第18話 主役と脇役
若草色のドレスに身を包みヘレーネは広間の柱の影に隠れて、階段の上にある入口をそれとなく見ていた。
紫水晶宮は城内の西側の端にあり、建っている場所の片方が元々窪んでいる土地でそこに美しい池と花々が咲き乱れている。
そこに庭園を造り、一番美しく見える場所を大広間にするように建てられているので、玄関ホールから入り真っ直ぐ進むと両開きの扉の先は会場へと下りる階段が見えてくる。
王室の人々が座る一段高くなり手摺の付いた場所には椅子の傍に警護のため近衛騎士団が控えていた。広い会場の要所要所に軽い食事と果物やデザート類が置かれ、給仕が取り分けたり飲み物を運ぶ。
厨房に続く扉の近くにまた手摺が付いた演奏席あり、そこでは楽器を手にした音楽家たちが優美な音色を奏で、貴族たちは思い思いの場所で寛ぎ談笑して王家の人々が出てくるのを待っている。
「来たぞ」
いつも隣にいてくれるライカは緑の黒髪と同じ色の正装に身を包み、いつもは無造作な髪をきっちりと整えていて見違えるようだ。鋭い眼光も頬の傷もそれなりの格好をすれば箔が付き少しばかり男前にも見えた。
「いつもそうしていればいいのに」
「あ?」
「言葉遣いにも気を付けて」
「煩い。やるときゃやる」
ライカに促されて入口を見ると扉の向こうから淡いピンクのドレスを着たリディアと濃紺のジャケットを着たすらりと美しい少年のようなセシルが入ってくる。黒い長靴が包む脹脛、長いジャケットの裾から覗く黒いズボンの太腿、白いフリルとリボンが胸元を華やかにしてリディアの手を引く細く綺麗な指も全てが絵になる。
「慣れてんな」
正直な感想にヘレーネも頷く。
初めて社交界に出るリディアの顔は笑顔を浮かべてはいるが緊張で強張っている。その横で優しく主導権を握って階段を優雅に下りてくるセシルの顔には余裕すら見えた。
仕草も所作も一級品の紳士だ。
主役であるリディアの引き立て役に徹しているのに、セシルの方が人々の目を惹きつけている。柔らかな髪が天井を彩る水晶でできた灯りから零れる光を弾くのではなく纏わせ、白目の少ない琥珀の瞳が壁に掛けられている魔法の灯りを受けて強く印象的に輝く。
女の目も男の目も通り過ぎるセシルを追い、一体どこの子息なのかと噂する。
そしてようやく隣にいるリディアに気付きあの令嬢は初めて見ると狼狽えた。
「いやだわ。セシルの横には並びたくないわね」
ヘレーネの美しさは儚く、きっと掻き消されてしまう。
主役を食う脇役など連れていていいことなどなにもない。
特にこの社交界では。
「ライカぐらいが丁度いい」
「人を
「だからいったでしょ。いつもちゃんとした格好してたら男前に見えるのにって」
「それを虚仮にしてるっていってんだ」
眉を顰めて頬を歪めるといつものライカに逆戻りだ。
「そんな顔しない。さあ戦闘開始よ。
「長ったらしい名前で舌を噛みそうだ」
「慣れて頂戴ね」
ため息を吐いてライカが肘を曲げて姿勢よく立つ。
鍛えられた身体を正装に身を包んで隙無く立つ姿は堂々としていて頼もしい。
自らの手をその硬い腕に掛けてヘレーネも背筋を伸ばす。柱の影から一歩踏み出すと周囲の視線が一斉に向けられた。
ヘレーネはフォルビア侯爵に連れられて何度か舞踏会や夜会に出席しているので慣れているが、ライカが表舞台に立つのは初めてだ。
いつも影に控えてヘレーネを護る役目だったが、これからは両方の仕事をこなしてもらわなければならない。
目線を上げて友人の顔を眺めると特に緊張もしていない様子で拍子抜けした。
「なんでもできるなんて可愛くないわね」
「お褒めに預かり光栄です」
嫌味に対して笑顔まで浮かべて歓ばれては面白くない。堪らず膨れっ面をすると「ヘレーネ嬢、私が悪者に見えてしまいます。どうか笑顔を」と向けられた赤茶色の瞳にはふざけてないでちゃんとやれと言っていた。
「失礼いたしました。シュテルンベルク様の名に瑕がついては困りますものね」
花のように微笑んで正面を見る。
セシルとリディアは階段を下りて庭園側の方へと移動していた。ヘレーネ達は庭園の向かいの壁側に居たのでこのまま真っ直ぐ進んで行けばいい。
遠巻きにしながら見ている下位の者と、好奇心を隠しきれない上位の貴族が二人を取り囲んでいる。リディアはたどたどしいながらも挨拶をして、相手の言葉に頷いたり笑顔を見せながら時々困惑した顔を見せていた。
そういう時はそっとセシルが話を変えて相手の容姿や衣装を褒め、仕事や領地について尋ね巧みに話を逸らす。
「やっぱり惜しい人材よ。このままディアモンドから去ってしまうなんて」
人の壁に阻まれて近づけないが会話の内容も聞こえ顔も見える。
掻き分けて割って入るのは無粋で好まれない。
さてどうしようかと考えていたら壁の内側にいた顔見知りの伯爵が「ヘレーネ殿ではないか」と気づき朗らかに声をかけてくれた。
目の前の壁が崩れた隙に内側へと入り込み「御無沙汰しております。ウィロー伯爵様」と挨拶する。
セシルがヘレーネの登場に気付いて琥珀の瞳をちらりと向けたが直ぐにリディアの補佐役へと戻る。
「実に二年半ぶりぐらいかな?相変わらず美しい。貴女が来ない舞踏会などつまらない。やはり美しい貴婦人がいてこその舞踏会だ」
「ありがとうございます。ですが私は爵位の無いただの貿易商の娘でしかありません。そうおいそれと公式の舞踏会へ足を運べる身分ではありませんでしたので」
「フォルビア侯爵殿の後見を受けているのだ。堂々と出席成されればよろしい」
「これからはこちらの子爵様のお供で華やかな場へお邪魔する機会が多くなると思います。伯爵様にお会いできると思えば私の不安も無くなるかと」
「子爵?この青年かね?」
ライカがすっと一歩前に出て辞儀をする。
「
「シュテルンベルク?聞いたことない名だ」
「そうでしょうとも。彼の生家である大和屋は陛下の身を護る剣を献上する名誉を長年預かり、その功績を認められつい先日子爵を拝命したのですもの」
「なるほど!あの大和屋の。そうかそうか。こちらこそ宜しく頼むよ」
伯爵は手を差し出してライカの手を握ると機嫌よくにこにこ笑う。
ヘレーネがすかさず「お世話になっておりますフォルビア侯爵のご令嬢にご挨拶をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」とリディアを窺う素振りを見せるとウィロー伯爵が身を引きヘレーネに道を譲る。
「ああ。すまん。私は済ませたので失礼するよ。それではまた」
笑顔で別れヘレーネはライカと共に進む。丁度リディアは同じ位の侯爵である夫人から熱心に話しかけられていた。そして夫人の視線はちらちらとセシルを見ていて興味を押えきれない様子。とうとう話の途中で魅力的な少年について「貴女が連れている素敵な方はどこの御子息なの?」と尋ねてきた。
セシルはやんわりと微笑み、リディアが答えるのを待つ。
「あの」
「お話し中失礼いたします。この類い稀な魅力を持つ方はセシル・レイン・クインス男爵様ですわ。エキザカム侯爵夫人」
リディアの返答を遮って間に入りセシルの紹介を終えると夫人は嫌な顔もせずに歓迎してくれた。同時に微妙な顔のリディアとそれでも微笑みを崩さないセシルに迎えられる。
「あら、ヘレーネ。久しぶりね」
「御無沙汰しており申し訳ありません。侯爵夫人のためになる淑女の嗜みについてのお話を聞けなくて、とても苦労しているんです。どうかまた未熟な私にご教授願えればと思っているのですが、ご迷惑でしょうか?」
「迷惑だなんてとんでもない!いつでも屋敷を訪ねて来てくれれば幾らでもお付き合いするわよ。ところでクインスって」
ちらりとセシルを窺い面倒見のいいエキザカム侯爵夫人が探るような目をヘレーネに向けた。フォルビア侯爵と懇意にしている侯爵夫人は直ぐに勘付いたようだ。
「お気づきの通りフォルビア侯爵の奥さまの生家であるクインス男爵です」
フィオナの生家は領地を持たない下級貴族である男爵家だが、商才のある当主が多く長く王都にて投資と商売で財を築いてきた家柄だ。
五十年程前王都の周辺に初夏まで寒気が残り、農作物がことごとく腐り貴族でさえも食べる物に困るような事態に陥ったことがある。王が国庫に備蓄していた麦や野菜を市民に開放し、被害の少なかった各地から取り寄せたが四万五千人の住民にまで満足に行き渡らない。
そこで王は貴族たちにも私財を投じるように命じたが、自分達の食べる物が少ない状態ではやはり出し渋り思ったように成果は出なかった。
そうこうしている内に暴動が起こり、ディアモンドの街に王や貴族への不満が溢れた。
「なんとかせねば、フィライト国は傾いてしまう」
そうして立ち上がったのはクインス男爵と貿易商社を始めたばかりのアルガスの父であるマーティー=セラフィスだった。
二人は力を合わせて一番早い船を出し、海を越えて沢山の野菜や米や麦を積んで人々に分け与えた。
無償の働きで人々を救ったことを王から感謝され、フォルビア侯爵とクインス家の令嬢との縁談が決まったといういきさつがある。
男爵という下級貴族でありながらクインスの名前は讃えられ、今でも住民たちに親しまれている。
だが残念なことにその名を継ぐ後継者がおらず、その名はこのまま消えてしまう運命となっていたのだ。
「フィオナ様のお知り合いの方から養子として迎えられたと聞いております」
「まあ!そうだったの。それならそうと早くいってくれればよかったのに。新しいクインス男爵の誕生をみなさんで祝福しましょう」
夫人がセシルの背を押して前に押し出すと周囲の貴族がざわざわと騒ぎ始め注目を浴びる。リディアが慌てて「ちょっと待って!違うの」と声を上げても遅い。
「やってくれるね」
ため息を吐いてセシルの目がヘレーネを睨むが、美しいお辞儀をして見せ「お目にかかれて光栄で御座います。クインス男爵様」と挨拶する。
「これぐらいで手に入れられると思ったら大間違いだ。ヘレーネ殿」
ヘレーネの手を取り甲に唇を落として顔を上げたセシルの瞳がきらりと輝く。そして背後にいるライカへと視線をやり、目を張ってから「こりゃ驚いた」と苦笑いする。
「男前だね。ライカ」
からかう声に笑顔で「貴殿も」と応えたライカを信じられないような顔で見て仰け反った。あまりにも普段との印象が違い過ぎて流石のセシルも身震いするとリディアの傍に戻りライカを指差して何事か耳打ちしている。いつもは下ろしている髪を結い上げている少女はいつもより大人っぽく見えたが、セシルの言葉で顔を真っ赤にしてライカを確認し首を振って逃げた。
「リディア嬢の気分がすぐれないようなので、ここで失礼させていただきます」
取り巻いていた人々に有無を言わせぬ口調で断り、リディアを支えて輪から抜け出て行く。そのまま庭園の方へと向かうのを見送る。
「後はどうやって口説き落とすかね」
「難しいだろう」
「奪った方が手っ取り早いのは承知の上よ。でも私はあの子から大切な名前を奪うことをしたくない」
「奪わずに手に入れる方法は無い」
「そこをどう攻略するか」
音楽が変わり広間に王家の訪いを告げた。
貴族たちは
「どうしても欲しいのなら、俺が」
「セシルの名を奪うの?あの子は嫌がりそうね」
それにセシルを囲い込めば大和屋は傾いて潰れてしまう。
「あの子を繋ぎ止めるには別の方法でなければ全員が共倒れになってしまうわ。だからこそここは」
レットソムに導かれノアールがこちらへとやって来るのを見て破顔する。
セレスティア家の紋章の入った正装を着たノアールに挨拶しようと声をかける貴族たちに引き止められながらも徐々に近づいてきた。
「セレスティア伯爵の名代ご苦労様」
「ヘレーネも。しかしすごいね。こんなんじゃ陛下にご挨拶する前にくたびれてしまう」
整った顔に苦い笑いを乗せて大きくため息を吐く。その腕を引いて庭園へと連れ出した。セシルとリディアの姿は広い庭園のどこかに隠れてしまっていて見つけることは難しい。
「ご挨拶の前に私と少し話をしない?手伝ってもらいたいことがあるの」
「手伝い?なにを」
「その前に話しを聞いて」
レットソムとライカがすっと離れて人が近づかないようにと目を配ってくれる。協力を求めるならば全てを包み隠さず話さなければならない。王がいる広間のすぐ傍の庭園で話す内容ではないが場所を選んでいる場合ではない。
「解った」
ノアールが心を決めたのを確認してからヘレーネは唇を開いた。
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