白き那由他
光春樹
プロローグ
人はなぜ、醜いのか。
争いをやめず、妬み、奪い合う。
酔っ払いが、誰かのゴミを拾って歩く光景を、僕は見たことがない。
ネットでは、一度の失敗で、人を自殺に追い込むまで叩き続ける。
虐待は、なぜなくならない?
詐欺は? 戦争は?
なぜ繰り返す?
ある者は、こう言った。
「それはこの世界が──そういうふうにできているからだよ」
それを聞いたとき、なぜか胸の奥がざわついた。
そんなはずはない、と叫ぶように──
だから、俺は神話を学んだ。
本当に“神がこの世界を作った”のだとしたら──
それは、善ではなく、悪の神ではないのか?
世界は腐っている。
それでも人は、“希望”を口にする。
……じゃあ、その希望は、どこから来る?
誰が与え、誰が、それを見失ったのか。
答えを知るために。
俺は、“世界の外側”を、見に行く。
◇
空に、それは現れた。
白い。まっさらな白。星のようでありながら、星ではなかった。
太陽を十倍に膨らませたような、巨大で、鈍く光る白い球体が空の一点を占拠していた。
あの方角は、かつて“セリオス銀河”と呼ばれた星域──
ワープなら数秒もかからない。だが実際の距離は数十万光年。
そこには、友人も、仲間も、家族もいた。
仲間も、家族も。
だが、今はもう誰にも会うことはできない。
白は、最初は太陽ほどの大きさだった。
それが五年前、突如として膨張し、今の姿となった。
あの膨張は、今も「停止したまま」だ。
直径一万光年にもなる超巨大白球。
いや…、もはや球体でも星でも空間でもない。
銀河が“白く穿たれた”ようなものだ。
そして、その内部で何が起きているか──誰にもわからない。
それ以降、都市セリオスへのワープは“禁止”ではなく、“不可能”となった。
あの空間は、あらゆる観測デバイスを拒絶する。
光も、重力も、意味も、すべてが“白”に溶けた。
“白化現象”──
そう呼ばれていたそれに、人々はいつしか別の名を与えた。
那由他(ナユタ)──
命名したのは、世界理論統合機構の初代主席科学官にして、
量子思考学の創始者──星川リュウタ博士。
彼がかつて、空に浮かぶ“白”を前にこう語ったという記録が残っている。
「名を付けよう。無理にでも。今の我々に“理解できない”など許されない。“観測”するためには、“名前”が必要だ。」
それは、未知の恐怖に対してもなお“認識しようとする意志”だった。
白化現象という異常を、人類の傲慢は「理解不能」とは認めなかった。
“那由他”
それは人類が名付けた、観測不能な現象への最後の抵抗。
本来、数の単位としては「不可思議」や「無量大数」といった、さらに上位の概念が存在する。
だが、それらはただの“量”の極致にすぎない。
“那由他”は違う。
それは「理解できないが、まだ何とか触れられるかもしれない」──
そんな祈りのような矛盾が込められた言葉だった。
「これは、解明されるべき問題である」
星川博士がそう定義したとき、人類はすでに楽園の只中にいた。
彼が発見した未知の量子、「HOPE(ホープ)」。
それは、“観測される前の意志”に質量が存在することを証明し、量子学を決定的に変えた。
HOPE理論に基づいて開発されたAIは、人間の希望的観測を先回りし、実現する存在となった。
欲望は予測され、満たされ、 飢えも病も、定義上この世界には存在しなくなった。
それなのに、 人々の目から、光が消えていった。
神は与えなかった。
だがHOPEは与えすぎた。
そして──白が広がっていく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます