第2話
「母さん、俺……翡翠さんと結婚するよ」
見合いが終わって家に着いてすぐ、出迎えてくれた母に言った。俺の家、平野岩家は豪邸を構えていて、かなり儲かっているようだ。これならきっと翡翠さんに苦労はさせないし、胸を張って迎えることができるだろう。
まるで武家屋敷みたいな広さでお手伝いさんがバタバタと歩き回っている。
記憶を辿ると、俺の父親はもうすでに亡くなっており当主である兄は現在病に臥している。ここ数年の話で俺は瞬く間に次期当主になったようだった。
「お母さんもそう言おうと思っていたよ。なんだい、あの先方のお母様は。自分の娘になんだってあんなひどい事言えるのかしら!」
母は真剣な表情でおたまを持ちながら怒っている。自分の母親が優しい人でよかったと安心しつつ、俺はやっと実感する。
——俺、結婚するんだ。結婚……できるんだ。
と感動も束の間。襲ってきたのは、そこはかとない不安だった。俺は、前世でも今世でも恋愛経験ゼロ。特に、容姿に自信がなかった前世は「自分が関わったら女の子が怖がるかも」と話すことすらしなかった。
だから、友情・恋愛をすっ飛ばして結婚することにとんでもない不安を感じているのだ。
「なぁ、母さん。母さんは父さんと結婚した時どういう風に感じた?」
「何よ急に。そうねぇ。お母さんも平野岩にお嫁に来た身だけどお父さんはアンタに似て優しくて……お見合いした時、この人ならきっと好きになれるって思ったわ。ユウキはきっと翡翠さんの事なら好きになれると思ったから結婚したいと言ったんでしょう?」
「翡翠さんは、不安に感じないのかなって思ってさ」
「そうねぇ。誰しも不安に感じると思うわよ。でも、アンタのその顔を見るに話は楽しく終わったんでしょう?」
「うん。あと、母さん。店のことなんだけどさ……翡翠さんと話して、その……妖怪退治家業も始めようと思って」
母さんは反対するんじゃないかと思っていた。だって、せっかくお嫁さんが来るのに彼女が働いていたら母さんは楽にならないし、子供だって遅くなるかもしれない。薄々感じていたが、女性の立場弱いこの世界では許されないことかもしれないと俺は考えていた。
しかし、そんな俺の予想とは真逆で母さんはにっこりと微笑んだ。
「嘘? 翡翠さん、続けてくれるって? 妖怪退治を? いや、すぐに看板屋にお願いしに行かなくちゃ! 日本一の素材屋に日本一の退治屋。うちはもっと大きくなるわよ!」
——商人魂ナメるべからずだ。この人は伊達に日本一の素材屋の女将をやってないわけだ。
「よし、じゃあそういう事で俺も頑張るよ!」
俺と母さんは翡翠さんを迎える準備を進めていった。
***
北野家は元々武家の家系でかなり由緒正しいお家柄だ。一方で俺の家、平野岩家は商人の家系でいわゆる成金なお家柄。だからか、結婚式の参列数も数倍の差があり、親族が身につけている着物だって全然出来が違った。
ただ、母さんが相手を黙らせる量の結納金を支払ったので文句、いわゆるマウントは取らせない腹づもりだ。
「翡翠さん、すごく綺麗です」
白無垢を着た翡翠さんの美しさはまるで妖みたいで、俺はまだ三三九度で御神酒を飲んでいないのに酔ってしまいそうだった。
「本当ですか? 私が?」
「えぇ。多分、俺が見た中で一番綺麗です」
「あのユウキさん。本当に私でよかったんでしょうか。あんなたくさんの結納金を払ってまで、私はそんな価値のある女でしょうか」
日本で一番の妖怪退治屋で、多分日本で一番綺麗な人だ。
それなのに、彼女はこんなにも自信がなくて自分を自分で馬鹿にするような言葉ばかり吐く。多分、それは彼女が家の中でずっと「弱者」だったからだ。何をしても変えられない事のせいで彼女は色眼鏡で見続けられたのだろう。
前世での俺もそうだった。容姿が悪く、富も持たず、学歴もない「弱者」だった俺は何をしても評価の舞台に立つことすらできなかった。いつしか、自分を自分で卑下し、可能性を閉ざすように全てを諦めてしまった。
俺は、彼女の白くて細い手をとった。ずっしりと彼女か着ている着物が重い。つめたかった彼女の指先が体温で暖かくなる。
「俺は、翡翠さんだから結婚を申し込みました。誰にも取られたくなくて、すみません。縁談中に求婚したりして……、結納金の事は家柄の差と……それから今後、翡翠さんが平野岩家でどんな仕事をしていても北野家に文句を言わせないためです」
「ユウキさん……」
「俺こそ、こんな不出来でよかったのかなって不安です。翡翠さんのような素敵な方に選んでもらえて光栄です。俺は、貴女よりも多分すごく弱いし親もあんな感じでゆるっとした雰囲気だもんで無礼な事も多いと思います。でも、俺が貴女を……貴女が戦えない物から守ります」
もしも、この世界の女性の立場が弱くて、あらゆる事で自由が効かないなら。男である俺がそういう理不尽から彼女を守ればいい。妖怪は倒せないけれど、意地悪な母親や世間は俺がどうにかしてみせる。
せっかく、見た目も親ガチャも女神様が融通してくれたんだ。前世でできなかった事を今世で。前世で続けてきた善行も引き続き今世でも。
「私も、ユウキさんがいいです」
白粉が落ちないように彼女はそっと目頭を押さえた。そして、こちらを見つめながら恥ずかしそうに微笑む顔があまりにも綺麗でぎゅっと胸が痛くなるくらい心臓が跳ねた。
本当に、こんなに心も顔も綺麗な人と俺は結婚……するんだ。天から与えられた顔や金だけじゃなくてもっと俺の中身が頑張って彼女を幸せにないといけない。それだけじゃない、前の世界では考えられないような価値観や人から彼女を守れるのは俺だけなのだ。不安とか経験ゼロとか言っている場合じゃない。覚悟を決めなければ。
こうして、俺はついに素敵な女性と契りを交わした。前世では、妬みたくなるくらい羨ましかった結婚。でも、いざしてみると責任感や不安、それからかなりの緊張で心がすり減ってしまいそうだ。
横を歩く白無垢姿の彼女をちらりと見る。角隠しでほとんど顔は見えないけれど彼女の口角が少し上がっているのがわかった。
彼女にとってこの結婚が自由への一歩になっていることを俺は願っている。そして、自由を謳歌してそのついでに俺を好きになってくれと願う。
目の前に置かれた器と御神酒。
そういえば、昨日の夕食に普通に酒が出ていたので聞いてみたところ、飲酒可能年齢は十五歳からだと母さんは言っていた。確か日本でも昔はそのくらいから呑めたんだっけ。ただ、三々九度は結構な量の日本酒になるから口をつけるふりでいいんだった……よな?
「ごきゅ、ごきゅ」
——翡翠さん、ガチで飲んでるっ……
俺は隣で御神酒を飲んでいる翡翠さんに合わせるように、漆の器に口をつける。何度も何度も、次第に量の多くなる御神酒。甘い限りなく水に近い日本酒。
前の体は結構下戸でビールいっぱいで顔が真っ赤になっていたけれど、こっちはどうだろうか。あの女神様の事だから気を効かせてくれている……よな?
隣の翡翠さんは指先まで美しい所作でごくごく御神酒を飲んでいる。俺もそれに続く。続く……。 ふわっと漂う浮遊感、俺は結婚式を壊してはいけないという責任感だけで意識を保ち続けた。
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