第13章 飛翔べ!
ナギは魔女とともに黒海に落ちる。
灰色の海。背後に大量に蠢く黒龍の気配。
黒海の底に吸い込まれていくナギの腕には、魔女がいた。
ぐったりとした身体。かすかな鼓動。
それでも、確かに——生きている。
そのとき、静寂の中に声が響いた。
言葉ではない。
魔力が、脳髄に直接焼きつくように語りかけてきた。
「間に合ったな。……しかし、もう限界だ。黒龍が…動き出してしまう」
ナギの心臓が強く打った。
ここは黒海のど真ん中だ。
逃げ場など———ない。
海は、ただひたすらに深く、冷たく、そして“重い”。
(黒龍が来る――!)
逃げなくては!しかし…
エイルの声がよぎった。
「全力で他人と泳ぐのは、危険よ」
その忠告は、今になって骨の芯を冷やす。
ナギの魔力はすべて泳ぎに特化され、他人を守る余力などない。
だが――再び魔女の声が響く。
「私の魔力を付与する。逃げ切れるはずだ。……私のことは、心配ない」
魔女の防御魔法が発動される。
その魔力の流れはかつて見たものとは質も、重厚さも、別次元だ。
そして、魔女の指先が微かに震え、ナギに向けられる。
ナギを包む水が“変質”した。
水圧が、滑らかになっていく。
身体に纏っていた服が、黒く変化し、光沢を帯びながら皮膚に密着していく。
まるで水そのものがスーツとなり、骨格に沿って形を変えていくようだった。
体中を駆け巡る魔力。鼓動が跳ね上がる。
(何だ、これ……身体が、軽い!)
視界が広がり、音が戻る。
魔女の声が、再び明確に届く。
「泳げ、ナギ…いや———」
ナギの目に力がこもる
「飛翔べ!!」
ドン!!
次の瞬間、ナギの身体は爆ぜたように前方へ放たれた。
水の抵抗など存在しなかった。
まるで、水と一体化したかのように――いや、水そのものを置き去りにする勢いで、ナギは加速した。
その刹那。
海底がうねった。
黒龍が――放たれた。
ドドドドドドォ!!
前回とは、比べものにならない。
その咆哮が、海そのものを震わせ、地鳴りのように重低音を響かせる。
数十――いや、数えきれないほどの黒き影が、一斉に動き出した。
ナギは叫んだ。
「おおおおおおッ!!」
速度は限界を超える。
海を割き、渦を巻き、駆け抜ける。
崩れゆく海底。
そのひとつひとつが、後方から迫る巨大な圧力にえぐられ、音もなく砕けていく。
この世の終わりのような轟音とともに、大小さまざまな龍の大群が迫る。
——否、飲み込もうとしてくる。
触れただけで島すら粉砕する黒龍の顎が、すぐ背後に迫っていた。
(くそ!!速い…まだ…奴らのほうが速い!!)
心が折れそうになる。
小型の黒龍が迫る。
大型よりも速度に優れ、飛び道具のように突っ込んでくる。
ナギは進路をジグザグに切り替えながら、爆発的な水柱を背後に生み出し、雷のように海中を駆け抜けた。
それでも、噛みつかれる寸前———
魔女の一閃が、黒龍を薙ぎ払った。
「ぐ……っ」
苦悶の表情を浮かべ、魔女がふらつく。
———長くは耐えられない!
焦りから肺が焼けつく。
視界が揺らぎ、身体がきしむ。
それでも、ナギは叫ぶように祈る。
(あと少し!)
「抜けろぉおおお!!!」
その瞬間――
海流が、まるで意思を持ったように変わった。
水の密度すら、別の世界に移ったかのように揺らぐ。
黒龍の咆哮が、唐突に止んだ。
突進していた影が、境界線の手前でピタリと凍りつく。
ナギが振り返る。
龍たちは、一歩も動かず、ただその場に沈黙していた。
(逃げ切れた……?)
波も音も消えた海のなか、ナギはようやく、深く息を吐いた。
まるで境界線を越えた瞬間、見えない鎖に引き戻されたかのように龍が後退していく。
黒海を、越えたのだ。
「……っ」
「は、はあ……はあ……っ」
海上へ浮上したナギは、魔女を胸に抱きながら、波の合間に身を浮かせる。
呼吸が荒く、視界が揺れて、意識が今にも暗転しそうになる。
そのとき――
「よくやった、ナギ。まずは第一関門突破だ」
その声は、魔女の口からによるものだった。
凛とした響きの中に、微かな安堵と、誇りがあった。
「は…ははは」
ナギは、笑った。
息も絶え絶えの中で、それでも笑った。
(これが……あの魔女か)
世界を変えたとされる、三つの核魔法を奪われた魔女。
その真価を、ほんの一滴だけ――見た気がした。
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