第52章 少女の望み


赤い世界は、次元の暴走によって、もはや形を保てなくなりつつあった。


血のように濃く染まった空から、“現実の断片”が次々と瓦礫となって降り注いだ。




狂ったように降り注ぐ“現実の断片”はそのまま東京の崩壊を意味していた。


地面が、無数の現実の破片で埋め尽くされていく。



シュンの目の前で、タケルが横たわる少女を抱きかかえている。



もはや“存在”すら薄れかけている。


身体が淡く、輪郭がゆれている。




意識は朦朧としており、この次元の力が少女を蝕んでいるのは明白だった。

それでも彼女は、かすかにタケルを見つめていた。


「……タケル……」


うわ言のように呟いたとき、タケルがゆっくりと目を開けた。

彼女に向かって、かすかな微笑みを浮かべる。




「わかってる…大丈夫だよ。大丈夫。」




シュンはリナと自分の姿を重ね、胸が熱くなった。


少女の目が遠くなっていく




「なぁ……一緒に暮らしたらまず…何がしたい?」




少女の目がわずかに揺れた。



そして——遠い目をしながら、口を開く。




「……ママとタケルと……うみのおさんぽ……」




その声は、風にさらわれるように消えていく。

タケルは、ただその言葉を胸に刻むように、少女を抱きしめた。




そして——


少女は目から光が消えた。


ポタっと少女の頬に透明な雨が落ちる。




少女の体が消えていく。


風のように、光のように。

その小さな体は、空気の中にほどけていった。



残ったのは、真っ赤な世界と、増えていく果てしない“瓦礫の山”だった。


タケルの肩が、震えていた。

やがて、泣き崩れ、地面に突っ伏した。


「うわぁああああああ!!!」


その声が、遠くで鳴っていた赤い風に溶けていった。




シュンは何もできず、ただタケルの慟哭を聞くことしかできなかった。




◇  ◇  ◇




そのころ現実世界では——




廊下がざわついていた。

東京中に、異変が広がっている。




「赤い雨が……赤い雨が降ってくるぞ……!」

「患者搬送を急げ!この病院ももうダメだ!」




叫び声、サイレン、医師と看護師の走る足音。

病院は“戦場”と化していた。




だが、その騒然とした病室の一角で——

たったひとつ、静かな光景があった。




ベッドに横たわる男と、その手を握るひとりの女性。


ナルミだった。




白衣の医師が彼女に声をかけた。

「この病院にも赤色反応が……。避難してください!」




だが、彼女は首を振った。

「でも……!このままだと、あなたまで!」




それでも首を振る。




「…!」


医師は構っていられないとばかりに病室を後にした。



地震のように病院全体が揺れ、窓の外では赤い光が何度も爆ぜていた。



それでもナルミは、もう一度、シュンの手をぎゅっと握った。




「……この世界、どうなっちゃうんだろうね」

「でも……私はここにいるから」

「たとえ、ほんとに終わっちゃったとしても……あなたといたい」

「どんなに遠くにいても、どんなに傷ついてても——」

「私は、ずっと呼びかける」

「あなたが、ひとりで背負ってきたつらさを全部……誰よりも見てきたから」

「……だから、生きて。お願い、戻ってきて」




赤い閃光が、絶えず病室の外から閃き、ナルミの横顔を照らした。



けれどその目は、ただひとつ、シュンの顔だけを見ていた。




◇  ◇  ◇

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