第2 話 議事録のいない会議は、前に戻る」
旧本社・月曜の午後。
ガラス越しの光が横から差して、会議室のテーブルに長い影ができている。ホワイトボードはまっさら。マーカーだけが4色、手つかずで並んでいた。
西条 誠は椅子に腰を下ろし、腕時計を見た。
「じゃ、始めようか。今日は軽く“全体共有”だけ。30分で終わらせる」
そう言ったところで、向かいの若手女子がそっと手を挙げる。
「すみません、今日って……議事録、どなたが」
「今日は口頭でいいよ。共有だけだし」
「でも“誰が持ち帰るかを書いてください”って、前に日下部さんが……」
「……」
名前、出してほしくなかった。
西条は咳払いをして、さりげなく続けた。
「じゃあ……山下。PC開いて。簡単でいい」
「はいっ……あ、ちょっとアップデートが……あ、開きました」
キーボードを打つ音が心もとない。
「よし。じゃあA案件。先週“法務に確認してからにする”ってなってたやつ。法務、来てる?」
「今日は来られないそうです。“議事録もらえれば見ます”って」
「……そうか」
(出てないやつが“議事録もらえれば見ます”って言うんだよな)
「じゃあAは今日も“法務待ち”で。書いとけ」
「はい、“ほうむまち……”」
「“法務”な。漢字変換しろ」
「すみません」
「次、B。備品購入のほう。資料あるだろ?」
「さっきチャットに送りました!」
「えーと……これか。……画像だな」
「はい、手元で見やすいかなって」
「これ、右が切れてるよ」
「拡大すれば……」
「拡大すると文字がぼやけてる。オンライン見えるか?」
『こっちはほとんど読めないですー』
「……じゃあ口頭で説明して」
“口頭で説明して”が出た瞬間、その話はだいたい“今日の会議には残らない”ことが決まる。
「えっと、この備品は今のところA部署とB部署と総務で使う予定なんですけど――」
「それ、どこ向けの資料だったの?」
「え? みなさんに、です」
「“みなさん”って誰だよ。AとBと総務と……あと社長も?」
「はい……」
「じゃあ最初から“誰に送ったか”を書いとけ。次回の出席者が変わったら、誰に出した話か分からなくなるだろ」
「……あ、そうですね」
「“そうですね”じゃなくて、最初に書くんだよ。日下部がいつもやってたろ、“宛先・日付・目的”って」
また出た。
消したはずの名前が、ルールと一緒に出てくる。
「じゃあBは“宛先と日付を付けたうえで再送”で持ち帰り。期限は水曜。書け」
「はい、“あてさき……にちづけ……”」
「“誰に”“いつ”まで書け。来週いないやつにも分かるように」
「はい」
「次、C。イベントのやつ。日程決めるって言ってたやつ」
「それ、出席者が確定してないので“決めないでおこう”ってチャットで」
「それ先週も言ってたよな」
「たぶん3週目です」
「……」
「日下部さんがいたとき、“出席者が欠席してるから決めません”って言うなら、“欠席してるのは誰か”は書いておいてください、って」
まただ。
あいつのセリフが、いないのに机の下から出てくる。
「じゃあCは“出席者リストを今週中に総務で確定”。佐伯さん、やって」
「はい(今決まりましたね、って顔)」
「金曜までな。これも書け」
山下がカチカチ打つ。ふだん書き慣れてないから、佐伯の“伯”で一回止まる。
ここまでで15分。
本来ならここで半分終わってるはずだった。
「じゃ、“その他”行こうか」
全員が心の中で「長くなるやつだ」と思った。
「まず広報から。社内報のネタを――」
「それ共有だけならメールにして」
「え、でも“メールが多すぎるから会議で共有したい”って前に言われたので……」
「誰に言われた」
「日下部さんに……」
また。
西条はこめかみを押した。
「じゃあこうする。“メールで済むやつはメールで済ませる。その代わり宛先と日付と目的は最初に書く”。これを今日の決定にしよう。そしたら『誰に言ったか分かんない』って言われない」
「“めーるですむやつは……さいしょに……”」
「長いから後で俺が書く」
最後の共有が終わって、ふとホワイトボードを見た。
まだ真っ白だ。
(……やっぱりあいつ、最初にこれ書いてたんだな)
気づいてから書くのはちょっと照れるが、書かないと終わらない。西条は立って、マーカーを取る。
今日決めること
音が響く。全員が見ている。
「A:法務待ち(出席時に決定)」
「B:備品再送(宛先・日付・目的を記入して水曜まで)」
「C:イベント出席者リスト 総務・佐伯 金曜まで」
ここまではすらっと書けた。
でも、最後の1行で手が止まる。
「……で、決定事項は……」
「“メールで済むやつはメールで済ませる。ただし誰に向けたかと日付を書く”です」
「……それだけ?」
「それだけです。今日ちゃんと決まったのはそれです」
会議室の空気がちょっとしぼむ。
でも、書いた瞬間にこれは“今日の会議で決まったこと”になった。
来週いない人でも読める。
「よし。終わり」
「お疲れさまでしたー」
会議室を出るとき、後ろで若手がささやいているのが聞こえた。
「やっぱ日下部さんいるときのほうが早かったね」
「うん、“会議じゃなかったって書いときます”って最後に言われると焦るんだよね」
「今日はあれなかったから、また同じのやるな……」
西条は聞こえないふりをした。
けどポケットからスマホを出して、“ひ”で検索して、“日下部 直”が出てくるところまではやってしまった。
親指が「通話」のところで止まる。
(……まだだ)
閉じる。
だが、ホワイトボードの一番下に残った一行は頭に残った。
決定事項:メールで済ませる場合も、宛先・日付・目的を明示すること
小さな決定だった。
でも、なにも残らないよりはマシだった。
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