或る編集者の日記

溶けた溜め息

10月29日 瀕死の編集者

日記を始めてみた。

このままだと死んでしまうと思ったから。


息をつく暇もなく過ぎ去り、頭を下げる事にも疲れ果てた日々に、押し殺されると思ったから。


最近では、作家と話すたびに心臓が痛むようになった。


毎日夜が明ける頃に布団に入り、目を閉じて思い浮かぶのは仕事のこと。


編集者とは過酷な仕事だ。


一握りの作家を除いて、大抵の作家にとって出版できる作品は人生の中で数えられるほどしかない。

そんな"人生でたった一つの作品"の数々を、商業という足枷をつけて、山ほど背負うのが編集者だ。


どう足掻いても自分の時間は一日24時間しかなく、その中で「良い作品を作りたい」と熱い思いを注ぐ作家を相手に心身を捧げ、共に足掻く。


もちろん中には、よりドライに売れるものを、と考える編集者もいる。かつて新卒で編集者になった頃の私はどちらかといえば、そちら側の人間だった。


何せ"売れ筋をドライに目指す"だなんて、かっこいいじゃないか。自分より遥かに愛を持って入社してきた同期にただただ圧倒され、そう騙っていた。


だが、本気で作品に向き合えば向き合うほど、誠意ある仕事として、他人の宝物に手を出す責任を感じてしまうのがまともな編集者の性である。


これ自体は何らおかしな事じゃない。責任を負う苦しさは仕方ない。それが嫌ならこの仕事を辞めろという話だ。


だが、何が良くなかったかといえば、今の出版業界、よりフォーカスを当てるなら私の所属する編集部の燦々たる現状だ。


出版不況、と言われていたのは数年前。


電子書籍やメディアミックスの広がりで少しは息を吹き返し始めた出版業界ではあるが、言うまでもなく潤沢と表現するには程遠い。


何せもとより、ライフラインに関わる産業ではないのだ。人様のお財布から、嗜好品に出して頂くお布施を汲み取って、なんとか成り立っている産業だ。


加えて、近年の物価上昇である。


紙の原材料が上がったことで、大手出版になればなるほどより厳しい制約の中での書籍作りが行われている。


箔押し、ホログラム加工などは夢のまた夢。よほど売れた作家ですら、ソフトカバーでお願いします、というのが正直なお財布事情である。


そんな、ただでさえ厳しい産業の中で、「好き」というやり甲斐だけを誇りに、会心のヒット作を模索した結果、編集者を馬車馬のように奔走させているのが現在の出版社だ。


かくいう私の編集部も、私が入ってからものの数年で20代の若手が全て吹き飛んだ。激務に耐えきれず、連絡が取れなくなり、病んでいくのだ。


ましてである。


ヒット作を当てても終わりは来ない。

ああ良かった、となるかと思えばそうではなく、翌年には「あ、君こんなにできるんだね。ならもっとやってよ」と予算を山のように積まれるのが関の山である。


ワークライフバランスなど生ぬるい。


つい先日、ふと気になって自分の勤怠状況を確認したら、毎月の実働時間が200時間を超していた。


世に過労死ラインと言われるのが、160時間。

どうやら私は死を克服したらしい。


そのまま異世界転生して最強の復活系異能を片手に、もふもふな獣とスローライフでも送りたいものである。

現世のエンタメのオマージュで一儲けできそうな気がする。


閑話休題。

そんな中で、結婚やら家の購入やらと、同年代は着々と人生のコマを進めていくのだ。


仕事上、SNSは作家探しにもよく使うのだが、見ていると否が応でも、幸せそうな結婚報告出産報告などが流れてくる。


おめでたい。

死にたい。


だが、そんな絶望ですら忘れてしまえるような、本気の「好き」に出会える事も事実なのだ。


全ての苦悩を忘れて、神への感謝を捧げたくなるような作品との出会い。更にはその作品が売れてくれたりなどしたときには、もう五体投地ものである。


この喜びはきっと他の仕事では得られない。悔しい、まるでハードなセルフSMプレイだ。


この日記はそんなとある編集者の激動の日々のひとしずくを、綴ろうと思う。


不定期更新だが、お付き合い願いたい。

何せ死にかけの日々なのだ。


その日の鬱から、喜びまで、リアルな感情を残したい。

残せば何か、変わるかもしれないと淡い期待を持っている。


本を書く人間も、作る人間も、そうではないもの好きな皆さんも、ふと気が向いたときにでも覗いて頂けたら幸いである。


それではまた次回、いつになるかは定かではないけれど。


南無三。

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