第14話 魅惑のショッピング
金曜の午後。いつも通りスマルトとともに仕事を片付けていたシアンは、コンコンコン、と軽快に鳴るノックに顔を上げる。どうぞ、とスマルトが応えると、執務室に顔を覗かせるのはネイビーだった。
「商人が納品に来てるよ。ちょっと見せてもらわない?」
(ほう……商人か。それは面白そうじゃのう)
立ち上がったシアンの肩をネイビーが引き、スマルトも続いて執務室を出た。商人と言うと、ネイビーがいつだか話していた「お抱え商人」だろう。貴族が見に行くのは珍しいことに思えるが、サルビア家の五人きょうだいは街へ買い物に行く様子もない。自分が必要としているものは、こうして商人から直接に買うのかもしれない。
調理場の裏口では、広げられた商品を料理人たちが囲んでいる。食材を吟味しているようだった。そのそばに恰幅の良い女性と背の高い男性の姿がある。その輪の中でシアンの知らない者がそのふたりだけであるため、そのふたりがサルビア家のお抱え商人なのだろう。
「やあ、お嬢さん方」と、女性。「良い商品が入ってるよ」
「楽しみだわ」ネイビーがシアンを振り向く。「シアン、この人は商人のカメリアと、その息子のバーガンディ。うちのお抱え商人よ」
「どうも」カメリアが明るく笑う。「好きにご覧。珍しい物は特にないけど、つまらない物もないと思うよ。坊ちゃんのお気に召す物があるといいんだけど」
カメリアとバーガンディが持ち込んだらしい木箱が並べられていると、まるで狭い市場のようだった。馬車に詰め込めるだけ詰め込んで来たのだろう。名門サルビア侯爵家に持ち込まれるだけあって、商品は相当の高品質のようだ。
「ネイビー、装飾品の新調はどうだい?」
「うーん……そうね……」
「今度、この家で夜会があるんだろう? そのときのドレスに合わせてみちゃどうだい?」
夜会、とシアンは顔を上げる。サルビア侯爵家ももちろん貴族の家であるからして、夜会やお茶会、ガーデンパーティが開催されてもおかしくない。いまのところ、シアンはまだその場面に遭遇したことはない。
「夜会が行われるんですか?」
シアンの問いかけに、ああ、とスマルトは頷いた。
「定例会のようなものだ。親戚を中心に領地のお偉いさん方を呼ぶ。互いに挨拶をするだけの会だな」
繋がりを薄めないための集まりということだ、と賢者は考える。同盟関係のようなものを確認し合うのだろう。侯爵家を売る家が出ないようにするための親睦会のようだ。
「お前とブルーは参加する必要はない。社交界デビューの場としては申し分ないだろうがな」
(シアンの社交界デビューはまだじゃったか。シアンには厳しいものじゃろうがのう)
偏見の目を集め迫害を受ける可能性のあるシアンは、社交界では好奇の目に晒されることになるだろう。シアンにとって居心地が良い場所であるはずがないことは間違いなく、心労のかかることのはずだ。
「父様は、お前とブルーは社交界とは無縁でもいいと考えているようだ。事業の手伝いをしていれば暮らせるからな」
シアンは三男でブルーは次女。他の貴族との繋がりを作るのはアズールとスマルト、ネイビーがいれば充分だろう。シアンとブルーもそういった役立ち方をしても得になることはあるだろうが、サルビア侯爵家にとって利益のある結婚はそうそうないことは先日に確認済みである。
「その辺は、お前とブルーの好きにしていいそうだ」
賢者は、社交界が煩わしいものであることは嫌というほど知っている。シアンの特性では尚更だろう。こうして社交界デビューの話をしているだけで、シアンの心は多少の怯えを見せている。それは父も承知していることだろう。
(社交界に出なくて済むなら、それに越したことはないがの。そのほうが楽じゃ)
シアンが三男に生まれたことは、賢者にとって僥倖と言える。できれば社交界とは無縁でいたいと思っていた。
「うーん……どっちにしよう」
ふたつの箱を見比べてネイビーが首を捻る。箱の形から、ネックレスを吟味しているようだ。
「両方、買ったっていいんだよ?」
カメリアがにやりと笑うので、ネイビーは目を細めた。
「シアン、どっちがいいと思う?」
箱に納まっているのは、小さい雫型の宝石がバランスよく並べられたネックレスと、細かい宝石とチェーンが模様のようになっているネックレスだ。どちらの宝石も青色だが、微妙な違いが見える。
「ドレスはスカイブルーだから、どっちでも合うはずよ」
「うーん……こっちの明るい青のほうが、姉様によく似合うんじゃないでしょうか」
「そう? じゃあそうしようかしら」
「毎度!」
他の貴族であればどちらも買っていただろう、とシアンは思った。どちらもネイビーに似合うだろうし、買っておけば別のパーティで使うこともできるだろう。だが、そのときに必要な物だけを買うようだ。
ネイビーが他の装飾品を眺めているあいだ、シアンも他の木箱を覗き込む。その箱には五冊の本が並べられていた。
「これはなんの本ですか?」
「こっちの二冊は物語、これは教本、こっちの二冊は魔法書だよ。手に取って見てごらん」
カメリアの言葉に甘えることにして、まずは物語の本に手を伸ばした。どちらも女性向けのロマンス小説だ。教本についてはカージナルに任せておいたほうがいいだろうと、次は魔法書を手に取る。シアンには少々難しいように見えるが、賢者にとっては興味深い。面白い魔法書だ。
しばらく夢中になって中身を流し見していると、買い物を終えたようすのネイビーがシアンを除き込んだ。
「それが面白いの? せっかくなら買っておきましょ」
「はい。ありがとうございます」
「お菓子はどうだい? 試食してごらん」
カメリアがクッキーを乗せた皿を差し出す。実に商売上手だ。子どもや女性が好みそうな甘いクッキーだった。
「領地の外はどうだ」
スマルトがバーガンディに問いかけた。バーガンディは長い前髪のかかった顔を上げる。
「クロッカス伯爵領では内紛に発展しかけた政治問題があったようだ。汚職事件の類(たぐ)いだな。それは解決したらしいが、まだ尾を引いているようだ。他の領地に被害が及ぶ可能性は低いだろうな」
(汚職事件……どこも似たようなもんじゃの。早めに収束したようでよかったぞい)
「ウィスタリア男爵領は平和そのものだ。マルベリー子爵領でも特に問題は起きていない。ただ、国境付近で密入国者が捕獲されたらしい。隣国の政治情勢がきな臭いようだ」
他国からの渡航は公的なもの――旅行や仕事、政治的視察など――、もしくは亡命申請がなければ許可されない。許可証を持たずに国境を越えようとした場合、国境警備兵によって捕獲されることになる。それを密入国と言う。
「この国まで影響が及ぶことはないだろうが、頭には入れておいたほうがいいかもしれんな」
「そうか」
オペラモーヴ家の情報収集の他に、こうして行動範囲の広い者からも情報を得ているようだ。領地の外の情報を集めるには、商人はお誂え向きなのかもしれない。
* * *
「良い買い物ができたわ」
屋敷に戻ると、ネイビーが満足げに微笑んだ。シアンが興味深く眺めていたため、それに合わせたスマルトとネイビーも、仕事に戻る時間が少し遅くなってしまった。ふたりがシアンを咎めることがない様子から察するに、これはサボタージュには含まれないようだ。
「商人から直接に買うんですね」シアンは言った。「街へ買い物に行くことはないのですか?」
「あまりないわね。カメリアとバーガンディは私たちが気に入りそうな物を持って来てくれるから、街へ行くより買い物にかかる時間も短くて済むしね」
シアンは街のことをよく知らないが、装飾品の店だけでも山ほどあるはずだ。その中から気に入りの物を見つけるより、あらかじめ気に入りそうな物を持って来る商人から買うほうが早いし確実だろう。
「それに、私たちが街へ行こうと思ったら護衛が必要になるわ。そんな買い物は窮屈よ。特にブルーなんて、うっかり誘拐されそうでしょ?」
ブルーには悪いが、確かに、とシアンは小さく笑った。ブルーはまだ五歳であるため、いろいろな物に目移りしてはぐれてしまう可能性もある。街には様々な魅力が溢れ、それに比例して危険が潜んでいるのは間違いない。
「シアンが誘拐された日には、みんな怒り狂って正常な判断が下せなくなって暴走するわ」
「確かに商人から買い付けたほうがいいみたいですね」
「ええ、そうね」
いまのシアンなら誘拐されても自力で解決できるだろうが、そうだとしても誘拐犯にどんな罰が待っているかわからない。その機会は積極的に回避したほうがいいだろう。
* * *
七人がダイニングに集まって夕食会が始まると、ブルーが不満げな表情でシアンに言った。
「今日、商人が来たんでしょ? あたしも見たかった!」
「駄目よ」と、セレスト。「商品の価値を正しく見極められないうちは駄目と言ってるでしょう」
ブルーは不貞腐れるように頬を膨らませる。賢者は、セレストのしっかりした考えに感心していた。子どもが欲しいと思う物をなんでも買い与えるような愚かな貴族ではないらしい。それはシアンであったとしてもそうなのだろう。
「シアンは何を買ったの?」
「魔法書を買ったよ」
いいな、という言葉はブルーからは出て来なかった。魔法書はブルーが欲しがる物ではないため、買い物をしたという事実は羨ましいだろうが、品物については特にそうは思わないのだろう。魔法書は勉強の一種である。
ワインをひとくち飲んだゼニスが朗らかに言った。
「シアンの監視があれば、ブルーも無駄遣いしようとは思わないんじゃないか?」
「確かに」と、ネイビー。「シアンは案外、厳しいかも。自分は本にしか興味がなかったみたいだけど」
「シアンらしいな」アズールが笑う。「ブルーは何かと目移りしやすいからな」
「だって、いろいろあって面白いんだもん……」
「面白い物で、尚且つ自分に必要な物」セレストが厳しく言う。「欲しい物じゃなくて必要な物よ」
ブルーはさらに不貞腐れて唇を尖らせる。頭ではわかっているが、まだ好奇心を抑えられないのだろう。年少の子どもであるため、致し方ないこととも言えるが。
(貴族でも無駄遣いには厳しいようじゃのう)
贅を尽くすことで家の権威を表現しようとする者もある。王宮がそうであったのように、サルビア侯爵家にもその必要はないということだ。サルビアという家名自体にすでにそれだけの価値があるのかもしれない。
「じゃあ」ブルーが言う。「次に商人が来たとき、シアンの監視つきでもいいから買い物をさせて!」
セレストの窺うような視線に、シアンはひとつ頷いた。
「僕でよければ」
「そう。それだったらいいわよ」
「ほんと⁉ やったー!」
「結果的に何も買えなかったとしても恨まない?」
シアンとしては確認のために言ったのだが、ブルーは少し頬を引き攣らせて。アズールとネイビーが揃って笑う。
「本当に厳しい人の台詞だ」
「ちょっと怖さを感じさせるわね」
節約までは必要ないだろうが、自分に必要な物を見極める訓練がブルーには必要なようだ。賢者は買い物上手とは言えないが、少なくともブルーの無駄遣いを防ぐことはできるだろう。候補をすべて却下するのはさすがに心苦しいので、できればシアンが許可しやすい物を選んでくれるといいのだが。
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