第20章 騙された契約

グリナスがマーリンのもとを訪れたのは、翌日の夜だった。


白いドレスをまとっている。いつも黒い服ばかり着るマーリンに


グリナスがプレゼントしたものだ。


彼女は、窓際で静かに本を読んでいた。




「マーリン」


「……グリナス!」




「キュリアのところに行っていたの?」


心配というより、嫉妬の感情。


「ああ。ちゃんと、お別れを言ってきたよ」




マーリンが小さく走り寄り、グリナスに抱きついた。




「マーリン……会いたかった」


「……わ、わたしも」




グリナスの大きな体が、彼女の細い肩をやさしく包む。


髪を撫でられるたびに、マーリンの胸の奥に――


どうしようもない執着が根を張っていくのが、彼女自身にもわかった。




「マーリン。ちょっと文献を読んで……気になった事があるんだ」


「え? どうしたの?」




「“核の部分譲渡”って項目があっただろ?」


「……ええ。あったわね。でも、あれは……歴代の中でも実行例はほとんどないはずよ」




グリナスはなおも優しく髪を撫で続けながら、囁くように尋ねた。




「どういうときに、使われるんだ?」




マーリンは顔を上げ、少し首をかしげて思い出す。




「んー……確か、アネス様が言っていたわ。


魔女の出産した子どもが、思いがけず核の一部を奪った状態で生まれたとき……


その処置として“部分譲渡”による回収が行われたって――」




「つまり、相手に魔女の素質なくても渡せるのが“部分譲渡”ってことか?」


「……わからない。魔女は本能的に、譲渡できる“波動”を感じ取るって言われてる。

この村で可能性があるとしたら……キュリアくらい。でも、彼女でもそこまで強くはない。

そもそも“部分譲渡”って、あくまで予想外の事態を“やり過ごす”ための、応急的な技術なのよ。

まさか……あなた、部分譲渡を受けたいの?」




「ああ」




「ダメよ! 危険すぎる!

波動を持たない人間が、たとえ“一部”とはいえ“核”を持ったら……どうなるかわからないのよ!?」




「……最後まで聞いてくれ。マーリン。

君、前に言ってたよな。

“普通の人間には、魔力を蓄える“タンク”が存在しない”って」


「ええ、でもそれは――」


「でも、考えてみてほしい。

本当に“存在しない”のか? それとも……

君の魔力が、規格外に強すぎるだけなんじゃないかって。

だから壊れた。タンクが持たなかった。そうは考えられないか?」


「…………」


「だから、まずは俺が受け取る。“魔力の一部”を、俺が預かる。

そのうえで、それを“分けていく”んだ。他の人間に、少しずつ。

君の負担も減る。人々の体も、少しずつ魔力に“慣れていく”。

もし危険な兆候が出たら、すぐに君が回収する。それなら安全だ。」

「何度も繰り返して、少しずつ――

少しずつ、“魔法を使える世界”にしていくんだ。誰もが、当たり前に」


マーリンは戸惑った。

核を分け、魔力を薄め、それを他者に受け渡すなど――そんな理論、聞いたこともない。


けれど、グリナスの声はまっすぐで、確信に満ちていた。

その瞳を見つめていると、まるで“真実”のように思えてくる。


(もし、彼がその先に“私”を見てくれているのなら――)


魔女としての警戒心よりも、

一人の女としての願いが、マーリンの理性を上書きしていった。


何より…“一緒にいられる時間”が増える。




「……わかった。やってみる」




「ま、待ってくれ」


「?」


「まだ少し怖くてさ…このまま、抱きしまたまま始めちゃダメかな?」


マーリンはきょとんとし、すぐに微笑んだ。


「ふふっ。いいわよ。緊張しているあなたの鼓動も聞いてみたいし」




グリナスはマーリンを自身の胸に深く沈めた。


その瞬間、彼の目は全く笑っていなかった。


(ここからが…俺の…命をかけた勝負だ)


術式が始まる


マーリンの呪文は人間の発音とは思えない程まがまがしいものだった。


契約専用の魔力がグリナスに流れ込む。


「準備できたわよ。簡易受諾の用意を」


魔法を使えるように実験を繰り返したグリナスには直感的に扱いが理解できる。


「…わかった」




マーリンに気付かれぬように、顔をうずめさせたままグリナスは、送られてきた魔力を使い、“簡易受諾”ではなく———


“継承受諾”を発動する。




次の瞬間


ヴン


グリナスの中にかつて感じたこともないような強力な力が流れ込んでくる。




「移ったわね。とりあえず、成功……大丈夫?体に違和感はない?」


マーリンが顔を上げる。




グリナスは無意識に泣いていた。


「ごめん…ごめんマーリン…」




「え…」


マーリンの顔が一気に曇る。




「君は継承の制約を破った…俺をだまし、核を一部しか明け渡さなかったんだ…」




「な、なにを言っているの!?」


マーリンはドンっとグリナスを突き放す。




「君は裏切り行為により…封印される。」




地の底から響くように、空間が鈍く震えた。

グリナスの足元から淡い紋章が広がる。

マーリンは顔を上げた。


「……え?」


「や、やめて……グリナス、やめてっ……!」

彼女の叫びは、術式に飲み込まれた。

淡い光に包まれながら、その声も、意識も、静かに吸い込まれていく。

マーリンはその場で光に包まれ、動かなくなった。




グリナスは人知れず涙を拭い、どこというわけでもなく声をかける。


「……もう出てきていい」




森の奥から、キュリアとエルグが現れる。

キュリアは走り寄るなり、崩れ落ちた。



「あああっ! ごめんなさい! ごめんなさい、許して……!」

地面に突っ伏したまま、嗚咽が止まらない。

だが、マーリンは──まるで魂を抜かれたように、そこに浮かんだままだった。


エルグは言葉を失っていた。

けれどその表情には、やり切るしかないという覚悟と……かすかな悲しみが浮かんでいた。






「もう……謝っても仕方ない。それより……」


ドクンッ!


「ぐぁっ……!!」

突然、グリナスが胸を押さえ、そのまま地面に崩れ落ちた。


「グリナス!! 大丈夫か!?」

エルグが駆け寄り、背中に手を当てる。


(まずい……核が強すぎる! このままじゃ体が保たない!)


グリナスは荒い息を吐きながら、手を伸ばした。

二人の額へ、魔力の火花が走る。


「急げ……核を、抽出しろ……!」


(これで安定しなければ……俺たちは、終わる——!)




エルグとキュリアは同時に、両手をマーリンへ向ける。


その瞬間、マーリンの胸元から淡い光が二筋、解き放たれた。



白と青のそれぞれの光が、一直線に二人の体へと吸い込まれていく。


キュリアはその場にひざをつき、マーリンの顔を見つめた。

眉は苦悶にゆがみ、瞳には流れた涙の跡がまだ残っている。




「ごめ……んなさい……」


彼女の声は、もはや誰にも届かない。




そして――3つの核が揃ったその瞬間。

グリナスの全身に、大地とつながったかのような魔力が迸る。


「……これが、力か」


苦しみが消えた。


今、すべての始まりと終わりが、この手の中にある。




「……さよなら、マーリン」


(せめて…君の願いだけは…)




三人の魔法使いが同時に術式を起動する。


魔女の身体は、光に包まれ、空へと放たれていった。

水平線の彼方へ。


もう、戻ることはない。

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