【完結/カクヨムコン11】永遠のRest - 造られた天才たちの終わらない夏
志悠 駿(しゆう すん)
序曲 Overture 第1話 Prologue 序章
000 : Prologue
すべては、1995年のあの日、始まった。
AI--人工知能--による人類の文化の画一化、独自文化の埋没の未来を予見した男は、国策の下で大胆かつ緻密な秘密プロジェクトを開始した。
生贄は、6人の天才児。
これは、薬物と
――
今、その「序曲」が静かに奏でられる。
010 : Patron 1995/12/15
東京、銀座にほど近いビジネスホテルの上層階に設けられた会議室には、冬の静かな夕日が差し込み、室内の静寂を淡く金色に染めていた。
1995年12月15日。私は窓辺に立ち、眼下に広がる都市の喧騒を見下ろした。クリスマスの賑わいは私の耳に届かず、いつも通りの使命感だけが心の中に響いている。
テーブルの向こうに、私が招いた三者が揃ったようだ。ダークスーツの襟を正し、私は振り返り、切り出した。
「挨拶は……不要ですね」
私は
外務官僚だった私が家族と名前を捨てて、この政府の任務についたのは、もう10年以上前のことだ。この間毎年のように政権や領袖が変わったが、どれだけ看板や衣が変わっても、我々は水中にある船のスクリューや舵のように、変わることなく密かに国家を推進し、舵取りを続けるのだ。
「振り返ってみれば、1985年のいわゆるプラザ合意からの国内産業の空洞化の結果はあまりに重いものとなりました。
第二次ベビーブーム世代の人口ボーナスを第一次・第二次産業で受け止めることができず、奨学金という名の学資ローンの濫用と、中身を伴わない新大学・新学部の無定見な認可で時間を稼いだものの、その結果として、就職先のない大卒者が大量に発生しています。
第三次ベビーブームどころか、出生率は1.5を割り込み、もはや我が国には、数を頼りに主体的な行動力を発揮する世代は出現しないでしょう」
私の皮肉まじりの論評に「数を頼りに主体的な行動をとった世代」の生き残りである彼らは露骨に不快感を示した。しかし私は意に介さず話を進める。
「製造業の自動化はこのままさらに高度化していきます。そしてすでに、囲碁やチェスに代表される、大量学習と高速思考の領域でもAIが人間を超えていくのは確実です。
これからの30年間で、文化・芸術の創造の領域にも間違いなく自動化・デジタル化の波が及びます。この動きは巻き戻し不能です。テクノロジーの進化と、創造に関与する人口の減少が、どちらも極端なスピードで同時並行で進んでいくのですから」
三者とも、苦々しげに頷く。
国民生活における文化の創造と、利用による社会の活性化というサイクルを牽引する役割の人々だ。課題意識は共通するだろう。
「すべての人災と同じように、デジタルの悪夢も、眩いばかりの天使の笑顔で近づいてきます。
表現・創作手法のデジタル化は、可能性の幅を一気に広げます。すでに実績と名声を手にしているクリエイターの一部は歓喜に湧くでしょう。
問題はその先です。あるタイミング、我々は2010年前後と予測していますが、一般的な人間の思春期から青年期の間の学習効果を、コンピュータによるわずか24時間の深層学習の速度が上回る日が来ます。
そこから先は雪崩のように物事が進みます。
三者とも静かに頷き、その過程を脳裏に描いているようだ。私は続ける。
「AIの創作領域への進出は、生成される――あえて創作ではなく、生成と言いますが、生成コンテンツの類型化・画一化を推し進めることになります。
今年に入り、家庭用PCのOSがインターネットをサポートしたことで、情報の国境は消滅しました。今後は、AIが学習対象とする創作物へのアクセスは無制限になります。
最新の予測では産業用・民生用のAIも2025年までには地球上の一般的な成人それぞれの得意分野をすべて併せ持つ存在になります。
並行して、ロボティクスの発展により地上のどの動物よりも俊敏で強靭で精密な身体性を獲得した結果、軍事用・研究用の分野では、遅くとも2035年に
重苦しい反発と、それに勝る諦念が部屋に満ちる。
「人間の実生活に根ざした文化の多様性というものは終焉を迎えます。日本という国や日本国民独自の文化は消え去り、地球規模の画一化に陥るということです。
国土や天然資源に制約があり、武力による紛争解決を放棄した我が国が、独自性や先進性、高度に洗練された緻密な芸術表現、それらを内面化した国民文化というものを失った時、国際社会において現在の存在感を維持することは不可能です」
三者が苦々しげに頷く。
「我々の研究チームも同じような未来像が最も蓋然性が高いと結論している」
と文化庁の職員が言った。
「私たちの財団でも、自らの存在意義が根底から崩れさることは既に予見し、変革の方向を模索しています」
と、クロガネ財団の幹部が続けた。
世界シェア一位の楽器メーカーであり、販売と同時に教室も展開しているクロガネグループの理事が静かに続けた。教室で習った生徒を、さらに講師として育成し、教室で教えさせる。楽器が売れ続け、演奏され続けるというエコシステムを発明・完成させ、いまではそのシステムそのものを世界展開しているクロガネとしては、単に収益構造だけでなく『全ての人が内面に持つ、音楽を奏で、生み出す喜びを広げ分ち合う』という企業存立の理念に関わる問題である。
「創作に対するインセンティブが消失すれば、人は創造を放棄するでしょう。それは、人であることを放棄するのと同じです」
と
Japan Organization of Creators、日本創作者協会。
国際社会において、日本の音楽著作権者の利益を代表する役割も担う
AIが人の作詞作曲能力を量と速度の面で凌駕するのは時間の問題であり、質の面でも2025年には部分的に追い付き、そのまま並走することなく一気に抜き去るだろうと予測されている中、AIを新たな創造のサイクルに取り込みつつ、人の創造を守るという難題を抱えている。
「この国が、世界の中で今のポジションを獲得・維持して来られたのは、あなた方の卓越した予見性と舵取りがあることは重々承知している。だが、これからは全くフェイズが変わる。そこで」
私は立ち上がり、彼らに目を据え、宣告した。
「クロガネが例年行なっているニューエイジ・ホープ合宿を隠れ蓑に、すでに秘密裏に人選を進めている6人の天才児を対象に、投薬や
この国の知財・文化が画一化の波に埋没消滅しないように導いていくために、時代を先導する堅固な意志と圧倒的な才能を持つ、新たな天才を人為的に作り出し、能力を最大化した上で、奨学金やキャリア支援を与え、来るべきAI時代の我が国と人の独立を保つための舵取りを担う要職に就ける。
新しい時代に対応するのは、我々の老いて乾いた大脳皮質ではない。」
重たく、永遠に続く休符のような長い沈黙が部屋を支配した。文化庁職員が唇をこじ開けるようにして言葉を発した。
「
だが、この計画はあまりに危険だ。投薬やBCIで子どもの脳を操作し、天才を『作り出す』? それは、奨学金と大学新設で強引に大卒者を生み出した政策と、同じ過ちを繰り返すだけではないのか。
我々は、学びたいのに学ぶ場所を与えられない若者に機会を与えると信じたが、実際に量産されたのは、債務と失望だった。
だからと言って、乱暴に逆に舵を切り、今度は選ばれた子供の心と身体を犠牲にするつもりなのか?
倫理を度外視したこの実験がもし失敗すれば、いや成功したとしても、露見した瞬間に、我々の文化どころか国の信頼そのものを失うぞ。」
その言葉に、クロガネ財団の幹部が鋭く反論する。
「その心配もたしかにある。また、国のために子供たちを危険に晒して良いのか、という根本的な問題もある。
ただ、奨学金や大学の失敗は、計画性の欠如と無責任な拡大が原因だった。この計画は違う。
クロガネは楽器と音楽を通じて、人の喜びを広げてきた。その理念を未来につなぐためなら、リスクを冒す価値はある。倫理の壁は高いが、ためらう時間はないのだ」
二人の対立が部屋に緊張を走らせる。すると、
「両者の言い分はどちらも正しい。文化庁の懸念は、我々が過去の過ち――未来への祈りが生んだ失望を繰り返してはならないという教訓だ。
クロガネの主張は、AIの波に飲み込まれる前に、人の創造性を守るための大胆な一歩が必要だという現実だ。
そして我々は、今ここで立ち止まるべきではないことを知っている。
この計画を、過去と未来をつなぐ架け橋として、私は支持する。」
三者の視線が交錯し、長い沈黙の後、頷き合う。私は深く頷き、机に手を置いた。
「では、
会議は静かに終わり、私はこのプロジェクト専用に暗号化を施したPDA端末に進捗を記録した。
020 : Maestro 1995/12/15 暗号化PDA内の個人メモ
官民合同の秘匿タスクフォース――
公開:2025/10/31
【用語集 -Notes-】
プラザ合意(1985年):日米英独仏の5カ国が協調し、ドル高を是正(主に円高ドル安に誘導)する為替介入に合意したこと。作中では結果として日本の国内産業の空洞化を招いたとされる。
人口ボーナス(第二次ベビーブーム世代):特定の世代人口が激増することによる経済的恩恵。
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