白き那由他

光春樹

プロローグ

人はなぜ、醜いのか。

争いをやめず、妬み、奪い合う。

酔っ払いが、誰かのゴミを拾って歩く光景を、僕は見たことがない。

ネットでは、一度の失敗で、人を自殺に追い込むまで叩き続ける。




虐待は、なぜなくならない?

詐欺は? 戦争は?

なぜ繰り返す?


ある者は、こう言った。

「それはこの世界が──そういうふうにできているからだよ」


それを聞いたとき、なぜか胸の奥がざわついた。

そんなはずはない、と叫ぶように──

だから、俺は神話を学んだ。


本当に“神がこの世界を作った”のだとしたら──

それは、善ではなく、悪の神ではないのか?


世界は腐っている。

それでも人は、“希望”を口にする。


……じゃあ、その希望は、どこから来る?

誰が与え、誰が、それを見失ったのか。


答えを知るために。

俺は、“世界の外側”を、見に行く。









空に、それは現れた。

白い。まっさらな白。星のようでありながら、星ではなかった。

太陽を十倍に膨らませたような、巨大で、鈍く光る白い球体が空の一点を占拠していた。


あの方角は、かつて“セリオス銀河”と呼ばれた星域──

ワープなら数秒もかからない。だが実際の距離は数十万光年。

そこには、友人も、仲間も、家族もいた。

仲間も、家族も。


だが、今はもう誰にも会うことはできない。


白は、最初は太陽ほどの大きさだった。

それが五年前、突如として膨張し、今の姿となった。

あの膨張は、今も「停止したまま」だ。


直径一万光年にもなる超巨大白球。


いや…、もはや球体でも星でも空間でもない。


銀河が“白く穿たれた”ようなものだ。


そして、その内部で何が起きているか──誰にもわからない。


それ以降、都市セリオスへのワープは“禁止”ではなく、“不可能”となった。

あの空間は、あらゆる観測デバイスを拒絶する。

光も、重力も、意味も、すべてが“白”に溶けた。


“白化現象”──

そう呼ばれていたそれに、人々はいつしか別の名を与えた。


那由他(ナユタ)──


命名したのは、世界理論統合機構の初代主席科学官にして、

量子思考学の創始者──星川リュウタ博士。


彼がかつて、空に浮かぶ“白”を前にこう語ったという記録が残っている。


「名を付けよう。無理にでも。今の我々に“理解できない”など許されない。“観測”するためには、“名前”が必要だ。」


それは、未知の恐怖に対してもなお“認識しようとする意志”だった。

白化現象という異常を、人類の傲慢は「理解不能」とは認めなかった。




“那由他”


それは人類が名付けた、観測不能な現象への最後の抵抗。


本来、数の単位としては「不可思議」や「無量大数」といった、さらに上位の概念が存在する。

だが、それらはただの“量”の極致にすぎない。


“那由他”は違う。

それは「理解できないが、まだ何とか触れられるかもしれない」──

そんな祈りのような矛盾が込められた言葉だった。


「これは、解明されるべき問題である」


星川博士がそう定義したとき、人類はすでに楽園の只中にいた。


彼が発見した未知の量子、「HOPE(ホープ)」。

それは、“観測される前の意志”に質量が存在することを証明し、量子学を決定的に変えた。


HOPE理論に基づいて開発されたAIは、人間の希望的観測を先回りし、実現する存在となった。


欲望は予測され、満たされ、 飢えも病も、定義上この世界には存在しなくなった。


それなのに、 人々の目から、光が消えていった。


神は与えなかった。


だがHOPEは与えすぎた。


そして──白が広がっていく



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