第27話 賑やかな日曜日

 日曜日のシアンの誕生日を前に、土曜のあいだ中、サルビア家の六人はずっとそわそわして落ち着きがなかった。祝われる側のシアンより楽しみにしている様子で、祝ってもらえるとわかっていながら過ごすのは、賢者にとってなんとも気恥ずかしいことだった。楽しみであることは変わりないので、重圧をかけないよう気を配りながらわくわくとした気分のままベッドに入る。同じくそわそわした様子のマゼンタとおやすみの挨拶をし電気が消えると、ふと、賢者は考えた。

(一番におめでとうを言うのはマゼンタではなかろうか……)

 ネイビーが、誰が一番目にシアンにおめでとうを言うか競争、と言っていた。シアンが朝に最初に会うのはもちろんシアン付きの侍女であるマゼンタで、彼女がおめでとうを言わないはずはない。その競争に使用人は含まれていない可能性はある。あくまで家族間でのみなのかもしれない。彼らがそんなことを忘れているとは、思えないとは断言できない。

(まあ、なんにせよ明日は楽しみじゃ。のう、シアン)

 返事代わりのようなあくびに誘われて、目覚めの瞬間をいまかいまかと待ち侘びながら眠りに就いた。



   *  *  *



 楽しみにするあまり、シアンはいつもより早く目が覚めた。ただ誕生日を祝ってもらうというだけで、とても特別な日のように感じられる。それは家族にとっても同じことだろう。

 ウィローはまだシアンの足元で寝ている。彼だけはいつも通りのようだ。起こすのも可哀想だとそっと起き上がった。

 マゼンタが来るまで本でも読んでいよう、と母の執務室から借りて来た魔法学の参考書を開く。窓から射し込む爽やかな陽のもと、ただそれだけのことで清々しい朝に感じられた。

 ノックの音に本を閉じる。訪れたマゼンタの表情は明るい。

「おはようございます、シアン様。お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう」

 その途端、心の中に温かいものが広がった。ただの祝福の言葉と言えばそれまでだが、胸中に溢れたのは確かに幸福感だった。まだ最初のおめでとうだというのに、涙が滲みそうになる。どうにかそれを堪え、本を片付けベッドから降りた。

「せっかくの誕生日ですし、ちょっとおめかししましょう」

 マゼンタはわくわくした表情でクローゼットを開く。シアンをちょっとおめかしさせるのが好きなようだ。

 いつものブラウスに、落ち着いた青色のリボンタイを巻く。シアンのリボンタイはいつも青だが、今日のリボンタイには金糸の刺繍が入っている。特別な日のためのリボンタイだ。

「今日は僕の誕生日だけど、みんなは何をして過ごすのかな」

「いつも通りなら、シアン様の産まれたときのお写真をお持ちになると思いますよ。シアン様の成長記録を振り返る会になるでしょう」

「そっか。なんだか恥ずかしいな」

「ふふ、今日はシアン様が主役ですから」

 髪を綺麗に整えると、マゼンタは仕上げに青色のヘアピンを耳の辺りに留める。サルビアを模した花型のヘアピンだ。

「うん、完璧です。世界いち素敵なご令息ですよ」

 鏡の中の自分を見つめれば、紅玉の瞳が見つめ返す。落ち着いた青色のヘアピンが、雪のような髪によく映えていた。

(うむ、主役に相応しい仕上がりじゃ。……照れるのう)

 祝われた経験があまり多くないため、これからあのサルビア家に――きっと盛大に――祝われると思うと、すでに気恥ずかしい気分だ。しかし、ありがたく受け取るべきだろう。

 跳ねる気持ちで寝室を出ると、背後から声をかけられた。シアンが思っていた通り、スマルトだ。

「おはよう。誕生日おめでとう」

「ありがとうございます。一番目はスマルト兄様でしたね」

「一番目はマゼンタだろ」

「あ、やっぱりそうですよね……」

 苦笑するシアンに、スマルトは肩をすくめる。競争は初めから成り立たない運命にあったようだ。

「あいつらは詰めが甘いから忘れているんだ」

 指摘したことがないのか、指摘しても忘れてしまうのか、どちらにしても無邪気な人たちである。それだけ祝福の気持ちが大きいということだが、賢者にとっても、シアンにとっても、何番目であっても嬉しいというのは本心だ。

「あっ! また先を越されたわ!」

 悔しそうに言いながら、ブルーがばたばたと駆け寄って来る。女の子は身支度に時間がかかるため不利とも言えるが、寝室が隣同士のスマルトに、離れた位置にある部屋から走って来るブルーが勝てることはないだろう。

「まーた今年もスマルト兄様に負けたのねえ」

 廊下の角から顔を覗かせたネイビーも悔しそうに言った。

「寝室が隣同士なんだからズルいわ! ドアの音を聞けばすぐにわかるもの!」

「なんでもいいからさっさと行くぞ」

 面倒そうにしながら、スマルトがダイニングに向かって歩き出す。それに続くシアンの腕に、ブルーが腕を絡ませた。

「シアン! お誕生日おめでとう!」

「おめでとう!」

 ネイビーが頭を撫でる。髪が乱れないように気を付けるような手付きだ。マゼンタが綺麗に整えたことがわかるらしい。

「またひとつ」と、ブルー。「大人に近付いたわね」

「うーん、そうかな」

「もちろんそうよ」ネイビーが微笑む。「ついこのあいだまで赤ちゃんだったんだから」

(親のようなことを言っとる……)

 ダイニングではゼニスとセレスト、アズールがすでにテーブルに着いていた。ブルーとネイビーほどの浮つきはない。おはようの挨拶が交わされたあと、ゼニスが顔を綻ばせた。

「シアン、誕生日おめでとう」

「おめでとう」

 声を合わせるセレストとアズールに、シアンは明るく微笑んで礼を言った。その言葉が持つ温かさは、これまでの長い転生人生で味わったことがない。シアンがそんな感慨に浸っていると、ブルーが不思議そうにアズールを見遣った。

「アズール兄様は真っ先に一番目を狙って来ると思ってたわ」

「ん? 一番目は毎年、マゼンタのものだろう?」

「あっ」

 ネイビーとブルーが声を合わせてひたいに手を当てるので、本当に頭から抜けていたようだ、とシアンは苦笑した。やはり競争は初めから成り立たなかったようだ。

「それに、祝う気持ちは一番のつもりだよ?」

「あたしだって負けてないわ!」

「ネイビーとブルーはいつまでも落ち着きがないわね」

 困ったように笑うセレストに、ブルーは頬を膨らませる。ネイビーも唇を尖らせた。よく似た姉妹である。

「こんな可愛いシアンの前で落ち着いてなんていられないわ」

「社交パーティではあんなに淑女としているのにねえ」

じゃない! 淑女なの!」

 シアンは社交界でのネイビーを見たことがないが、きっとサルビア家の名に恥じぬ立派なレディなのだろう。次にサルビア邸で社交パーティが開催されることがあれば、少しだけ覗いてみたい、という気がした。

(しかし、シアンの誕生日というだけでこれほど賑やかじゃとはのう……。祝われているのが賢者わしでないとしても、嬉しいものじゃ)

 あくまで祝福されているのはシアン・サルビアで、中身の賢者へ向けられたものではない。しかし、いまは自分もシアンの一部であると考えることが許されるなら、きっとその祝福を享受することも許されるのだろうか。まるでその返事をするように、心臓が少しだけ跳ねた。



   *  *  *



 賑やかな朝食を終えると、ゼニスのいつものパワフルハグはいつも以上にパワフルだった。せっかく胃に入れた朝食が形を変えて戻りそうになるほどに。

「シアン! 誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」

 ゼニスはそのままダイニングを出る。他の五人もそのあとに続いて、いつもの日曜と同じように談話室へ向かうようだ。ウィローもゼニスの足元で楽しそうについて来る。

「シアンもついに七歳か。少し前までやっとハイハイができるようになったと思っていたのに」

「僕だっていつまでも赤ん坊じゃないですよ」

「ああ、本当にそうだな。そうやってあっという間に大人になって、私の元から離れて行くのだろうな」

 そう呟いた途端、うっ、とゼニスは目頭をつまむ。自分で言いながら想像して感極まってしまったようだ。

「その感慨は成人まで取っておいてください……。大人になっても一緒にいるんですから」

「ああ、そうだな。ゆっくり大きくなってくれ」

 賢者は子を持った経験はないが、親にとって子どもの成長が速く感じられることは知っている。それを嬉しくも寂しいと思っていることも。いつか巣立って行くことを感慨深く思うこともわかっている。できれば彼らのもとで健やかに無事に大人になりたい、とそんなことを思った。

 談話室では、シアンはゼニスの隣に降ろされる。それぞれソファに腰を下ろすと、よし、とゼニスはシアンの膝に何かの袋を乗せた。中身はクマのぬいぐるみだ。

「これは私からのプレゼントだ」

「わあ、可愛い。ありがとうございます」

 そういえば、と賢者は思考を巡らせる。シアンの寝室にはいくつかクマのぬいぐるみが飾られている。あれはゼニスからの誕生日プレゼントだったようだ。

「開けてもいいですか?」

「ああ、もちろん」

 綺麗なラッピングを解いてしまうのは勿体無いような気もしたが、ラッピングは解くためのものだ。何より、開封しなければプレゼントを受け取ることはできない。ラッピングは必ず解かれる運命にあるのだ。

「ふわふわですね」

 さすがサルビア侯爵が用意したクマのぬいぐるみだけあって、手触りがとても良い。ウィローの毛並みにも劣らない良質な滑らかさだ。抱き締めてみるとなんとも心地良い柔らからで、これを抱いて寝たらよく眠れそうな気がする。

 そこでシアンは、自分に注がれる視線に気が付いた。

(……なるほど。可愛いクマのぬいぐるみを抱くシアンが可愛い、ということじゃな)

 次にセレストがアガットに声をかける。台車で運ばれて来た箱を促されて覗くと、全部で二十冊の本が入っていた。

「私からは魔法書と魔法学の本よ」

「こんなにたくさん……。ありがとうございます」

「シアンに読ませたい物がたくさんあって、これでも厳選したほうよ」

(候補は何冊あったのかのう……)

 あらかじめシアンが欲しいと言っていた魔法書に加え、魔法学に関する文献が並んでいる。背表紙だけを見ても、どれもシアンの興味を惹きそうな物ばかりだ。

「読むのが楽しみです。たくさん勉強しますね」

「ええ。きっとシアンの力になるはずよ」

「ありがとうございます」

 三冊くらいでも充分だったが、これほど大量に贈られるとは思っていなかった。シアンの勤勉さを認められたということだろう。これでも何日もつか、とも思うが、子どもの勉強のためには充分すぎるほどだ。賢者は早く読みたくてうずうずしていた。いまはまだ我慢しなければならない。

「じゃあ、次は僕のプレゼントだ」

 アズールが差し出した質素な飾りの箱には、綺麗な青色の五本のリボンが並んでいる。ブラウスの襟を飾るリボンタイだ。さり気ないお洒落を演出してくれるアイテムである。

「ありがとうございます。どれも綺麗で素敵ですね」

 金銀様々な刺繍が施されており、花や星などで鮮やかだ。

「お洒落をするのが楽しくなりそうです」

 プレゼントは使ってこそ意味がある。さっそく明日からマゼンタに着けてもらわなければ。それを楽しみに微笑むシアンに、アズールは満足げに頷いた。

「じゃ、次はスマルト兄様ね」

「ああ」

 ネイビーに促されて、スマルトは正方形の箱を差し出す。青色のリボンで飾られた箱には、細かい宝石と銀色のチェーンで彩られたシンプルなブレスレットだった。

「魔除けの魔道具だ」

「ありがとうございます。とても綺麗ですね」

 箱越しに伝わるのは耐性を上げるための効力。シアンが二日間も眠り続けることになった件のようなことがあった際に効果を発揮してくれるだろう。随分と上質な物のようだ。

「お守りは心強いです。怖いものがなくなりそうですね」

 さっそくマゼンタに着けてもらわなければ、と微笑むシアンに、スマルトは仏頂面だが満足そうに頷く。実用的な物を選んで来るのは実にスマルトらしい。

「んじゃ、次は私ね」

 意気揚々とネイビーが腰を上げた。手渡されたのは可愛らしく飾られた紙袋で、五冊の本が入っていた。それはピアノの教本だった。どれも「初級〜中級」と書かれている。

「このあいだ、ピアノは少し難しいくらいが楽しいってカージナルが言っていたでしょ?」

「聞こえてたんですね」

「聞こえないほうが無理というものよ。シアンにはまだ難しいかもしれないと思う物を選んでみたわ」

 中身を覗いてみると、確かにいまシアンがカージナルから習っている教本より難しそうな楽譜が載っている。これをシアンに教えるときのカージナルはとても楽しみそうだ。

「ありがとうございます。たくさん練習しますね」

「ぜひ聴かせてね」

「はい」

 ピアノの音が屋敷中に聞こえているのだとしたら、シアンが上達していく様を見守ることができるため、それを楽しみにする目的もあるのだろう。実にネイビーらしい贈り物だ。

「やっとあたしの番ね! はい、どうぞ!」

「ありがとう」

 ブルーが差し出したいくつかの色のリボンで飾られた小さな箱には、十本の青色のヘアピンが並んでいた。小さなガラスの飾りがついた物や、金銀の切り箔で彩られた物もある。

「シアンは髪が綺麗だから、きっとよく似合うわ」

「ありがとう。アズール兄様のリボンタイと合わせたらとてもお洒落になりそうだね。大事に使うよ」

「うん!」

 お洒落とは無縁の生活をしていた賢者だったが、毎日、違う物を身に着けることを考えると楽しそうなことに思えた。ただ、リボンタイもヘアピンも自分で着けるのは難しいため、すべてはマゼンタにかかっている。きっと期待通りだろう。

 それぞれのプレゼントをひと通り堪能し片付けると、セレストがテーブルにフォトアルバムを広げた。

「ほら、これが産まれた日の写真よ」

 最初のページに貼られた一葉は、まさに産まれたてほやほやといったお包み姿のシアンの写真だった。

「懐かしいわ」と、ネイビー。「よく泣く赤ん坊だったわね」

「元気な証拠だよ」

 同じように懐かしみながら微笑むアズールに、シアンはやはり気恥ずかしい気分になる。物心つく前のことは覚えていないが、きっと贅沢なほどに可愛がられていたのだろう。

 セレストは緩やかな速度でページを捲る。そのたびに思い出話に花が咲き、みな朗らかに笑っていた。

 賢者には、シアン・サルビアが生まれ育って来た証を見ているようで感慨深かった。この子がこの世に産まれ、無事に育ってくれたことによりいまの幸福がある。

(シアン、辛い目に遭いながらも懸命に生きて来てくれてありがとのう)

 この小さな命に感謝せざるを得ない。シアンが生きて来てくれたおかげで素晴らしい余生を過ごせるのだから、シアンにとっても良い人生になるよう尽力しなければならない。賢者だけが幸福を感じているのでは意味がないのだ。シアンがいてこその、シアン・サルビアである。



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