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 セルビアは小国ながら、神に祝福された聖女の国として知られ、ジョセフィーヌも癒やしの聖女としての力を持ち、日々、民たちを癒やしていた。

 肥沃な大地には四季折々の作物が豊かに実り、王都近郊の鉱山からは高純度の宝石状魔石が産出される。魔力を宿すその宝石は、装身具としても美しく、魔道具の動力源としても用いられる貴重なものだった。その恵みゆえに国は豊かで、人々は穏やかに暮らしていたが――それゆえにこそ、モンタナにとっては垂涎すいぜんまとでもあったのだ。


「ジョセフィーヌよ、そなたをあの老いぼれで非道なモンタナなどに嫁がせる気は断じてない。あやつの女癖の悪さと冷酷さは、近隣諸国にまで知れ渡っておる。見目麗しい女を見れば片端から愛妾とし、後宮には数えきれぬほどの女がいると聞く。中には他国からさらわれた娘もいるというではないか。そんな男に、我が娘を渡してなるものか……!」

 娘を溺愛するオルフェは、激しく憤り全身をわなわなと震わせ、拳を握りしめながら唸る。

「たとえ戦を覚悟せねばならぬとしても、余はモンタナの思いどおりにはさせぬ」


「ですが、お父様。いかに豊かな国であっても、我がセルビアの軍事力は乏しゅうございます。もし戦となれば、到底勝ち目はございません。民は明るく気立てのよい善良な者たちばかりですが、剣を手に取り戦うことには慣れておりません。騎士の数だけでも、北の大国フローリアとは比較にならぬのです」


 ジョセフィーヌが授かった聖なる力は、“癒し”と“浄化”に限られていた。手をかざせば、病に蝕まれた身体の熱が静まり、血に染まった傷口が淡い光とともに閉じていく。しかしその力は、盾にも剣にもならない。炎を操ることも、結界を張ることもできない。

 戦場で剣が振るわれるたびに、癒しの光では到底追いつかぬほど多くの血が流れていく――その現実を、彼女は誰よりも痛いほど想像できた。


 もちろん、ジョセフィーヌも、そんな男の第三皇妃など望むはずもない。だが、緑豊かなこの地を、戦の炎で荒らすことだけは避けたかった。

 

  彼女は心を静め、黙考する。


 セルビア王国の騎士の数は、フローリア帝国に比べ圧倒的に少ない。

 騎士よりも農民・職人・学者が多く、軍備より教育や農業に力を注いできた平和な国だ。

 いざ戦になれば、敗北は避けられない。

 拒めば侵攻され、セルビアは滅び属国に堕ちる。

 だが従っても、モンタナの支配欲は止まらず、民は搾取されるだろう。

 戦っても、従っても、行き着く先は同じ――地獄なのだ。


 ジョセフィーヌは静かに目を閉じ、心を鎮めて思索する。


(モンタナに従えば、たしかに戦は避けられる。けれど──私を人質として利用し、やがてセルビアを思うままに支配しようとするはず。そのとき、この国はモンタナと、その息子や取り巻きたちの欲望のままに蹂躙される……。かといって、戦を選べば勝ち目はない。敗れれば属国として従わされ、結局は同じ末路を辿るだけ。……ならば、別の道を探すしかないわ)


 ジョセフィーヌは、近隣諸国の情勢を密かに探らせ、打開の糸口を求めて思案を重ねた。

 ほどなくして、命を賭して諜報にあたった者たちから、いくつかの報告書がもたらされる。

 その中の一通に、彼女はひと筋の光を見出した。それは――


 

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 ♦用語説明

 ※ 垂涎の的(すいぜんのまと):あまりに欲しくて、見ているだけでよだれが出そうになるほどに魅力的な対象。


 ※ 宝石状魔石(ほうせきじょうませき):魔力を内に宿す宝石状の魔石。装身具としての美しさだけでなく、魔道具の動力源としても用いられる。魔道具の本体にこの魔石をはめ込むことで、内部の魔力機構が起動する仕組みになっている。鉱山から産出されるもので、魔獣の化石から得られる通常の魔石に比べ、透明度・魔力効率ともに高く、極めて高価とされる。



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