第4章 ハーティカ

 今回の展示販売会。友人の五枚の絵画は、ハーティカによって失われた畏芸いげい先生の『虹の絨毯』を除いて全て売ることができた。

 こんな事は今までなかった。

 不謹慎かもしれないが、ハーティカの影響で人足は減ったが、かの犯罪者が『価値がある』と判断し、破壊しなかった事で購入に踏み切る人がいたのも事実だ。

 これでは私が疑われるのも無理はない。

 六枚の絵画の中で最速購入、最高額を叩き出したのは、初心うぶの描いた絵画『マディネス』。販売価格二百万円。正直、この額で売れるとは思わなかった。

 その後順々に子豆こまめ新紙しんし盟人めいじんの順番に買われてゆき、今や画廊には一枚の絵画を残し、開業当初のようなスッキリとした部屋が広がっていた。

 そんな画廊に、長机にありとあらゆる料理にお酒や飲料水をところ狭しと置かれ、それに外に机と椅子が用意した。

 私は商談室を背に皆のの視線を一心に集める。全員、私の展示会の締めくくるの言葉を待っているようだ。

 これはいつになっても、緊張するものだ。

「開催の当初はハプニングがあったものの、みんなのお陰で、今年も最後を迎えることができた。感謝する。来年も声をかけるかもしれないから、覚悟しとけよ?堅っ苦しく長いのは嫌いだろ?今回はお詫びもかねて食事を準備した。私の奢りだ!食って騒いでくれ!かんぱ~い」

 各々、思い思いに叫ぶとグラスを掲げ、食事を取りに動き始めた。

 集まったのは、私と煖華を合わせて今回の展示会の参加者全員だ。お詫び目的が大部分を占めているが、友人全員と一度話したかった気持ちがあるもの事実だ。

 防犯カメラの異音に気付き、色々と調べた事で真実が見えてきた。それをアイツに……。

 さてと、オーナーとして皆を労いに行くか。……そして、アイツが本当にハーティカか、確かめたい。

 胸の中に色々な感情が渦巻く中、一番近くで食事を楽しんでいる旧木に話しかけるか。

 旧木 新紙もとき しんしは商談室の壁にもたれ、外を眺めながらジュースを片手に肉料理を嗜んでいた。

「おう!新紙。仕事帰りに寄ってもらって悪かったな」

 外を見るのをやめ、私に視線を移す。私の顔を見るとにっこりと微笑み、ジュースをすすって口を潤す。

「気にすんな。今はあんまし仕事がないんだ。丁度いい暇つぶしになるよ。それより俺の絵、いくらになったんだ?」

 自分の力作の金額を気になって仕方がないのか、私に食い気味で聞いてきた。

 新紙の絵画か……。

「新紙の『ソルダレジスト』は確か、五万円だったな。電子回路のような緻密な絵。しかし有名デザイナーが描いた作品があの金額でしか売れないとは、私もまだまだ半人前なのかもしれないな」

「何いってんだ。趣味で描いた絵が五万だぞ?十分すぎるだろ?それと元だ」

 なにが『元』なのか、すぐに理解できず、私は首を傾げる。

「元有名デザイナーだ。むしろい、まだそう呼んでくれるのはお前ぐらいだ」

 新紙はわざわざ修正してくれた。

 あ~そういうことか。

「元っていっても、一、二年前の話だろ?」

「世間様は残酷なんだ。過去の栄光なんてすぐに忘れ去られる」

「過去ね……。そう言えば、同窓会。私が絵の買い付けに行ってる間に開催していたみたいだが、お前は行ったか?」

 旧木は記憶を遡るかのように、視線を外に逸らす。

「行ってねぇよ。その夜から朝にかけて、最近できた約束があって断ったんだ」

 私は無言になったが、「そうか」とだけ返す。

「じゃあ、次回はお互い参加したいものだな」

 私の問いかけに旧木は外を見たまま「あぁ」とだけ答えた。

「そろそろ次の人と話してくるよ。今回はありがとな」

 旧木はグラスを掲げて答えると、外の景色を楽しむように眺め続けた。

 対馬 盟人つしま めいじんは長机の前を陣取り、周りを気にする様子もなく、一人缶ビールを豪快に飲み干していた。

「対馬先輩、お疲れ様です。最近、面白い画家は見つかりましたか?良かったら、うちでも販売させて下さい」

 対馬は口に付いた泡を服の袖で拭い取る。真っ赤になった顔で破顔すると、私の肩をバシバシと叩く。

「そないなこと、同業者に話すわけ無いやろ?」

「それは残念。しかし、私は見つけましたよ?今回の対馬先輩の『四色調和』。独創的で素晴らしかった。もしよかったら、うちの専属として描きませんか?」

 自分の絵画が褒められてよほど嬉しいのか、大きく頬を吊り上げた。

「それもえぇな。オーナーから画家に転職や!!ってアホ言うな!オーナーはワシの天職や!!」

 画廊に対馬の響き渡るような笑い声が轟く。対馬の楽しそうな様子に、今度は少し真面目なトーンと私は話し始める。

「今回の事件でうちの画廊から客が離れて、対馬先輩のみたいです。それで実際のところ売り上げはうなぎのぼりですか?」

 対馬の笑顔が徐々に険しいものに変わると、小声になりながら、私に耳打ちして答えた。

「客が増えたかて、買うとは限らん。実際の集計は、まだしとらんけど、肌感としてはいつもと同じやな」

 私は少し考える素振りを示すと、いつもの調子で話始める。

「それじゃあ………絵画の売り上げ、くすねるの止めときます」

 すると、対馬は今のが冗談だと理解すると、表情は次第に笑顔に戻っていく。

「お前!騙されたわ。うわ~ほんまのこと言って良かった」

 また、私の肩をバシバシと叩き始めた。

 それに応えるように笑顔を見せると「挨拶周りに戻ります」と言ってその場を離れた。

 畏芸 敬作いげい けいさくは入口近くに私が用意した椅子に座り、ペットボトルの水を左手にウトウト船を漕いでいた。

 私は畏芸先生の前に立つと、自分の膝に頭を擦り付けるくらいに深々と頭を下げた。

「先生!今回参加してくださったのに、あのような事態になったこと。誠に申し訳ありません!つきましては当画廊で絵画と同等の金額を……」

「気にするな」

 私の声で目を覚ましたのか、私の言葉を遮る。

「所詮が慣れん右手で描いた駄作。あの気に食わない小悪党に贋作と言われて納得してしまったよ」

「しかし!それでもあれは先生の名で世に出た絵画ある以上、間違いなく畏芸先生の真作です!」

 私の力説に先生は笑って喜んでくれた。

「僕の絵画愛好家にそう言われると、うれしくて仕方ないよ。それだけで参加させてもらった甲斐があったというもの」

 私は頭を上げ、先生の瞳を見つめた。そこには、嘘偽りは見えず、ただ、優しさが籠もっていた。

 切り出すならここか?

「しかし驚きです。とは」

 目を見開いたまま畏芸先生は固まる。

「どういう事だい?」

「すみません。絵の具の塗り方や厚みの出方が左手で描かれた作品と酷似していたもので。もしかして、違いましたか?」

 沈黙する畏芸先生だったが、次第に薄く笑い出した。

「ハッハッハッ!流石、僕の知る一番の愛好家だ。右手で左手で描いたように見せるちょっとした遊び心を見抜くとは!!もしかしたら、小悪党もそれを見抜いたのかもしれん?それは君なのかい?」

 畏芸先生の冗談に内心では動揺しながら、「ご冗談を」と答えた。

「妻への見上げ話もできた。早く別の友人にも挨拶してきたらどうだい。それも仕事だよ」

 私は再び一礼すると畏芸先生の元を離れた。

無量林 初心むりょうりん うぶは家から持ち込んだ画材で、自作の『マイホーム』と書かれたA4用の絵を、商談室の扉に勝手に貼り付け、一人で部屋を占拠していた。

「初心。今回の最高傑作をありがとな。スランプと聞いたが、やっぱりデマだったようだな?」

 持ち込んだ画材一式が既に商談室を埋め尽くし、まるで初心の仕事部屋と化していた。

 看板に偽りなしか……。

「心。スランプってなんのことだ?初心は描きたい絵を感情のままに描くだけだ」

 絵を描く手を止めると、床から起き上がり、商談室のソファーの上であぐらをかく。

「いや、初心の才能に世界が遅れているだけだ。気にするな」

 不思議そうに初心は首を傾げると、すぐに興味をなくし、後ろを向く。ソファーの後ろにある画材を取ろうと、背もたれに体を預けていた。

「初心。まさか、その服装でここまで歩いてきたんじゃないだろうな?年頃の娘がはしたないぞ」

 パッと見はダボダボのTシャツ一枚みたいな危うい服装だが、その下にはどうやらしっかりとショートパンツを履いているようだ。

 画材を手にすると、すぐさま絵を仕上げると私に突きつけた。

「心は初心をなんだと思ってる?ちゃんとタクシーを使った」

 そこにはラフ画でここまでの来た過程が描かれていた。そして最後には、初心の下から覗き込む鼻の下を伸ばした私と共に『変態』と描かれていた。

 視界に入るのをどうしろというのだ。

「私は初心を天才だと思っているが?」

「それでいい。今年も約束を守った心の事は愛しているぞ?」

「知ってる。だから、来年も楽しみにしてろ」

 ラフ画を破り捨てると、初心は見透かすような蒼い瞳で私を映すと真剣に聞いてきた。

「心。悩みか?初心で良ければ聴くぞ?」

 その瞳は私を映しているようでまるで別のなにかを映す。

「どうしてそう思う?」

「心の色は黄金色のように輝く太陽だ。でも夕闇色の染まりつつある夕焼けだ。そのときの心は大抵悩んでる」

 昔からよくその表現をされるが、よく分からないな。

「心配しなくても、大丈夫だ」

 そう告げると、立ち上がった初心はしっかりとした足取りで私の目の前で立ち止まる。初心の出方を伺う私に彼女はまるで抱きつくようにもたれかかってきた。

 驚く私に独り言をつぶやくように初心は小さく囁く声が私の心臓に響いてくる。

「心配ない。初心は心の味方だ。裏切る事は絶対にない。

 まるですべてを見透かした言葉に、私は焦る気持ちとともに初心の両肩を掴み、引き剥がす。そんな彼女はすでに寝息を立てて立ったまま寝ていた。

 初心にはどんな世界が見えているんだ?

 仕方なく、彼女ソファーに寝かせると、初心の画材を少し拝借し、商談室を出る。扉に張られた初心の傑作の上に『就寝中』と描いた私の駄作を恐れ多くも張り付けてその場を後にした。

 親川 子豆あやかわ こまめは画廊の隅で四歳くらいの男の子と遊びながら、食事を楽しんでいた。

「無理言って悪かったな。家の方は大丈夫なのか?」

 子豆の意識が私に向くと、それに合わせて、男の子がはしゃぎながら駆け出していく。子豆が止めようとしたが間に合わず、代わりに私が抱き上げた。

祖丑そうしがすみません。先輩は子供連れでも構わないと言ってくれたので、お言葉に甘えさせてもらいましたが、やっぱり迷惑でしたか?」

「まさか!子供は元気が一番だ。そこは子豆似だな。お前が美術部に入った当初はあの行動力に振り回されたからな」

 子豆は苦笑いを浮かべながら、自分の頬を掻く。

「止めてください。恥ずかしい。あれはただの世間知らずの子供だっただけです。今はそんな事ないですよ?」

 私に抱えられて、大人しくなった祖丑を床に降ろすと、まるで逃げるようにして子豆の元へと戻っていく。

 そんなにおじさんは嫌だったか。

「祖丑くんはいくつになったんだ?」

「もうすぐ、三歳になります」

 あの大きさでまだ三歳か。容姿は父親似だな。

「それじゃあ、もうそろそろ、画家に復帰するのか?その時はうちで扱ってもいいぞ」

 すると、今までの穏やかな表情がだんだんと暗くなってゆく。

「多分引退です。旦那が私に家庭に入ることを望んでいるから……。それに『いつまでも絵を描いて遊んでじゃない』って、お義母さんに釘を刺されているから……」

 お義母さんか……。コイツの母親は理解がある人だ。だから、旦那側か。

「それじゃあ、今回の絵画の売上を見せて証明してどうだ?」

 暗い顔をしたままの子豆が不思議そうに顔を上げる。

「今回お前が描いた『喜怒哀楽』は十万円で買い手がついたからな。十分に才能を証明できてるんじゃないか?」

 その金額に彼女は頬を引きつらせていた。

「十万……円?冗談ですよね?」

「本当だ。失礼と思ったが、購入者に話を聞いてみた。そしたら、あの絵画からは母親の温かみを感じるそうだ。子豆。出産してから絵、描いてないだろ?」

 視線を逸らしながら、小さく頷く。

「親になったことで、感性が変わり、より深みのある絵が描けるようになったんじゃないか?」

 その言葉に反応を示さないが、顔が少し赤くなっている。

 本当に昔と違って大人しくなったものだ。学生時代なら、跳んで喜んだろうに。

 私はそれだけ伝えると、その場を後にしようとした。しかし、以外にも子豆に呼び止められた。

「真心先輩。あの絵。今もちゃんと飾ってるんですね」

 その言葉に私は画廊の唯一の絵に視線を向ける。

「そうだな。高校最後の卒業作品で、私が携わった唯一の絵画だからな」

 それを聞いて、子豆はクスクスと笑った。

「先輩は意外にも絵のですもんね?それにあの金額。絶対に売るつもりないですよね?」

「当たり前だ。買い手が現れたら、値を十倍に跳ね上げてやる」

 そう言って、私は子豆と別れ、絵画の前に通り過ぎる。そこに記された販売価格はだ。

 右京 煖華うきょう のんかは自分は部外者であるかのように、自分の分の食事と飲み物を取り分けると、受付の隅っこの方で存在感を殺して一人で食事を取っていた。

「煖華。そんなところで一人で食事して寂しくないか?」

「…………」

 煖華は私に目もくれず、まるでロボットのごとく一定の速度で野菜スティックを口に運んでいく。

「初心とは仲良かっただろ?一緒に……ってアイツは今寝ているか。子豆なら年も近いし、話し相手になるんじゃないか?」

「…………」

 無視……ですか。やっぱり、あの決断をしたこと今でも怒っているのか?

「煖華。私が決めた答え。まだ怒ってるのか。だが、いくら煖華の頼みでも、そこは譲る気はないからな」

 煖華は顔を上げ、椅子から立ち上がると、唐突に私の腕を掴み、そのまま二階の事務所まで引きずられるように連行する。

 扉をバタンと閉めると、扉を背に私と向き合う。

「ハーティカが誰か分かったのに、警察に通報しないこと。今でも考えを変えないつもりはないの?」

 やっぱり、そのことで怒ってるのか。

「あの時にも言ったろ?アイツはハーティカであると同時に私の友人だ。事実を突きつけ、その結果、アイツがどう決断を下すか、アイツに決めさせる」

「事実を知ってる真心を殺すかもしれないのよ!!」

「アイツはそんなことはしない!」

「『そんなことはしない』?どうして、そう言い切れるの!それは学生時代で昔の話でしょう!今も昔と変わっていないってどうして言い切れるの!」

 まるで感情をぶつけるかのように、煖華は一歩踏み出しながら叫ぶ。

「煖華。お前の心配はすごく嬉しい。だが、私はそれでもアイツを信じたいんだ」

 私の目が真っ直ぐ煖華を見つめると、彼女が視線を逸らせる。

「バカじゃないの?友情と命を天秤にかけるなんて……バカじゃない……」

 煖華の最後の言葉は消え入りそうな声だった。

「男なんてみんなバカばっかさ。そして、それが楽しいのさ」

 私が胸を張って宣言すると、説得しても無駄だと理解したように俯く。

「もし……もし、それで殺されたりしたら、私、真心を一生恨み続けるから。覚悟して」

 そう言い残すと、私を見ることなく、彼女は事務所を後にした。

 一生か……。それじゃあ、そんな事態になったら、殺されないようにしないとな。

 私は彼女の後を追うように、事務所を出た。

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