第11話 王の謝罪
日が沈みだした王都は、昼間の喧騒が少しずつ落ち着いていっていた。
石畳を這う風が冷たく、街を囲う高い壁が闇に溶けていく。
門はすでに閉ざされ、巡回する衛兵の松明が、規則正しい光の線を描いていた。
「……正面は無理だな」
レンが小声で呟く。
彼の視線の先、王都南門の前では、鎧をまとった衛兵が二人、立ち話をしている。
その顔ぶれの中には、かつての勇者としての活動で見かけた者の姿もあった。
レンはフードを深くかぶり、壁際の影に身を潜める。
指名手配の紙は、まだ各地に貼られたままだ。
“裏切りの勇者レン”——その名は、まだ呪いの余韻の中に残っている。
隣でアイリスがそっと息を飲む。
緊張で肩がこわばっているのが、薄暗い中でもわかる。
「大丈夫だ。見つからなければ、捕まることもない」
冗談めかして言うと、アイリスはきゅっと眉を寄せた。
「……そんな軽く言えることじゃありませんよ」
「はは、そうかもな。でも俺たちは、もう一か月も逃げ続けてきた。今さら怖がっても仕方ないさ」
レンはそう言って、少しだけ微笑んだ。
その穏やかさに、アイリスは少し緊張がほぐれる。
やがて、門から離れ、少し壁面が荒れた所にたどり着いた。
「……ここをよじ登るんですか?」
「他に道はない」
レンは周囲を確認し、アイリスの方を向いた。
「……抱えて行く。すぐ終わる」
「えっ……?」
その瞬間、アイリスの頬が一気に紅潮した。
「で、でも、そんな……」
「君一人じゃこの壁は登れないだろ」
言うが早いか、レンはそっと彼女の体を抱き上げた。
驚くほど軽い。
彼女は息を呑み、反射的に彼の体に手を回した。
耳元で、彼の心音がかすかに響いている。
その規則正しい音が、妙に近く、対照的に自身の心臓の鼓動は速くなっていく。
「……ご、ごめんなさい」
「何が?」
「……私の心臓の音、うるさくて」
彼は苦笑し、何も言わずに壁を駆け上がる。
石壁の冷たさと、彼の体温が交互に伝わる。 ほんの数秒のことだったのに、アイリスには永遠にも思えた。
王都に入ったとき、秋風が二人の髪を撫でた。
レンは彼女をそっと下ろし、汚れを気にして手で裾を払う。
「怪我はないか?」
「……はい。だ、大丈夫です」
アイリスは顔を上げられなかった。頬の熱が引かず、胸の鼓動がまだ早い。
二人は人気の少ない裏通りを抜け、王城を目指して歩みを進める。
道行く老人たちの噂話が、自然と耳に入ってくる。
「聞いたかい? 聖女様、もう三日も教会に姿を見せとらんそうだ」
「騎士団長もだ。王城の騎士団連中が、何やら張りつめた顔をしておる」
「ノエル様はあまり人前に出てこないが、英雄様たちが二人ともだと、ノエル様も心配じゃの」
老人達の言葉に、レンは目を細めた。
――呪いの解除。
その影響が思ったよりも彼女たちにも起きているかもしれない。
王都の中心にそびえる白亜の王城。
昼間は煌びやかな光を放つその城も、今は闇の中に沈み、衛兵の足音だけが夜気に響いていた。
「……本当に行くんですね」
アイリスが小さく呟いた。 月明かりに照らされた彼女の横顔は、どこか不安げだった。
「まぁ、会わない事には何も始まらないからな」
レンの声は静かだった。
しかし、彼の瞳は迷いを含んでいない。 ただ、決意に貫かれている。
呪いにより、自分を“裏切り者”として断罪した王。
だが、それがすべて魔王の呪いのせいであったのなら――きっと王もまた、本来の理を取り戻しているはずだ。
レンは壁の陰に身を潜めながら、
城の裏手にある古い搬入口へと近づいていく。
王城に出入りしていたころに覚えた構造は、今も記憶に刻まれていた。
夜警の交代の合間を縫い、静かに鉄扉を押す。軋む音が闇に溶けた。
「行こう、アイリス。……一緒に来てくれるか」
「もちろんです。私は、ずっとレンさんの隣に居ます」
彼女の声は少し震えていたが、確かな決意がこもっていた。
その小さな手を握り、レンは闇の中へと歩み出す。
城内は、驚くほど静かだった。
燭台の炎が壁を揺らし、廊下に映る影が長く伸びている。
懐かしい。けれど、どこか遠い。レンの胸に去来するのは、失われた日々の記憶だった。
王の執務室の前まで来ると、扉の隙間から柔らかな光が漏れていた。
レンは深く息を吸い、扉をノックした。
「……入れ」
低く、落ち着いた声が返ってくる。
扉を開けると、そこには初老の王がいた。 机に広げた書類に視線を落としながらも、その瞳はすぐにレンを捉えた。
執務室は静かな灯火がひとつだけ揺れていた。 壁に刻まれた竜紋が、炎の影に揺れながらゆっくりと呼吸しているかのようだ。
豪勢な椅子に腰掛ける王――アグレス三世は、以前よりもずっと老いて見えた。
扉の前で跪いたレンを見つめ、王は、長い沈黙のあとでようやく声を発した。
「……レンよ。来てくれたのだな」
その声には王としての威厳よりも痛みがあった。
民衆に慕われている名君ではなく、ただ一人の後悔に包まれた男の声だった。
「私は……お前に、謝らねばならぬ」
王はゆっくりと立ち上がり、片膝をついて頭を垂れた。
「お前を疑い、追放し、貶めた。それがどれほどの愚行だったか――いまになって思い知っている。 すべて、我が無知と恐れが招いたことだ。……許されぬことをした」
レンはすぐには答えなかった。
王の声に込められた悔恨を、確かめるように黙って見つめていた。
「赦してくれとは言わぬ。ただ……すまなかった。 お前が流した血も、涙も、我の愚かさの果てにある」
その姿を見た瞬間、レンの中にあった行き場の無いような怒りに似た感情が、静かに解けていった。
やがてレンは、ゆっくりと息を吐いた。
「……陛下、顔をお上げください。俺は、別に誰かを恨んだりなんかはしていません」
「……」
「陛下が俺を疑ったのも、彼女たちが俺を拒んだのも、すべては魔王の呪いのせいです。誰も悪くなかった。俺も、彼女たちも」
その言葉は、王の胸を刺すようでありながら、同時に救いでもあった。
王はわずかに顔を上げ、深く息を吸いこんだ。
「……聖女セリアと、魔導士ノエルそして騎士団長から報告を受けた。 “勇者が裏切ったというのは、すべて虚偽だった”と……彼女たちは泣いていた」
「今、彼女たちはどうしていますか」
「心身ともに憔悴しきっている。 今は王城の一室で静養させておる。……己の罪を思い知ったゆえの苦しみだろう」
王の声は震えていた。
臣下や兵士ではなく、ひとりの父のような響きで。
「レンよ、真実を知った民が混乱せぬよう、まだ公にはしていない。だが、真実を隠し続けることはしない。 お前の名誉を回復する事を誓おう。」
「……しかし、皆が誤解なくお前を再び勇者として慕う為にどう伝えるべきか」
王の目には、深い迷いと疲弊が浮かんでいた。 “真実”を知ってもなお、それを簡単には公にできない苦しみがあるのだろう。
レンはゆっくりと歩み寄り、王の前に立った。
「陛下。……今は焦るべきではありません。真実はいつか、必ず伝わります。 でも、その時に人々が誰かを責めるようでは、何の意味もない」
「……勇者よ、お前は本当に……強いな」
「強くなんてありませんよ。 皆、良い人だって知ってますから。 この一か月はアイリスも一緒に居てくれましたし」
その言葉を受け、隣で緊張しきっていたアイリスが頭を下げる。
その後沈黙が続く中で、蝋燭の炎がふっと揺れた。
しばらくして、王は静かに口を開いた。
「……今から彼女たちに会うか?」
レンは少しだけ目を閉じ、かつて共に歩んだ三人の姿を思い浮かべた。
笑い声、戦い、そして別れ――そのすべてが胸の奥に残っている。
「もちろんです。 そのために帰ってきましたから」
その答えに、王は深く頷いた。
「お前の決意を、尊重しよう。――レン。どうか、再びこの国を見捨てないでくれ」
レンは静かに微笑んだ。
「……陛下、この国にもあなたにも恩があります。 見捨てるつもりなんて、一度もありませんよ」
その言葉に、王は再び頭を下げた。
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