第6話: 優花とのデート

日曜日の朝。
空は澄み渡り、秋の陽射しが柔らかく降り注ぐ。
昨日、美咲と過ごした土曜の記憶が、まだ胸の奥で熱を持っている。
頰に残るキスの感触、耳に光る星のピアス。
でも今日は――優花との約束の日だ。

待ち合わせは、駅から電車で二つ先の小さな町の図書館前。
9時15分。
私は少し早めに着いて、図書館の入り口脇にある古びたベンチに腰掛けた。
周りは静かで、時折、子連れの家族が通り過ぎるだけ。
スマホを開いて、昨日の美咲との写真を眺める。
映画館のチケット、カルボナーラのフォーク、公園の夕陽。
――楽しかったな。

「お待たせ……しましたか?」

静かな声に顔を上げると、優花が立っていた。
いつもより少しだけ、特別な装い。
淡いベージュのニットワンピースは、ウエストが細く絞られ、スカートが膝下まで優しく広がる。
紺のショートコートを羽織り、首元には白いマフラー。
黒髪は今日はハーフアップで、シルバーのリボンが揺れている。
眼鏡の奥の瞳は、朝の光を浴びて、琥珀色に輝いていた。
手には小さな紙袋。

「優花……おはよう。すごく、似合ってる」

優花は頰を赤く染めて、俯き加減に微笑む。
「ありがとうございます。あかりさんに……褒めてもらえて、嬉しいです」

彼女は紙袋を差し出した。
「まずは……朝ごはん。手作りです」

中には、ふわふ�のクロワッサンサンドと、りんごのコンポート。
「昨日、夜中まで作ってました。あかりさんの好きな、ツナとレタスで……レタスは水気をしっかり切って、ツナはオリーブオイルで和えて」

「え、すごい! ありがとう」

二人で、図書館前の小さな公園のベンチに座る。
優花は小さな thermos から温かい紅茶を注いでくれる。
「ダージリン。砂糖は……少なめで。ミルクはなしで、合ってますか?」

一口飲むと、香りがふわりと鼻をくすぐり、喉の奥まで温まる。
「美味しい……完璧」

優花はほっとしたように息を吐いて、
「よかった……。あかりさんに、喜んでもらえるか、ずっと心配で。味見、3回しました」

クロワッサンは外側がカリッと、中はしっとり。
ツナの塩気と、レタスのシャキシャキ感。
りんごのコンポートは、シナモンがほのかに香り、甘さ控えめ。

「優花、料理上手なんだね」

「いえ……あかりさんのためなら、頑張れます」

朝食の後は、図書館へ。
優花の「秘密の場所」だという、児童書コーナーの奥。
小さなソファが二つ並び、窓からは木漏れ日が差し込み、床にまだら模様を描く。
棚には古い絵本がぎっしり。空気には紙とインクの懐かしい匂い。

「ここ、誰も来ないんです。だから……」

優花は棚から一冊の本を取り出す。
『星の王子さま』。表紙は少し色褪せている。
「小学生のとき、初めて読んだ本。あかりさんに、読んであげたいなって」

私は隣に座って、ページをめくる。
優花の声は、静かで、優しくて、まるで子守唄のようだった。
「『大切なものは、目に見えない』……」

読み終えると、静寂が二人を包む。
私は呟いた。
「優花の声、すごく綺麗。まるで、本の中に入ったみたい」

優花は俯いて、指先で本の端をなぞる。
「……ありがとう。でも、あかりさんの声も、好きです。授業で発表するときとか、美術部でスケッチの説明するときとか……全部」

昼前。
図書館を出て、隣接する小さな美術館へ。
今日は「印象派展」。
モネの睡蓮、ルノワールの少女、ドガのバレリーナ。
優花は一枚一枚、丁寧に説明してくれる。

「この絵、色が混ざってないでしょう? でも、離れて見ると……」

私は少し離れて、目を細める。
「あ、本当だ! 睡蓮が浮いて見える!」

優花は微笑んで、
「あかりさん、美術、好きになってくれました?」

「うん。優花と一緒だと、もっと好き。……絵の説明、優花にしかできないよね」

美術館の後は、古い洋館を改装したカフェ。
窓際の席で、優花はケーキセットを注文。
「モンブラン。あかりさん、栗好きですよね? 文化祭のとき、栗のタルト食べてたから」

「え、覚えててくれたんだ」

「もちろん。……全部、覚えてます。あかりさんが好きな本、好きな色、好きな音楽……全部」

ケーキを食べながら、優花が小さな箱を差し出す。
「昨日、作ったんです。栞」

革紐に、星型のビーズが揺れる。
「美咲さんとお揃いのピアス、素敵だなって思って……私も、形にしました。ビーズは、夜空の星をイメージして」

私は栞を手に取る。
「ありがとう……大事にする。いつも、本に挟んでおくね」

夕方。
川沿いの遊歩道を歩く。
紅葉が水面に映り、風が冷たい。
優花が私のコートの袖を、そっと掴む。

「あかりさん」

「ん?」

「今日、楽しかったですか?」

「うん、すごく。優花と一緒だと、時間がゆっくり流れるみたい」

優花は少し黙って、それから――
「……私、あかりさんのこと」

風が吹いて、言葉が途切れる。
私は首を傾げる。
「え、なに?」

優花は俯いて、
「……なんでも、ないです」

夕陽が沈む。
駅の改札前。
優花は立ち止まって、私の目を見つめる。

「あかりさん」

「うん?」

「今日は、ありがとうございました。……また、一緒に、本、読みませんか? 美術館にも、行きたいです」

「もちろん。約束」

優花は少し躊躇って――
それから、私の額に、そっとキスをした。
冷たくて、でも優しくて、ほんのりミルクティーの香り。
眼鏡のフレームが頰に触れて、ひんやりする。

「えっ?」

「デートのおまけ……です」

優花は顔を真っ赤にして、小さくお辞儀して、走り去る。
私は額を押さえて、呆然と立ち尽くす。
――優花が、キス?

家に帰って、ベッドに倒れ込む。
栞を手に取る。星が、部屋の灯りに光る。
胸がどきどきして、眠れない。
優花のキス、優しかった。
でも、なぜか――美咲の顔が頭に浮かぶ。
昨日は頰。
今日は額。
二人とも、私に――

スマホを見ると、LINE。
優花から。

『今日のデート、幸せでした。栞、ずっと使ってください。……大好きです。あかりさんが、世界で一番』

私は返信して、目を閉じる。
――大好き?
友達として、だよね?

でも、胸の奥が、ざわざわと波打つ。
昨日は美咲。
今日は優花。
二人とも、私にキスをした。
――これって、普通の友達?

外の銀杏並木が、風に揺れる。
明日から、どうすればいいんだろう。
学校で、二人に会う。
――私の気持ちは、まだ、わからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る