第2話「完全投稿」

プロローグ

 午後十一時四十二分。渋谷区のマンション一室。

「もうやめてよ! 何なの、その言い方!」

 甲高い女性の声が響いた。スマートフォンのインカメラが、その表情を捉えていた。

 画面に映っているのは、南波美咲(26)。登録者数百二十万人を誇る人気YouTuber「Misaki Channel」の配信者だった。

「お前が先に言ったんだろうが!」

 画面の外から、男の怒鳴り声。元恋人の桐谷亮(28)だった。

「カメラ回してんじゃねえよ!」

「これが私の仕事なの! わかんないの!?」

 美咲はスマートフォンを握り締めたまま、桐谷を睨みつけた。彼女のチャンネルは「リアル恋愛ドキュメント」をコンセプトにしており、恋人との日常、喧嘩、別れまでをすべて撮影していた。視聴者は、そのリアルさに惹かれていた。

「お前、俺のこと金稼ぎの道具にしか思ってねえだろ!」

「違う! 私は真実を伝えてるだけ!」

「真実? 全部演出じゃねえか! 俺が悪者になるように編集しやがって!」

 桐谷は拳を握り締めた。美咲は一歩後ずさった。

「ねえ、落ち着いて。お願い」

「もう限界なんだよ!」

 桐谷はキッチンに向かい、包丁を掴んだ。

 美咲の顔が恐怖に歪んだ。だが、スマートフォンは握り続けていた。

「待って、お願い、やめて──」

 その瞬間、画面が激しく揺れた。悲鳴。そして、静寂。

 スマートフォンは床に落ち、天井を映し続けていた。

 午後十一時四十七分。南波美咲、死亡。


第一章

 翌朝。警視庁捜査一課に通報が入った。

 現場に到着した相馬健吾は、惨状を目の当たりにした。リビングの床に倒れている女性の遺体。胸部に複数の刺し傷。周囲には血痕が飛び散っていた。

「被害者は南波美咲、二十六歳。人気YouTuberです」

 沢村が説明した。

「YouTuber?」

「はい。登録者百二十万人。主に恋愛系の動画を配信していました」

 相馬は部屋を見回した。高級マンション、おしゃれなインテリア、壁一面に並んだ撮影機材。

「容疑者は?」

「同居していた元恋人、桐谷亮。現在、行方不明です」

「元恋人?」

「半年前に一度別れたそうですが、最近また同居を始めたようです」

 藤井が床に落ちていたスマートフォンを拾い上げた。

「相馬さん、これ」

 画面にはロックがかかっていなかった。藤井が再生ボタンを押すと、動画が流れ始めた。

 美咲と桐谷の口論。激高する桐谷。包丁を掴む桐谷。悲鳴。

 すべてが、映っていた。

「完璧な証拠だな」

 相馬は呟いた。

「桐谷の顔も、声も、凶器も、すべて記録されている。これなら逮捕は確実だ」


第二章

 桐谷亮は、その日の夕方、自ら警察署に出頭してきた。

 取調室。相馬は桐谷の前に座った。

 桐谷は憔悴しきった表情で俯いていた。

「南波美咲さんを殺害したのは、あなたですね」

 桐谷は小さく頷いた。

「はい」

「なぜ殺したんですか」

「……わかりません。気づいたら、包丁を握っていて」

「南波さんとは、どういう関係でしたか」

「恋人でした。でも、半年前に別れて。でも、また同居を始めて」

「なぜ別れたんですか」

 桐谷は顔を上げた。目が充血している。

「彼女は、俺のことを愛してなかった」

「どういう意味ですか」

「彼女にとって、俺は視聴者を増やすための道具だった。喧嘩も、仲直りも、全部演出。彼女は常にカメラを回していた。俺たちの関係は、全部コンテンツだった」

 桐谷は拳を握り締めた。

「最初は我慢してた。でも、もう限界だった。彼女は俺を悪者に仕立てて、視聴者の同情を買っていた。『ひどい彼氏』『DVする男』って。全部嘘なのに」

「DVはしていなかったんですか」

「してない! 彼女が自分で作ったシナリオだ!」

 相馬は、美咲のチャンネルの過去動画を確認していた。確かに、桐谷を悪く描写する動画が多かった。「彼氏にひどいこと言われた」「また喧嘩した」「もう限界かも」。コメント欄には、美咲を応援し、桐谷を非難する声が溢れていた。

「でも、殺してしまった」

 桐谷は頭を抱えた。

「俺は、最低だ」

 相馬は書類を整理した。証拠は揃っている。自白もある。これで終わりだ。

 だが、その時、沢村が取調室に入ってきた。

「相馬さん、検察から連絡です」

「なんだ?」

「逮捕状の請求、却下されました」

 相馬は目を疑った。

「却下? なぜだ」

「被害者が、死の一時間前に動画を予約投稿していたそうです」


第三章

 相馬は検察庁に向かった。

 担当検事の立花聡子(38)は、困惑した表情でパソコンの画面を見ていた。

「これです」

 画面には、YouTube の動画ページが表示されていた。

 タイトルは「【遺言】もし私が死んだら、見てください」。

 投稿時刻は、美咲が殺害された一時間後。つまり、事前に予約投稿されていたのだ。

 相馬は動画を再生した。

 画面に映っているのは、美咲だった。涙を流しながら、カメラに向かって話している。

「もし、この動画が公開されているなら、私は死んでいます」

 美咲の声は震えていた。

「犯人は、亮くんです。桐谷亮。私の恋人です」

 相馬は息を呑んだ。

「でも、お願いです。彼を許してあげてください」

 美咲は涙を拭った。

「彼は悪くないんです。悪いのは、私です。私が彼を追い詰めた。私が彼を傷つけた。私が、彼を殺人者にしてしまった」

 美咲は深く頭を下げた。

「亮くん、ごめんなさい。私のせいで、あなたを苦しめてしまった」

 そして、美咲は最後にこう言った。

「この動画の収益は、全額、私の家族に振り込まれます。死後も、私は家族を支え続けます。お母さん、お父さん、ごめんなさい。そして、ありがとう」

 動画は終わった。

 相馬は呆然とした。

「これは……」

「被害者自身が、加害者の減刑を求めている」

 立花は深いため息をついた。

「法的には、起訴は可能です。しかし、被害者の遺志がこうである以上、裁判で有罪を勝ち取るのは極めて困難です。弁護側は間違いなくこの動画を証拠として提出するでしょう」

「でも、殺人は殺人です」

「ええ。しかし、情状酌量の余地が極めて大きい。おそらく執行猶予がつくでしょう」

 相馬は拳を握り締めた。


第四章

 相馬は、被害者の遺族に会いに行った。

 南波家は、都内の古いアパートにあった。美咲が成功する前は、一家で貧しい生活を送っていたという。

 母親の南波恵子(52)が、相馬を迎えた。

「娘は……やっぱり、亮くんが殺したんですか」

 恵子の声は沈んでいた。

「はい。本人も自白しています」

「そうですか」

 恵子は、娘の写真を見つめた。

「あの子は、小さい頃から目立ちたがりでした。いつも注目されたくて、必死で」

「YouTube を始めたのは、いつからですか」

「五年前です。最初は全然再生されなくて。でも、恋愛の動画を始めてから、一気に人気が出て」

 恵子は目を伏せた。

「私は、止めればよかった。あの子に、もっと普通の生活をさせてあげればよかった」

「美咲さんは、最後に動画を残していましたね」

「……見ました」

 恵子の声が震えた。

「亮くんを許してほしいって。でも、私は許せません。娘を殺した男を、どうして許せるんですか」

 相馬は何も言えなかった。

「でも──」

 恵子は言葉を切った。

「でも、動画の収益が、毎月振り込まれるんです」

「収益?」

「娘の遺言動画です。もう百万回以上再生されていて。毎月、百万円近く振り込まれるんです」

 相馬は息を呑んだ。

「最初は、受け取りたくなかった。娘の死を金に換えるなんて、できなかった。でも──」

 恵子は涙を流した。

「でも、私たちは貧しいんです。夫は病気で働けない。私のパート代だけでは、生活できない。娘が生きていた時も、娘の収入に頼っていた。そして、娘が死んでも、私たちは娘に頼っている」

 恵子は顔を覆った。

「私は最低です。娘を殺した男を憎みながら、娘の死で稼いでいる。これが、母親のすることですか」

 相馬は何も答えられなかった。


第五章

 桐谷亮の裁判が始まった。

 弁護士は、美咲の遺言動画を証拠として提出した。

「被害者自身が、被告の減刑を求めています。被害者は、自らが被告を追い詰めたことを認めています。これは、明らかに情状酌量の余地があります」

 検察側も反論した。

「しかし、殺人は殺人です。どのような事情があろうとも、人を殺めた罪は消えません」

 だが、裁判官は悩んだ。

 被害者の遺志を無視して、重罪を科すべきか。それとも、被害者の願いを尊重すべきか。

 さらに、問題があった。

 検察側の弁護士が指摘した。

「遺族は、被害者の遺言動画の収益を受け取り続けています。これは、被害者の死を金銭に換えている行為です。遺族が収益を受領している以上、被告への厳罰を求める資格があるのか、疑問です」

 恵子は法廷で立ち上がった。

「私は、収益を受け取りたくありませんでした! でも、生きていくためには──」

「では、なぜ動画を削除しないのですか?」

 弁護士の問いに、恵子は答えられなかった。

 動画を削除すれば、収益は止まる。生活は困窮する。

 しかし、動画を残せば、娘の死が金に換わり続ける。

 恵子は、矛盾の中にいた。


第六章

 判決の日。

 裁判長は静かに告げた。

「被告人、桐谷亮を、殺人罪により懲役五年、執行猶予三年の判決とする」

 法廷がざわついた。

 執行猶予。つまり、桐谷はすぐに釈放される。

「被害者自身が被告の減刑を求めており、被告にも酌量すべき事情がある。また、遺族が被害者の死から利益を得ている現状を鑑みると、厳罰を科すことは適切でないと判断する」

 恵子は崩れ落ちた。

 桐谷は、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 相馬は法廷を出た。藤井と沢村が追いかけてきた。

「これで、いいんですかね」藤井が呟いた。

「わからない」

 相馬は答えた。

「被害者は犯人を許せと言った。遺族は収益を受け取った。犯人は執行猶予になった。誰が正しくて、誰が間違っているのか、もうわからない」


エピローグ

 桐谷亮は釈放された。

 彼は、美咲の墓の前に立った。

「美咲……ごめん」

 彼は涙を流した。

「お前を殺してしまった。俺は、最低だ」

 だが、その罪は軽かった。執行猶予。三年間、何も起こさなければ、刑は消える。

 一方、恵子は自宅でパソコンを開いていた。

 美咲の遺言動画のページ。

 再生回数は、今も増え続けていた。三百万回、四百万回、五百万回。

 コメント欄には、無数の言葉が並んでいた。

「泣いた」

「美咲ちゃん、優しすぎる」

「こんな素敵な人だったんだ」

「天国で幸せになってね」

 恵子は、毎日このコメントを読んでいた。

 娘を称賛する言葉。娘を悼む言葉。

 そして、その下に表示される広告収益の金額。

 恵子は、画面を閉じることができなかった。

「美咲……ごめんね」

 恵子は呟いた。

「お母さんは、あなたを殺した男を憎んでる。でも、あなたの死で、生活してる」

 恵子は顔を覆った。

「娘は死んで、私たちを食わせている」

 その夜、美咲のチャンネルに新しいコメントが投稿された。

「美咲ちゃんの動画、これからも見続けます」

 再生回数は、増え続けていた。

 翌月も、翌々月も、収益は振り込まれ続けた。

 恵子は、動画を削除しなかった。

 できなかった。


【問】あなたが遺族なら、この収益を受け取るか?

A: 受け取る

B: 拒否する


第3話「時効の穴」に続く

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