第8話 西条の一度だけの会議

金曜の昼前。

日下部は自分たちの“会議運用支援室(仮)”の片隅で、前回までのログをならしていた。

1話ぶんずつフォルダにして、件名を揃えて、決まったことと決まらなかったことを分ける――いつもの静かな作業だ。


そこに「コン、失礼するぞ」と、少しだけ声のトーンを落とした西条が来た。

この前の公開ミーティングで“静かなほうが勝った”と認めたあの西条だ。


「今日も30分で終わらせんのか」


「終わらせます。今日は“会議の名前を全部揃える”ってやつです」


「名前か。くだらねえけど、効くやつだな」


「くだらないほど効きます」


「……ちょっと、その前に話していいか」


西条は、会議じゃない話をしに来た顔をしていた。

“今からする話はログにしなくていいやつだ”と、一応前置きしたがるタイプの顔。


「録ってません。書きたかったら書きます」


「いや、これは俺が書く」


「はい」


 


西条は、壁に立てかけてあるホワイトボードペンを1本取った。

でもすぐには書かない。キャップを外したまま、指でいじる。

少し昔のことを思い出すときの人の仕草だ。


「……俺が“会議は熱で決める”って言うようになった理由、知っとくか」


「聞いておきます。たぶんいつかここにも書かれるので」


「お前、やっぱり冷たいな」


「戻れるようにしてるだけです」


「そういうとこだよ」


 


西条は窓のほうを見た。

ビルの壁に映る光が少し揺れる。

話し始めた。


「俺がまだ係長くらいのときだ。

 大口の案件があってな。納期がギリギリで、倉庫も、配送も、現場も、営業も、全員が“うちの予定を優先してくれ”って言ってた。

 でも、それぞれの言い分を紙で持ち寄ると、ぜんぶが“最優先”って書いてあった。

 紙でやったら、誰も譲らねえ。

 で、当時の部長が言いやがったんだ」


西条は低く真似た。


「“いったん集まろう。熱のあるうちに決めよう”ってな」


「出ましたね、“いったん集まろう”」


「ああ、出るよ。

 で、俺は“こんなの書類でやったら何日もかかる”って分かってたから、

 当時はそれを“すげえやり方だな”って思ったんだよ。

 だってその日のうちに、全員が“じゃあここは落とすか”って言ったんだ。

 営業も、倉庫も、配送も。全員がだ」


「すごいですねそれは」


「そうだろ。すげえんだよ。

 “あ、会議ってこうやって、熱で一気に持ってくんだな”って、そのとき初めて分かった。

 ……でな、そのときの会議には――」


西条はペン先を天井に向けて、やっと書いた。


議事録:なし


「……なかったんだよ。

 誰も“今の決定を書いときます”ってやらなかった。

 でも、翌日には全員が覚えてた。

 “昨日のあの会議でこう言ったじゃんか”ってな。

 だから俺の中では」


会議 = その場の熱で通せるやつ


「って構図ができた。

 “書かなくても、通る”って一回だけ経験すると、そう思っちまうんだよ」


 


日下部はうなずいた。


「その会議に、誰か書く人がいたのって知ってます?」


「……は?」


「たぶん一番後ろで、机の端っこでメモしてる人がいたと思います。

 『納期を1日ずらす』『倉庫が朝便に回す』『営業は先に伝える』って3行だけ」


「……なんで分かる」


「そうしないと、翌日ぜんぶ揃ってる説明がつかないからです。

 “全員が覚えてた”っていう成功体験の裏に、たぶん“全員に回したやつ”が一人いた」


「……」


西条は何も言わなかった。

けど、顔の筋肉がわずかに動く。

本当は知ってたのだ。「あのときメモを誰かが配ってた」ことは。

でも“自分たちが熱で通した”記憶のほうを大事にしてきた。


「俺はな、あのときの、あの一回が、一番きれいな会議だったと思ってる。

 全員が“そうだな”ってなって、誰も文句言わずに動いた。

 あれをもう一回やりたくて、“熱で決める”って若いやつにも言ってきた。

 ……けどな」


西条はホワイトボードにもう1行書いた。


以後:同じことは1回も起きなかった


「“そうだな”ってなる前に、“それ前も言いましたよね”って言うやつが出るようになった。

 “先週の決定はどこですか”って言うやつが出るようになった。

“その話、前にいた人に聞かないと分かりません”ってなるようになった。

 当たり前だ。人が増えるし、現場が分かれるし、オンラインでしか来ないやつも出るし。

 あのときの“全員が同じ場所で、同じ熱で、同じ顔で”って場は、もう二度と作れない」


「だから、俺をクビにしたわけですね」


「そうなる。

 お前があそこで“書ける話ですか”って冷たいことを言うと、あのときの空気は再現できねえから」


「はい。もう再現できないやつを、毎週やろうとしてましたね」


「……そうなんだよな」


西条は苦く笑った。


 


そこに、タイミングよく日向がドアを開けて入ってきた。

空気を読まない、いや、読めないほうの元気さで。


「あ、すみません。さっきの“火曜に3つ乗ったやつ”の件で、社長の秘書さんに確認とれました。

 “写真は10分でいけます”だそうです。

 “ただし事前にどのカットを撮るかを決めといてほしい”って」


「ナイス」と日下部。


西条が日向を見た。


「君が“増やしたけど終わった日”の子か」


「はい!」


「元気だな」


「元気です!」


「……こういうやつがいると、会議は長くなる」


「すみません!!」


「でも、こういうやつがいると、決まらないって言われたやつが決まるんだよな……」


西条はそこでようやく、ホワイトボードの自分の書いた2行を見直した。


議事録:なし

以後:同じことは1回も起きなかった


「……たぶん、あのときの俺にはお前が必要だったんだな」


「“書くやつ”ですか」


「ああ。

 “今決めたやつを書いとけ。明日来ない人にも分かるようにしとけ”って、あの場で言ってくれるやつが」


「そういうのを冷たいって言ってクビにしたんですよ」


「そう。だから、ここに謝りに来た」


西条はふっと笑って、けっこう素直に頭を下げた。

思ったよりも深く。

見ていた日向が「うわっ」って声を漏らすくらいには。


「……あのときの熱を、俺はもう一回やろうとしてた。

 でも、あのときの熱には、あのときの“書いたやつ”がくっついてた。

 お前がやってるのは、その“くっついてたほう”を最初からやるってだけだった。

 これは誰か一人に任せるためじゃない。誰が出ても終わるようにするための説明だ。

 最初にそれ言っときゃよかったな」


日下部は「今言ってるので大丈夫です」とだけ答えた。

それで十分だった。


 


「で、だ」


西条が急に、いつもの現場の声に戻した。


「ウチの本社、また“決まらなかった会議”やってる。

 “誰が誰に送ったかわからんやつ”が3本。

 “オンラインが入れなかったから決めませんでした”が2本。

 “社長が来てなかったので決めませんでした”が1本。

 “決めたんですけど名前を書かなかったので誰も動きませんでした”が1本」


「多いな」


「多い。

 だから次はそれ、ぜんぶ“会議じゃなかったです”で返すやり方を教えてくれ」


「できますよ」


「公開でやってくれ。隠すと“特定の部署にだけ冷たいことやってる”ってなる。

 全員が見てる前で、あの白いボードに“今日は決まらなかったので会議じゃなかったです”って書いてくれ」


「いいですよ」


「……やっぱり冷たいな」


「戻れるだけです」


「はいはい」


 


部屋を出る前に、西条はスマホを取り出して、今度はちゃんと画面を操作した。

“日下部 直”の連絡先を開いて、メモ欄に一行書き足す。


あのときのメモをくれていた人に、ありがとうを伝える方法も考えておけ


「それもログに残しとけ」


「残します」


「じゃ、次の公開でな」


「はい。30分で終わらせます」


 


ドアが閉まる。

日向が小声で言った。


「……なんか、めっちゃ良い話になりましたね」


「そもそも良い話だったんだよ。最初から。

 “熱で決める”って、やろうとしてできるもんじゃないから」


「でもそれ、毎週やろうとしたら壊れますよね」


「だから俺らは“毎週やるようにするほう”をやる」


乃々がちょうどメールを送信し終わるところだった。


「“西条さんの若い頃の成功会議は、実は後ろで誰かがメモしてた説”って書いておきますね」


「やめろ、怒られる」


「“怒らないでください”って1行足します」


「そういうとこが優しいんだか冷たいんだか分かんないんだよな、うちのチームは」


日下部は笑って、ホワイトボードに小さく付け足した。


会議は熱で通すこともできる。

でも、その熱は“書いてくれた誰か”に乗ってるだけのことが多い。


それは今日だけのメモじゃなくて、この先ぜんぶの会議にくっついていく、一番土台になる一文だった。

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