#6 アスカからのメッセージ、臨時のバイト

 そして私は、ふかふかのベッドで朝までぐっすりと眠ることが出来た。どこからも誰からも、邪魔が入ったりすることはなかった。夜明けと共に起き出して、試しに「浴室」の蛇口をひねってみたが、さすがにそこから熱い湯が出てくることはなかった。

 人通りの少ないうちに通りへ出て、パン屋のコーヒー・スタンドで、ブレンドコーヒーと棒パンのモーニングセットを注文した。コーヒーカップから湧き上がる湯気が、カウンターを照らしているバチェラー燈の光に白く輝きながら、まだ暗い通りへと流れていく。二十五億両もする朝食だが、一泊分の費用が浮いたことを考えれば、このくらいのことは許されるだろう。


 腹ごしらえも済んですっかり元気になった私は、近くの支分情報公署まで無料の市民共用公開端末オープンコンソールを閲覧しに行ってみることにした。社内コンソールが使えた昨日までは、わざわざコンソール閲覧のために出掛けるなど、考えもしなかったのだが。

 公署の前には、閲覧者の行列ができていた。小半刻ほど待たされて、ようやく自分の番が回ってくる。コンソールの前に座り、画面下の鍵穴に個人錠を差し込んで半回転させた。機械が起動して、真っ黒だったマイクロフリップディスプレイの画面に、色とりどりの帯文字リボンが表示される。そのいくつかを決められた手順通りにプロットペンでなぞって保護暗号を解除し、私は個人向けメッセージ閲覧申請を行った。

 たちまち、いくつものメッセージがずらりと並んだ。その大半は、何らかの商品の売り込みだ。私が失職したという属性情報は、まだあまり広がっていないらしい。それらのどうでもいいメッセージを片っ端からプロットペンで消去していくうちに、探していたものが見つかった。つい昨日まで同僚だった、アスカからのメッセージだった。


 その内容によると、会社の窓口として指定されていた法律事務所では、ろくな話を聞けなかったようだった。相手は「法的には」という枕詞を繰り返すばかりで、要するには我々元社員には残りの給料も退職金も出ないのだから諦めろ、とそういうことらしかった。

 埒があかないと判断して再び総本社の前に戻ったアスカたちは、何とか中に入れないかとビルの回りを隈なく調べたが、やはりどの入り口も完全に閉鎖されていて、手も足も出ない。


「物理的侵入が無理なら」

 と、アスカは綴っていた。

「仮想空間からの侵入、つまりは社内コンソール・キューブへの電子的侵入も試してみた。昨日までキューブのオぺレータだった俺だが、やはり駄目だ、歯が立たない。保護暗号鍵キーリボンのパターンが、一晩のうちに全て書き換えられていて、暗号を破らない限りフラグメント化された情報をマージできない。十の六兆乗の組み合わせがある帯文字リボンのパターンから正解を見つけることは不可能だ。つまりは、今のところは万策尽きた、そういうことになるわけだ」

 大体予想していた通りではあった。彼に礼を述べるメッセージをポストすると、私は真鍮の個人鍵を捻ってコンソールから抜いた。全てのマイクロフリップがかすかな動作音と共に瞬時に反転し、コンソールは画面を暗転させて停止した。


 支分情報公署を後にした私は、さてどうしたものか、と思案に暮れた。まずは仕事探し、ということになるわけだろうが、それならばこの街区よりもシティに出たほうがいいだろう。幸い市内隣接域通行権利証パスはまだ当分の間、通用期限が残っていた。

 駅に向かうべく、私はメイン・ストリートを歩き始めた。通りに並んだ店の営業時間まではまだかなり間があり、人通りはまばらなままだ。ところが例のトンネル商店街、「仙女座街」に足を踏み入れると、そこはすでに活気に溢れていて、巨大な榴弾瓜やら宙豚のブロック肉やらを詰め込んだ買い物籠を手にした買い物客の群れが、通りを闊歩していた。


 あの老人のジャンク屋も、すでに店を開けていた。老人の「いつでも来なさい」という言葉を思い出した私は、このまま通りすぎるのも愛想なかろうと、店をのぞいていくことにした。

 驚いたことに、店頭の一番目立つ場所には私が昨日売ったばかりの実体幻視機が目玉商品よろしく鎮座していて、二兆両クレジットの値札がつけられていた。買い取り値の四倍で売られているわけだが、まあそんなものなのかも知れない。

「ごめんください」

 と声を掛けて、私は油で黒ずんだ床板を注視した。またここから老人が出てくるはずだ。

 ところが予想に反して、「お入り」という声が、今回は頭上から聞こえてきた。見上げると、高い天井の近くに巣箱のような小部屋があり、白髪の老人はその窓から顔を出していた。この前と同じ、紺色の作業着姿だ。

 急な段梯子を登って、私は老人の居住スペースらしき場所にたどりついた。狭いながらもソファーやローテーブルが置かれていて、リビング・ルームとしての体裁がちゃんと整っている。


「まあ、掛けなさい」

 そう言ってソファーを指差した老人は、熱いミルクティーを運んできてくれた。

 あれからどうしたね、と問う老人に、私は潰れたデパートのショウ・ウインドウで一晩を過ごしたということを説明した。

「なるほどな!」

 老人は、感心したようにうなずいた。

「そういう手があったか。わしも昔は色々、貧乏暮らしを工夫したものだが……あの丸物屋のショウ・ウインドウを宿代わりとは、それは思いつかなんだ」

 ぜひその「部屋」を見に行きたい、と老人は言い出した。これから段々人通りが増えてくる時間なので、それなら夕方からにしましょうと私は言った。


「で、あんたは今からどうするのかね。仕事探しかね?」

 老人が訊ねる。

「とりあえず、シティに出掛けてみようかと思います。さすがに高度集積地区コア・エリアのまともな会社に勤め先を見つけるのは簡単じゃないでしょうが……」

「このご時世だからな。あんたは恐らく、そこそこの大学か高等職能校ビジネススクールを出てるんだろうが、今はそれだけじゃ厳しいな」

「そう思います。私の専門は販売心理学で、一応心理交流分析士PTAのαクラスを持ってはいるんですが、それだけでは」

「α-PTAか、なかなかのものだ。慌てずとも、いずれ仕事も見つかろう。いや、実はだが」

 老人は咳払いして、ミルクティーを一口飲んだ。

「ちょうど今、助手を探していてな。先週までは学生のアルバイトが一人いたんだが、羽ヶ淵電子に勤めの口が見つかったとかでな、辞めてしまったのだよ。そこでだ。今日一日でいい、臨時の助手バイトをやってもらえんか。八百億両クレジットでどうかね?」

「助手、と言われましても」

 思いがけない老人の言葉に、私は戸惑った。

「機械の修理なんかは、私はとても……」

「そんなことはせんでもいい。ただ、この歳になると、機械の重さが堪えてな。実体幻視機くらいならともかく、コンソール・キューブみたいな重いものを運ぶのは骨が折れるのだよ」

「それで良ければ、やりましょう」

 私はうなずいた。荷物運びで八百億なら、悪くない。


(#7「ショウウインドウ・ライフ」に続く)

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