第4話 Soggetto Pizzの十字架
140 : Maestro 1996/07/28
合宿が進む中、私の娘、No.22は少しずつ周囲の天才たちから立ち遅れはじめていた。
No.1は天性のリーダーシップと、構想を取りまとめて遂行する意思の強さが光る。No.2は各課題へのチームを適材適所で構築する力と、問題に直面した際の調整力が卓越している。
No.4は何よりその快活さで人の心を明るくする力がある。圧倒的な自信と健康な自己肯定感からくる得難い才能だ。
No.7は問題解決の最短経路を直感的に選び取る能力に優れている。思考のスピードも驚異的だ。
No.11は各種脳波解析装置との親和性が最も高い。また、少年少女の中では際立って情緒が安定しており、他者との共感力・包容力も申し分ない。
No.16は他の者とは異なり独力での解決を志向しがちだが、その自由な発想や困難を打破する意欲はずば抜けている。
No.22も音楽の才能は彼らに引けを取らない。自己実現の欲求や生育背景も、彼ら同様、才能を後押しする条件が整っていた。しかし、徐々にピアノの前に漫然と立ち尽くし、鍵盤にも触れず、防音窓の外の湖を見ている時間が増えていった。奏でようとして奏でられない音が湖面を渡っていくのを思い描くように。
自室に戻り「私の音なんて誰も聞かない。誰にも届かない」と呟くその声は、他の6人の圧倒的な天才の中にあって、悲しいまでに凡庸に響いた。
子供達へのヒントであり、私なりのプレゼントである階差数列の端、1,2,4,7,11,16に続く22に自分の娘を据えたのは、私の身勝手な贖罪に過ぎなかった。私の娘には負担が大きすぎたということだ。
だが、この実験が終わったら、私は二度と娘に会うことはないのだ。その思いが、脱落宣告を一日延ばしにしてしまっていた。
142 : Pizzicato 1996/07/28 チャットログ
笑ってりゃ、大抵のことは通り過ぎていく。冗談を飛ばしてれば、誰も踏み込んでこない。小学校に上がる頃には、すでにそれに気づいてしまった。
うちの親父、酒ばっか飲んでてさ。
昼でも夜でも関係なく焼酎煽って、わけのわかんねえ説教かまし始める。何を言ってるのか分からないことが増えてきたのは、正直、ここ最近のことじゃない。
……今にして思えば、あれが兆候だったのかもしれない。
記憶が飛んだり、同じ話を繰り返したり。道端で泥酔して寝込んでは救急車で運ばれ、それを俺が迎えに行くってのも一度や二度じゃない。
お巡りさんは、怖い顔をして俺に言う。自分の人生を最優先しなくてはならない、と。お医者さんは、若年性アルツハイマーの検査を考えてくれって言ってる。診断がつけば、しかるべく入院させたり、福祉の手筈も整うから、と。
たぶん、そういうことなんだろうと思う。でも俺は、まだその「たぶん」を信じたくなくて。それに、親父を一人にしたくないんだ。
……いや、ちがうな。本当は、「俺が一人になるのが怖い」だけかもしれない。
母親は、妹だけ連れて出ていった。
何も言わずに、ある日突然。
なんで俺じゃなくて、妹だったのかって、今でも考えることがある。でも、妹だけでも安心して幸せに暮らせているなら、それでいいとも思ってる。
俺の幸せは、俺が自分でなんとでもできる。神様ってのがいるとしたら、このうんざりするような生活とバランスが取れるように、俺にまずまずの頭やセンスを与えてくれたんだろう。自惚れて言うわけじゃない。俺は、音楽の天才だと思う。俺が天才であることを、俺が保証する。
——だから、こうして今ここにいる。
俺は、ここで必ずチャンスを掴む。クロガネの気前の良い約束は口先だけじゃなかった。俺がここにきてる間の親父の逗留先や医療検査の手配もしてくれたし、そもそも出発前にちょっとびっくりするような支度金が振り込まれてた。
選ばれた?導かれた?何か騙されてる?
そんなことはどうでもいい。この先どんなクソみたいな人生が待ってようと、俺は笑い飛ばして、真ん中を真っ直ぐ歩き通してやる。
昼間のBCI実験の余韻でまだグラグラと揺らぐ視界の中で、なんとかチャットにログインした。
[Motif]翔也、美琴、大丈夫か?しかし、今日の実験は、とうとう頭がおかしくなりそうだったな。
---奏太ってまじで規格外の超人だな。こいつには敵わない、と思ったのは奏太が初めてだ。別の時代の別の国に生まれてたら、国を治めるか、大賢者か、極悪人になってたんじゃねえかな。
[Obbli]奏太、ありがとう。なんとか大丈夫だけど…。あのBCIセッションって、あれはもう、まともな研究や実験じゃないわね。
---おっと、Obbliももうチャットに入ってたのか。今日は本当にしんどかった。BCI——ブレイン・コンピュータ・インターフェース。考えたことが、コンピュータを通して伝わる。音楽データ、意図、感情、断片的な記憶……どこまでが自分で、どこまでが共有された“誰か”なのか、そういう、普通に生きてたら決して揺らぐことのない境界線が、数秒おきに曖昧になる。
[Pizz]よう、奏太っち、美琴っち、毎度!さすがの翔也さまも今日はヘロヘロだぜ。
---俺がいつもの調子で返せば、空気が軽く柔らかくなる。この天才たちの中にあって、俺の役割はそれだと思ってる。明るく、いつだってフットワーク軽く。
[Obbli]「脳波を読み取る」って話だったけど、同時に頭に何か流し込まれてる感じだった。まだフワフワしてる。
---Obbliの言う通りだ。これは「BCIセッション」っていう名前の通り「脳でやるセッション」だ。恐ろしく苦しく不快な反面、音楽のセッションと同じ一体感や陶酔感がある。俺は話を続けた。
[Pizz]AccelたちやClefたちは平気そうな顔でこなしてたけど、これ、向き不向きがあるのかもな。奏太っちはどうだった?クールにスマートに決めちゃった?
[Motif]クールもスマートもあったもんじゃない。冒頭のBCI親和性チェックの影響がまだ残ってるよ。
---そう、それだ。あのMaestroが
「相対音感を一時的に麻痺させるが心配するな」
とか平気な顔で言い放った時は、何言ってんだこのおっさん。人間の相対音感なんていう生理的・心理的な反応を、こんな馬鹿げた機械で任意に止められるわけないだろって思った。でも・・・奴はやりやがった。一つ一つの音の高さはわかるのに、音同士の音程がまるで認識できなくなった。和音として捉えられなくなってしまった。
[Obbli]私はだいぶおさまってきた感じ。でもあの時は、もう二度と音楽なんてできないんじゃないかって、泣き出したいほど怖かったよ。
---俺も全く同じ恐怖に襲われた。Maestro御大は
「音楽とは人の本能だから誰にでもできる、あるいは逆に、音楽とは人だけに許されたもので、機械には模倣できない、などという考え方がどちらもあまり科学的ではないということを、まずは君たちの脳に思い知ってもらう」
って言ってたけど、しっかりこの身で思い知らされたよ。
[Motif]音量・音色・音高みたいな単独の現象と違って、リズム・メロディ・ハーモニーに意味を持たせるのは脳の活動だ。外部的に抑制できるし、電脳で模倣可能ってことだな。感情的には受け入れ難いが、あれを体験させられた今となっては、事実として受け入れるしかない。
[Obbli]私、一人だったらもう帰ってたかも。今日の実験……あれ、拷問じゃなくて実験だよね……の間、これが終わったら奏太や翔也と話せるから、とにかく頑張ろうって思えた。
[Pizz]あー、それ、わかる。俺も、奏太っちと美琴っちがこの体験をなんていうか聞くのが楽しみだった。
---楽しみだったというのは、あまり真情とは言えない。「恐怖を分かち合って和らげたかった」というのが本当のところだ。とはいえ、本気で怯えている様子だったObbliに、だいぶ落ち着いているとはいえ、あまり軽々しく同調しない方が良いだろうとも思う。恐怖ってのは、勇気と同じぐらい人の行動を左右するからな。
[Motif]そうなんだよな。BCIベッドに乗せられてあのヘルメットみたいなゴーグルで視界を塞がれても、翔也や美琴が同じ空間にいるってだけで、安心できる。
[Obbli]それでね、思ったんだけど、奏太、このチャット、Accelたちも呼んだらどうかな?これからもっときつい実験もあると思うけど、7人みんなで繋がれば、乗り切れる気がする。
---なるほど、Obbliらしい提案だし、良い頃合いだとも思うが、Motifは慎重だから、どうかな。
[Motif]全員か……リスクが高いな。サーバーのログは暗号化してるけど、あの連中に通用するとは限らないし。……しばらく3人で情報共有して、様子見ながらじゃだめかな?
---そりゃそうだ。「夜間は自室で休息」と言われてるのをすでにあっさり逸脱してこうやって秘密チャットで情報交換してるんだから。
・・・だが、俺にはもう一つ別の考えがあった。この七人を、仲良しグループとそれ以外に分けてしまうのは得策ではない。この先も何だかんだと、協調させたり競わせたりするカリキュラムが続くだろう。基本的には良好なコミュニケーションがあるに越したことはない。
[Pizz]あー、これは俺、美琴っちに賛成。俺も、7人全員でガッツリ繋がった方がいいと思う。
---Motifの懸念はもっともだけれど、実際のところ、連中はその気になれば、俺たちの端末全部モニタリングできるわけだ。だったらこの際、すでにモニタリングしてて何も言ってこない、つまり、手のひらの上で踊らされてるのかもしれない、と考えるぐらいでちょうどいい。
[Obbli]翔也ありがとう。私ね、自分が心細いからっていうだけじゃないの。Clefたちが、ちょっと殻にこもっているというか、かなり追い込まれてるみたいで心配なの。奏太、どう思う?
---そうなんだよ。孤立の問題点は、俺がいちばんよく知ってる。親父の不幸の本質は、孤独だ。俺が常に明るく振る舞うのも、要するに孤独に陥るリスクを避けてのことだ。
[Motif]…ったく、翔也の楽観にも美琴のお節介にも勝てないな。了解です。今夜サーバーのセキュリティをもうちょっと強化して、明日他のメンバーにも知らせるよ。
[Pizz]さすがだぜ奏太っち!番号で呼ばれし七人の勇者、The Numbersの誕生だな。
[Obbli]やった!奏太、ありがとう。みんなと話すの、楽しみだな。明日も、7人で頑張ろうね!
[Motif]調子のいい奴らだな。了解、七人で頑張っていこう。
[LOGOUT]
いつの間にか、俺たちは自分たちのことをNumbersと呼び始めていた。しかし奴ら——この時点ではその存在も、Patronという名前も知らなかったあの連中——も、我々のことをそう呼んでいたことを、俺たちは随分後になってから知ることになる。
これが偶然の一致なのか、それともBCIや投薬の過程で刷り込まれたものなのか、それを俺たちが知る術はないのだ。
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【用語集 -Notes-】
Soggetto(ソジェット):
今回のタイトル。音楽用語で「主題」や「テーマ」を意味する。今回はPizz(佐藤翔也)が背負う「十字架(=主題)」、すなわち彼の家庭環境や孤独が描かれる。
BCI(ブレイン・コンピュータ・インタフェース):
第2話でMaestroが言及した技術。今回、Pizzたちの視点で、実際に「脳でやるセッション」として極めて危険かつ非倫理的な実験(相対音感の麻痺など)が行われていることが明かされる。
Clef(クレフ):
No.16の少女。Obbliは彼女達が「殻にこもっている」と心配している。
No.22:偶然の欠員を埋めるために急遽追加で参加した少女。Maestroは実の娘である彼女が「立ち遅れはじめている」と懸念している。
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