08
シンギュラー発見から六千年。ついに人類は、時間遅延の答えを見付けた。
ただし原因は複合的で、一言で語れるものではない。数多くの要因が絡み合い、それが世界に影響を与えていた。
まず、生き物の量。
生物が多ければ多いほど、時間の進みがゆっくりになると判明したのだ。特に人類のような、高等な動物ほど時間の進みは顕著に遅くなる。植物の場合然程変化はないが、量が増えるとやはり時間の遅延を招く。
次に物質の多さと構成の複雑さ。
物質が何もない真空の方が、高気圧の空間よりも時間の進みが早い(理論上の値により近い)と分かった。また気流や水流などの『流れ』がある場所も、時間の進み方が遅い。たとえ同じ質量・面積でも、巨大で単一な海の方が、複雑な森よりも時間の進みが早いと観測された。
そしてシンギュラー。
シンギュラーが水を生み出す際にも、時間の遅延を生んでいた。一つ一つは大した変化ではないのだが、今や何千億にも増えた人類の食料・エネルギーを賄うほど栽培されているシンギュラーの総数は膨大だ。人間含めた全生物で最も『繁栄』していると言っても過言ではなく、時間遅延への影響は非常に大きい。
他には生殖行動や食事、複雑な化学反応などで時間の遅延が起きている。科学技術の発展で、極めて小さな計測器が開発されてようやく測定する事が出来た。ではこれら時間遅延を生じる原因の共通点は何か? ハッキリとした事は分かっていないが……『情報量』の多さというのが注目されている。
つまり情報の多いものがたくさんいると、時間が遅くなるという事。
生物は代謝や生理活動などを行うため、同じ質量の物質よりも情報量が多い。ただの物質でも真空よりは情報量が多いだろう。流動する気体の変化は多くの情報を持ち、無から水を生み出すシンギュラーの情報量はやはり膨大だ。生殖や食事も、新たな生命の誕生や肉体の成長など様々な情報変化を生む行為である。
これらの情報の多さによって宇宙全体の時間が遅くなっている。周りと情報量に差があれば周囲と時間の流れに差が生じ、より遅い方の時間が『飛んで』いるように見える――――これが一千年前から確認されるようになった『ワープもどき』の正体。その最有力仮説だ。
生物一個体が与える時間への影響は微々たるもの。石や空気ならもっと小さい。本来、それこそ六千年前の人類文明であれば、観測可能な時間遅延は決して起こらなかっただろう。
だが、今は違う。
シンギュラーによる水生産で、人類は無から資源を得るようになった。これを使って人類は宇宙に版図を広げ、豊かな生活のためコロニー内に自然環境までも再現した。
星の中だけで暮らしていた時とは、比にならないほど生物は増えた。一説によればシンギュラー発見前と比べて、現在の
しかも人類文明は更なる『飛躍』の名の下、もっと人口や版図を増やそうとしている。
この先に待っているのは、完全なる時間停止――――無限に遅延した時間の中に閉じ込められると予想された。この発見に人類は衝撃を受けた。繁栄していると思っていたら、時間停止という恐るべき破滅に向けて邁進していたのだと気付いてしまったのだから。原因が発表された当時は、市民の間に小さくない混乱が起きた。
だが、人類は十分な発展を遂げていた。
原因が分かれば対策は簡単だ。要はこれ以上情報が増えなければ良い。人口増加と生活空間拡大の抑制、それと『少情報化』を進めれば解決する。
そもそも時間遅延によって人が忽然と消える(ように見える)事はあっても、実際に消滅してしまう訳ではない。そして遅延した時間の中で生きる人々は、時間が遅くなっている事を認知出来ない。即ち問題自体は、少なくとも今の水準ならば解決しなくてもどうにかなるのだ。なんなら多少悪化したとしても生活に大きな影響はなく……精々時間の認識差による事故の発生件数が増える程度。無論これも人命に関わる大問題だが、時間の停止という『滅亡』に比べれば些末なものである。
つまり、今より悪化しなければとりあえずは良い。
方針さえ決めてしまえば、人類は的確に動けた。まず出生数を抑制し、人口の均衡化を行う。次に物質・エネルギーの循環システムを数百年プランで再構築し、電化製品の省エネ化研究を推進。数こそ正義とばかりに大量建設された発電設備を削減し、発電効率と出力で減らした分をカバーする。併せて燃料生産を担うシンギュラー自体も減らしていく。
また、数百年前に人類は『デリトル』と呼ばれるシンギュラーの新品種を発見。こちらは一定条件下で、吸収した二酸化炭素を消滅させる植物だ。これにより二酸化炭素経由ではあるが物質の『削除』が可能となっていた。適切な数のデリトルを栽培すれば、シンギュラーによる水生産を続けつつも、増えた分を削除して帳尻を合わせられる。
施設の解体、生物数の均衡、そして物質の削除。様々な方法により宇宙全体の情報量を減らしたところ、時間の遅延が改善されていると確認された。
時間遅延の謎を解明してから、解決までに一千年以上の時を費やした。とても長い、何百世代にも渡る挑戦を経て、ついに人類は宇宙の終焉を食い止めたのだ。それは自滅に近い終わりだったかも知れない。だが人類の叡智が、技術が、宇宙の危機を回避したのは間違いない。
探求の心を忘れず、己の過ちを見直す勇気と謙虚さがあれば、これからも人類は長い繁栄を築いていける事だろう。
そう、この小さな世界の中で――――
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