のウェブサイト更新アラートだった。


 **「南海トラフ巨大地震、30年以内の発生確率:80\%」**


 もう何年も前から見慣れた数字だ。毎年、数%ずつ引き上げられるこの数字は、名古屋で働く者にとっては「いつか来るもの」であり、「明日ではないもの」だった。

​健太は思わずため息をつき、画面を閉じる。

​「80%か。宝くじなら買うな」

​ 彼は皮肉めいた笑みを浮かべ、再びマッチングリストに向き直る。しかし、指先がピタリと止まる。

​もし、本当に明日起きたら?

 もし、このリストにいる彼らが、突然職も家も失ったら?

​ 脳裏をよぎったのは、数年前に彼が派遣した、港湾エリアの工場で働くベテランスタッフ、竹内さんのことだった。竹内さんはこの工場で定年まで働くつもりだと、笑顔で語っていた。

​ 健太は慌てて社内のBCP(事業継続計画)ファイルを開く。派遣スタッフの安否確認フロー、緊急連絡先リスト、避難場所情報…。マニュアルは完璧だった。だが、彼の胸の奥で、そのマニュアルが冷たい紙切れにすぎないことを知っている声がした。

​「本当に、この紙切れで、800人以上の人生を繋ぎ止められるのか?」

 👨‍💼 1.3. 新しい顔、新しい不安

​ 翌朝、支店は賑わっていた。新しく登録に来たスタッフ向けのオリエンテーションが行われている。その中に、ひときわ目を引く若い女性がいた。

​ 立花 たちばなはるか、24歳。地方から上京し、夢を追っていたが、諸事情で名古屋に来たという。彼女が希望するのは、給与よりも「安定した住居付き」の仕事だった。

​「佐倉さん、この子、製造業未経験だけど、どうにかしてもらえませんか?」

​ 上司に声をかけられ、健太は立花と面談する。彼女の履歴書には、空白の期間があった。

​「立花さん。住居付きの仕事は人気がありますが、場所が沿岸部になります。津波のハザードマップ上では…」

​ 健太が言いよどむと、立花は落ち着いた声で遮った。

​「知っています。でも、私にはもう選り好みできる余裕がないんです。危険は承知です。それよりも、今、生活を立て直すことが最優先なんです」

​ 健太は彼女の瞳の奥に、諦めと決意の混ざった複雑な光を見た。彼は竹内さんの顔を思い浮かべる。沿岸部の仕事は、誰かにとっての「最適」であると同時に、「リスク」でもある。

​「わかりました。ベストを尽くします」

​ そう答えた健太は、彼女の派遣先として、名古屋港にほど近い、大規模な食品加工工場を選んだ。それは、彼の担当スタッフの中でも、最も震災リスクの高いエリアだった。

2030年1月1日、健太は当時のことを思い出しながら小説を書いていた。

 最近、ファミコンのスーパーマリオブラザーズをやりはじめた。セーブ機能がないので滅茶苦茶難しく、ドハマリしている。次は1-4、クッパでも登場させようか!?

 

🚨 1.4. 警報の夜

​ その日の夜、健太は自宅で翌日の準備をしていた。テレビでは、気象庁の臨時ニュースが流れている。

​「紀伊半島沖で、通常よりやや大きな深部低周波地震活動を確認。南海トラフ地震との関連は不明」

​「またか」

​ 健太は無意識にスマホを取り、立花遥の緊急連絡先を確認した。彼女を危険な場所へ送ったことへの、微かな罪悪感。

​ その時、棚に飾ってあったガラスの置物が、微かに、しかし確かに、揺れた。

​ ゴンッ!

​ 直後、けたたましい音とともに、携帯電話から「緊急地震速報」のアラームが鳴り響いた。

 

 **「緊急地震速報!強い揺れに警戒してください!」**

 

 健太は反射的に窓の外を見た。街の明かりが一瞬で消え、次の瞬間、世界が激しく横にねじれた。

​ 2026年、南海トラフ巨大地震。  


 2030年、小説をスマホで書きながら溜息を吐いた。肩が痛い。クッパだと商品券じゃない、著作権の問題があるから、ユッケにしよう。


 昔のネットを見ていた。

 ユッケ事件とは、2011年に「焼肉酒家えびす」の6店舗で発生した、ユッケなどを原因とする腸管出血性大腸菌O111による集団食中毒事件を指します。この事件では、富山県、福井県、石川県、神奈川県で181人が食中毒を発症し、5人が死亡しました。事件後、生食用牛肉の提供・販売基準が厳格化され、生レバーの提供・販売が禁止されるなど、食品安全管理体制が見直されるきっかけとなりました。

 事件の概要

 発生時期: 2011年4月

 原因菌: 腸管出血性大腸菌O111

 原因食品: ユッケ、焼肉(カルビ、ロースなど)

 

 被害:

 患者数: 181人

 死者数: 5人(うち富山県で4人、福井県で1人)

 発症店舗: 神奈川、富山、石川、福井の4県にある「焼肉酒家えびす」6店舗

 事件の背景と原因

「焼肉酒家えびす」の各店舗では、肉の衛生検査が不十分で、売れ残ったユッケを翌日も提供していました。

 肉を卸していた卸業者「大和屋商店」でも、レバーとそれ以外の肉で包丁やまな板を使い分けず、衛生管理がずさんでした。

 生食用ではない牛肉を「生食用」として卸しており、卸業者の担当者も「歩留まり100%で無駄がありません」と言って出荷していました。


 

 🚨 震災下のパニック:怪物「ユッケ」の出現

​⚡️ 震動、そして断絶

​「緊急地震速報!強い揺れに警戒してください!」

​ けたたましいアラームが響くや否や、激しい縦揺れが健太の家を襲った。彼は咄嗟に机の下に潜り込んだが、立っている棚からガラスや本が雪崩を打って落ちてきた。

​「くそっ、本当に来たか!」

​ 揺れは約一分間続いた。家具は倒れ、壁には亀裂が入った。揺れが収まった瞬間、周囲は一瞬にして静寂に包まれた。そして、全ての電力と通信が途絶えた。

​ 健太は乱雑になった部屋から這い出し、懐中電灯を探した。彼の脳裏には、ヒューマンブリッジ社が管理していた旧インフラの脆さが蘇っていた。この大地震は、**システムが唯一制御できない「自然のノイズ」**であり、脆弱なインフラを一斉に破壊しただろう。

​ 

 🥩 異形の影:「ユッケ」の降臨

​ 懐中電灯の光が、窓の外、近所の公園を照らしたとき、健太は目を疑った。

​公園の中央にあったはずの遊具が、何か巨大な異形の塊によって押し潰されていた。その塊は、赤黒い肉塊と無数の繊維状の触手で構成され、脈動している。まるで、血の滴る生肉を巨大な粘土のように練り固めたような、悍ましい姿だった。

​「なんだ、あれは…」

​ 肉塊の表面には、細かく切り刻まれた肉片のようなものが張り付いており、それが蠢くことで、全体がまるで絶えず刻まれ、混ぜ合わされているかのように見えた。

​ その異形の塊は、近隣住民の悲鳴によって引き寄せられたかのように、突然、触手を伸ばし、倒壊した建物の瓦礫や、折れた樹木を引き込み始めた。そして、その触手の先端が、微かに甘く、鉄錆のような匂いを放ちながら、何かを**「食べている」**ように見えた。

​ 健太は、その姿を直視できなかったが、彼の脳裏に、かつてネットの深層で見た、非公式な未確認生物の情報がフラッシュバックした。

​ コードネーム:ユッケ。

​ それは、**「システムに管理されていない生体資源」**が異常増殖した結果出現する、都市伝説的な存在だった。

 🤢 感染:食中毒のパニック

​「助けて!体が…焼けるように熱い!」

​ 公園の隅から、数人の住民が嘔吐しながら倒れているのが見えた。彼らは、先ほどの地震で自宅から逃げ出し、公園に集まっていた人々だ。

​ 健太は、懐中電灯を倒れた人々の顔に向けた。彼らの顔は青ざめ、目には充血が見られた。そして、彼らが嘔吐しているものからは、奇妙な**「肉のような生臭さ」**が漂っていた。

​「食中毒…まさか、あの肉塊が原因か?」

 ​ユッケは、ただ破壊するだけでなく、その体表から分泌される液体や、崩壊した瓦礫に付着した肉片を通じて、人間を内部から侵食しているようだった。

​ 倒れた一人の男性が、健太に向かって手を伸ばした。

​「腹が…焼ける…まるで、生の肉を…食わされているみたいだ…」

​ 彼らは、ユッケの**「感染性のある肉」に触れるか、あるいはその放つ毒性の強い飛沫を吸い込んだことで、従来の食中毒とは異なる、「生体汚染」**に近い症状に見舞われていた。

​ 健太は、ヒューマンブリッジ社のシステムが、**「ノイズ・バイツ」のような生物兵器を開発していたことを知っている。この「ユッケ」**は、単なる野生動物の変異ではなく、**システムが制御を失った「生体実験の残滓」**である可能性が高い。

​ 彼はすぐに立花遥に連絡しようとしたが、携帯電話は沈黙したままだ。

​(この街全体が、システムから切り離された。地震でインフラが破壊され、**「ユッケ」**のような異形の脅威が出現した。そして、この食中毒は、従来の医療では対応できない種類の汚染だ)

​健太は、ライフルと緊急用の装備を取りに、再び暗い家の中へと戻った。彼は、この街で生き残っている人々を、この異形の**「生体ノイズ」**から守り抜かなければならないという、新たな「仕事」を自らに課した。

​ 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る