第10話 命の代償


 最上階にある学長室には初代グラウィンドの肖像画が飾られていて、その叡智に満ちた瞳と多くは語らない唇に自然と見ている者の背筋が伸びる。

 その肖像画の前に置かれた大きな机に座っているのは勿論学長であるコーネリア=グラウィンド公爵。迫力のある美しい彼女はヘレーネに見向きもせず淡々と書類に目を通し署名をしていく。


 長い間紙を繰る音とペンが走る音だけが静かな部屋に響いていた。


 門限が過ぎ移動用魔法陣の効果で街へと道は閉ざされているこの時間に学長室にいるのは人を待っているからだ。


「なぜレインを連れて行く」


 コーネリアが疲れたように理由を問う。

 視線を向けると彼女もこちらを見ていて自然と目があった。エメラルドグリーンの瞳には強い訝りの色が濃く浮かんでいる


 逸らすことはできない。

 それは自信が無い表れとして取られてしまう。


「彼女はキトラスの言葉を誰よりも流暢に話すことができます。この国の言葉に不安が残る巫女の通訳として、巫女から直々に頼まれました」


 王子の余命を伸ばすためにキトラスから呼ばれた巫女は、王子を見舞う条件として何故かセシルの名を挙げた。共に行けないのなら登城はしないとまでいわれ、ヘレーネはそれを飲むしか方法は無かった。


 巫女の力無くして延命はならず。


「それにセシルは私の秘密に辿り着いています。今更隠す必要はありません」

「レインを王城に入れるということが問題なのだと申し上げている」

「それではどうして公爵様はレインを学園に入学させたのですか?」

「学園は広く開かれた場所だ。拒む理由は無い」

「そうでしょうか。学園と言えどもグラウィンド公爵の領地であるこの場所に、危険分子ともいえるレインを招いたのは公爵様でしょう?ここには私もいる。そして街へ行けば王城は直ぐそこ。今更なにが危険で問題なのか私には解りません」


 にこりと微笑めばコーネリアは苦々しく顔を歪ませて書類に目を落とす。


「本当に王都とは余計な問題ばかりを引き寄せる忌々しい場所だ。手のかかる生徒ばかりで頭が痛い」

「申し訳ございません」


 形ばかりの謝罪をしてヘレーネは扉を振り返る。

 扉が叩かれ先ずはキトラスの巫女であるキビル・ミジョカが現れた。キトラスの民族衣装である白いワンピースは足首まであり、その裾と袖を美しい青い花の刺繍が縁どっている。

 いつものように髪はベールで被われ目は伏せられていた。


「招命により参りました」


 通訳の必要など無い言葉にコーネリアが呆れたような顔でため息を吐く。


「どこに不安などある?」

「私には解りかねます」


 学園長の疑問に答えられるはずも無く、ヘレーネは首を傾げた。

 キビルはふっくらと下唇を緩めて微笑み「あたしは難しい言葉解りません。王城で交わされる特殊な言葉はもっと」と答える。


「なにか失礼なことするかもしれない」

「例え礼を失することがあったとしても巫女殿に責任を問うことは無いので安心して頂きたい」

「言葉より安心したい。だからレイン連れて行く」

「えらくお気に入りのようだが、貴女の国でも彼の者は嫌われているはずですが?」


 巫女が深く俯くとベールで顔が隠れる。

 笑っているのか、考えているのか解らない様子に王子の命を握られているヘレーネは戸惑う。


 そしてグラウィンド公爵も。


「あたし初めてレインと会いました。想像よりずっと魅力的、奔放で美しい。そして寂しそう。あの子は迷子。帰る場所の無い魂。永遠に安らげない孤独な子ども」


 両手を広げて己の掌を見つめる巫女はぽつりと「だからみな惹かれる」と締めくくる。

 セシルを連れて行くことが言葉より安心するためだという理由の説明は全く無かったが、キビルが彼女を気に入っていることだけは解った。

 また扉が叩かれてドライノスに連れて来られたセシルは中にいる人物に目を丸くするとやれやれと肩を落とした。


「学費の請求かと思ってたら、なんだか嫌な顔ぶれが並んでるね」

「そういうこと。これから一緒に来てもらうわ」

「残念ながら拒否権はなさそうだ」

「その通りよ。巫女直々の御指名だから諦めて」


 セシルはキビルを見ると「なんでさ?」と問うが巫女は応えない。


「しょうがないディアモンドを去る前の大盤振る舞いだ。お供しますとも」


 少々自棄になっている感が否めないが文句もいわずについて来てくれるといってくれたのでほっとする。

 コーネリアからセシルの学費が納められていないことを聞いていたので、時間切れが近づいているのは理解していたがこうもはっきりいわれると切なくなった。


 本当にセシルはなんの未練も無くここを去るのだろうか。


 いや未練が無いわけでは無いはずだ。

 そこをヘレーネが上手く突ければセシルを引き止めることは可能かもしれない。


「それではこちらへ」


 偉大なるグラウィンドの肖像画の前にコーネリアが立ち、その額縁の下をぐっと押す。

 ただの壁にしか見えなかったその場所にいつしか扉が姿を現す。

 その扉を押し開けて公爵は先に潜る。そしてヘレーネ、続いてキビルとセシル。最後に何時の間にかやって来たライカが入り閉められた。


 この訪問は正式な物ではない。


 カールレッドの寿命が延びるのは王子の治りたいと思っている気持ちであるという建前を貫くためには巫女が見舞ったという事実は伏せられなければならないからだ。


 王子の寝所にはグラウィンド公爵が見舞うと知らされており、前もって人払いがされている。王子の傍には乳母であり懐いている侍女のブリジットだけがついていた。


 ヘレーネも初めて会うことになる王子に緊張を隠せず、コーネリアが両開きの扉の前で立ち止まりノックをした瞬間息が止まりそうになったぐらいだ。

 扉が開けられ急かされるままに中に入る。

 薬草と病人の臭いが籠っていて、僅かに死臭も感じられた。

 訪れる者みながこの部屋の主の寿命が尽きかけていると感じるだけの物が見ずとも確かな事実として突き付けているようだ。


「カールレッド王子、コーネリアです」


 公爵が優しげな声で呼びかけると大きな寝台の上で小さな気配が動く。枕に散る蜂蜜色の細い髪、落ち窪んだ眼は薄紫色をしていた。白い肌は荒れているが、愛らしいその顔に色濃く残る病疲れの跡。痩せた身体は七歳という年齢を差し引いても小さく脆い。


「まってた」


 公爵が来ると聞いて王子は楽しみにしておられたのですと枕元に控えているブリジットが言葉を補足する。


「フォルビア侯爵からお話は聞いておられるかと思います。キトラスの巫女をお連れしました。そしてヘレーネ様も」

「ほんとに?」


 掠れた幼い声が元気を取り戻したかのように弾んで身じろぎをする。

 起き上がろうとしているのだと気づいてヘレーネは堪らず傍へと近づいた。


「カールレッド王子どうかそのままで」


 跪き懇願すると「あなたがヘレーネ?」と確認される。それに「はい」と応えたその後の言葉が出てこない。

 挨拶をして会えたことを喜び、それから不躾に寝所を訪れたことを謝罪しなければならないのに。


 なぜか言葉が、声が出ない。


「父上がいっていたナモレスクの真珠。きれい」


 手がヘレーネの髪を撫でる。


「兄上。死ぬ前にお会いできてうれしい」

「カールレッド王子!」


 はっと顔を上げると病んだ顔に笑顔を乗せて王子は本当に嬉しそうに微笑んでいた。

 兄に会えたことを素直に喜んでいる。


 その純粋な気持ちにヘレーネは苦しくてたまらなくなった。

 会ったことを後悔した。


 会わなければカールレッドが一年死の病に苦しもうが、それほど心を痛める必要がなかった。

 だが一度会ってしまえばこの幼い王子に癒えぬ病を一年耐えろといえない。今まで十分苦しんで、戦ってきたのに。


 兄と呼ばれ手を伸ばされれば、重責を押し付けてくる病弱な弟を恨めるはずも無い。

 それでもヘレーネには時間が必要で、そのためには王子が余計に苦しまなければならない。


「申し訳ございません。私が至らないせいで王子には過度の痛みと苦しみを長く与えることに」

「兄上はなにも悪くない。悪いのは私。そして病」


 疲れたのか力無く息を吐き、カールレッドは枕に埋もれる。


「でも病が無ければ兄上と会えなかった。それだけはいいことだったな」

「もうなにも仰らないでください」

「そんな。せっかく会えたのに。たった一年しか兄上に時間を与えられないことを謝らなくちゃいけないと思ってた」

「カールレッド王子、どうかもう」


 なにもいわないで欲しい。


 過酷な運命を与えられたのはヘレーネだけではないのだと今はっきり解った。

 カールレッドもまた過酷で短い人生を精一杯生きようとしている。

 それなのに覚悟もまだできていないヘレーネが王子の謝罪を受けるなどあってはならないことだ。


「王子お体に触りますのでそれぐらいで。巫女を紹介いたします」


 コーネリアが間に入りヘレーネは立ち上がってその場所を巫女に譲る。キビルが目を伏せたまま深々とお辞儀をして「キビル・ミジョカと申します」と名乗った。


「遠い所はるばるディアモンドまで来てくださって感謝いたします。このような場所とこんな姿でお恥ずかしい限りですが、どうかお許しください」

「御病気ですので仕方ないことです」


 非礼を詫びる王子にキビルは優しく微笑む。そして自分の治癒の力では病気は治せないこと、そして苦しみも痛みも消せないことを説明する。

 それを了承してくだされば力を施しましょうと告げた巫女にカールレッドは静かに頷き「お願いします」と自分の口で伝えた。

 キビルが笑顔で応じてそっと手を伸ばす。王子の額に掌を乗せてゆっくりと呼吸を整えているのをヘレーネは固唾を飲んで見つめた。


「ちょっと待ちなよ」


 今まで黙って見ていたセシルが不機嫌そうな顔で待ったをかける。

 怪訝そうな公爵と仏頂面のライカ。そして制止の声がかかるのを待っていたかのようにくすりと笑ったキビル。


「ほんとは最後まで黙っとこうかと思ってたけど、あんたらその巫女の力を魔法かなんかと勘違いしてない?」

「どういうこと?」


 問うとコーネリアは舌打ちし、ライカは眉を跳ね上げてセシルの言葉を待つ。


「巫女の力は命を相手に分け与えることで治癒するんだ。つまり王子の寿命を延ばす代わりにキビルの寿命を削るってこと。しかも等価ではないのが肝心だよ」

「……余計なことを」


 呟いた学園長を驚いた様に見つめ「余計なこと?」と問い返す。


「命を以て命を救う。尊いことではないか」

「たった一年伸ばすためにキビルの払う代償は十年だよ。それを尊いといえる?」

「十年!?」


 あまりにも高い代償だ。

 それでも彼女の力に縋らなければならないなんて。


「邪悪なる者は永遠にカステロの熱により消え失せよ。カステロ様は病も飢えも全て邪悪としています」


 だからいいのだとセシルにやんわりと微笑む。


「綺麗ごとは抜きにして命乞いした方がいいよ、キビル」

「大丈夫です。あたしの命十年縮んだくらい問題ありません」

「力を使ったら死ぬ可能性もあるのに」


 確かにキビルの寿命が残り十年だとしたら、カールレッドに力を使った後で命を失うこともあるだろう。不安に駆られるヘレーネにも笑顔を見せてキビルは大丈夫だと請け負う。


 そして再び呼吸を落ち着けてゆっくりと謳うように言葉を紡ぐ。

 聞いたことの無い旋律はふわりふわりと風にそよぐ様にか細く消える。


「まるで鎮魂歌だ」


 顔を反らしてセシルは入口まで下がる。

 キトラスの言葉をも操る彼女には巫女の歌う様な言葉の意味も理解しているのだろう。


 キビルがセシルを同行させたのはヘレーネに己の力の源がなんであるかを伝えて貰うためだ。

 キビルの寿命を十年使って得られた貴重な一年をヘレーネが無駄にしないように。


 また背負う荷が増えた。

 預けられた尊い命をヘレーネは胸に抱いて顔を上げる。


「もう、逃げない」


 そう決めて。

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