第4章: 地下室の秘密
鍵が回りきった瞬間、扉が内側から押し開かれた。
湿った空気が吐息のように明美の顔を撫で、腐臭と土の匂いが一気に鼻腔を満たす。
階段は予想以上に長く、木の段板は腐り、足を乗せるたびにぬるりと沈んだ。
手すりはなく、壁に手を這わせながら降りる。
携帯のライトが頼りない光を投げかけ、埃の舞う空間をぼんやりと照らす。
地下室は思ったより広かった。
天井は低く、梁が黒くうねっている。
中央に古い鉄製ベッド。シーツは黄ばみ、綻び、ばねがむき出しになっていた。
床には空き缶、乾いたパンくず、腐った果実の皮――食料の残骸が散乱し、ネズミの糞が点在する。
壁は全面が文字で埋め尽くされていた。
爪で掻いたような、血の混じった赤と黒の文字。
「ママ 出して」
「ママ ごめんね」
「ママ 壊れた」
無数の「ママ」が、縦横に絡み合い、壁紙を剥がしてコンクリートにまで達している。
奥の隅、ベッドの陰に――人影があった。
最初は布の塊かと思った。
だが、ライトが照らすと、それはミイラ化した女性の亡骸だった。
皮膚は干からび、頬は落ち窪み、唇は裂けて歯が覗く。
長い髪は白く、頭蓋骨に張りついている。
首には鎖が巻かれ、壁の鉄環に繋がれていた。
指は折れ曲がり、爪は全て剥がれ落ちている。
「ママ……壊れちゃったんだ」
声がした。
明美は振り返った。
部屋の反対側、暗がりに鎖の音。
男がいた。
痩せさらばえ、肋骨が浮き出た裸の上半身。
皮膚は灰色で、血管が透けて見える。
髪は肩まで伸び、絡まり、顔は土と血で汚れている。
目は大きく見開かれ、白目が異様に光っていた。
首と両手首に錆びた鎖。長さは三メートルほどで、壁に固定されている。
男は這うように近づき、明美の足元で跪いた。
「ようやく…ママが来た」
声は掠れ、舌が乾いて音を立てる。
「前のママは、すぐ壊れちゃった。叫んで、暴れて、鎖で首を絞めて…でも、今度のママは頑丈そうだ」
男は笑った。歯は黄ばみ、欠けている。
「俺、悪い子だったんだって。パパがそう言った。『悪い子は地下で反省しろ』って。
だから四十…四十年? 待ってた。ママが来るのを」
明美は後ずさった。
背中が壁にぶつかる。文字が指に触れる。冷たい。
「家族が…鍵をかけた?」
掠れた声で尋ねると、男は首を傾げた。
「うん。パパと、おじいちゃんとおばあちゃん。みんなで鍵かけて、『もう二度と開けるな』って。
でも、ママは来るって信じてた。ママは優しいから」
男は立ち上がり、鎖がガチャガチャと鳴る。
明美に向かって手を伸ばす。
「ねえ、ママ。俺、ひもじい。ご飯ちょうだい。そして……一緒に遊ぼう。前のママみたいに、壊れないでね」
明美の足がすくむ。男の指が、彼女の頬に触れた。
氷のように冷たい。
その瞬間、階段の上――玄関のドアが開く音がした。
夫の声が遠く響く。
「ただいまー! 明美、いるか?」
男の目が、階段の方へ向いた。
「パパ…?」
呟き、そして――笑った。
「パパも来た。家族、みんな揃ったね」
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