第32話 ミリアムside3


先ほど父に言われた理由をやっと理解したのだが、もう手遅れだった。

皆、口を揃えて『シルヴィーがいないのならここにいる意味はない』と、部屋から出て行ってしまった。


(シルヴィー、シルヴィーって、どうしてあの女のことを気にするの!? わたくしのそばから離れようとするなんてなんなのよっ)


これでミリアムたちの面倒を見てくれる人はいなくなってしまった。



「お父様、どうするのよ! 早く新しい使用人を雇いましょうよ」


「金があれば……金、金さえ手に入れば……問題ない! 借金だって……」


「……お父様?」


「大丈夫、私の選択は間違ってない……っ」



父はブツブツと呟きながら、頭を押さえている。


(お父様ったら、何を焦っているのかしら……使用人なんて新しく雇えばいいのに)


今は父に話せる状態じゃなさそうだ。いい報告を待つしかないのだろう。

書斎を出ると廊下に響き渡る母の金切り声。

どうやら使用人たちが出ていくのが気に入らずに、暴言を吐きつつも引き止めようとしているのかもしれない。

『勝手にすればいいわ!』

そう言った母は顔を真っ赤にしてミリアムの元へ。



「お母様、大丈夫よ。すぐに雇えばいいんだから。もうすぐあの女を売った金が手に入るじゃない」


「そうね……ミリアムの言う通りだわ」


「あんな使えない奴らを捨てられてよかったと思わなくちゃ」


「えぇ、そうね。私がどうかしていたわ。目障りな邪魔者はいなくなった。これからはもっともっと幸せになれるわ」



ミリアムは満面の笑みで頷いた。

これからはレンログ伯爵家は幸せになっていくと信じて疑わなかった。



──ラディング侯爵が牢に入れられるまでは。



社交界に衝撃が走る。それはラディング侯爵が主催した夜会の会場にアデラールがいたという事実。

彼を摘発に至った経緯は詳しくはわからない。

ラディング侯爵と彼を支持していた貴族たちは一気に失脚することになる。

アデラールは彼らを引きずり出して容赦なく罰していった。


ラディング侯爵が関わっていた家々が次々に明かされていく。

そしてちょうどシルヴィーを売り払おうとしていたレンログ伯爵家も含まれていた。


父はその知らせを聞いて絶望していた。

『金がなければ終わりだ』

何度もそういいながら頭を押さえているではないか。


母と二人でいつもとはまったく違う父の様子に違和感を覚える。

顔を見合わせつつも事情を聞くと、そこで父が隠していた衝撃の事実を聞くことになる。

それはレンログ伯爵家は借金まみれで、今にも没落してしまう寸前だということだ。



「う、嘘でしょう……?」


「これからどうするのよ! わたくしたちはどうなっていくの?」



動揺する母とミリアム。父は青ざめているだけだ。

すべてラディング侯爵にシルヴィーを売った金でどうにかしようとしていたらしい。

だが、ラディング侯爵は牢の中だ。

つまり金は手に入ることはないし、彼と新しく立ち上げようとした事業の話も白紙。

このまま何もしなければ没落して、爵位や領地を国に返上する。もしくはこの座を退いて親戚に渡さなければならない。



「シルヴィーを取り戻さねば! 今度こそ王家にシルヴィーを差し出せばいい、そうすれば金くらい工面してくれるはずだ。今なら間に合う。ずっと探していたんだ。喜ぶはずだろう!?」


「お、王家!? なんで王家なの? お父様、それってアデラール殿下のことじゃ……っ」


「多少悪事がバレたところで、シルヴィーさえいればどうにかなる。むしろいい方向にいくはずだっ」



ミリアムは納得できなかった。

目障りなシルヴィーを追いだすことができたのに、アデラールの婚約者に押し上げようとするのか。


(どうしてあの女が出てくるのよ! 今さらアデラール殿下に選ばれるわけないでしょう!?)  


しかし父はミリアムの言うことにまったく耳を傾けてはくれない。

それに金がなければ人も雇えないということだ。



「どうして!? このままじゃ生活できないわ!」


「そうよ、まずは親戚を回ってお金を工面してもらいましょう!」



惨めな生活を送ることだけは絶対に避けなければならない。

ミリアムと母は己の保身のために必死だった。



「……そ、それは無理だ」


「え……?」


「親戚にも金を借りているんだ。これ以上は……っ」



父は苦虫を噛み潰したような表情をしている。

ミリアムと母が知らない本当の現実。今まで見ようとしなかった真実が一気に襲いかかってくる。

もしかしたら使用人たちとシルヴィーはこのことを知っていたのかもしれない。



「今は名誉とレンログ伯爵家を守るのが先だっ!」


「な、何を言っているの?」


「嫌ならドレスや宝石を売り払え! お前たちは何もしていないくせにうるさいんだよっ! いい加減にしろっ」



初めて父に怒鳴られたミリアムは大きく肩を揺らす。

それほど追い詰められているということだろう。


そして肝心のシルヴィーは夜会の会場から姿を消して戻ってこなかった。

言い訳もできず、社交界や身内からも爪弾き状態。

母は元娼婦のため、身内に頼ることもできない。


こんな状態のレンログ伯爵家で働きたいという人が見つかるわけはない。

父はなんとか罰を逃れようとしていたのだが、騎士たちや調査員によって暴かれていく父のあまりにもずさんな領地経営が明るみになる。

すべて執事とシルヴィーに任せきりで本人は事業の立ち上げで忙しいといいながら女遊びや娼館通いが発覚。


母は父への腹いせか屋敷のものを端から壊していた。

それを片付ける者はいないため、家は荒れ放題。

料理もできないため、ドレスやアクセサリーを売り払いそのお金でそのまま食べられるパンやチーズ、果実を食べる日々。

ローブを被っていても、誰なのかがバレてしまう。


シルヴィーがいなくなったことで、父が金を領民たちから搾り取ろうとしたらしい。

無理な税収を要求したせいか父も母もミリアムも爪弾き状態で買い物にすら行けなくなってしまう。

刃物や農具を持った過激な領民に追いかけられることもあったが、護衛も雇えない。

どんどんと追い詰められていく感覚にミリアムは絶望していた。


(これからどうしていけばいいのよ……!)


このままでは住む場所も爵位も失うのは時間の問題だ。


婚約者だったロランに頼ろうとしたが、彼はすぐに手のひらを返した。

『やはり醜悪な女だ。婚約は白紙にさせてもらう!』

あんなにもミリアムに媚を売ってきたくせにこんな仕打ちを受けるとは屈辱だった。


一歩でも外に出れば、今までひどい目に遭わせた令嬢たちに馬鹿にされてしまう。

アデラールの婚約者になろうと躍起になっていたミリアムは、やり過ぎてしまったのだ。

それがわかっているから誰にも助けを求められない。


(あの目障りな女のせいよ……! 全部、全部シルヴィーのせいっ)


この一件で、アデラールの評判は上がり続けていた。

もしミリアムが彼の婚約者だったらこんなことにはならなかったのにと後悔するばかりだった。


シルヴィーは元ラディング侯爵と関係を持ったのだろうか。

平民になりながら地べたを這いつくばっているだろうか。

元ラディング侯爵に汚されたことを後悔しているだろうか。


(わたくしはまだ貴族だもの……! 大丈夫よ)


まだシルヴィーより自分の方が幸せだと必死に言い聞かせることしかできなかった。



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