第21話 サイド:アリシア 観察と理解


夕方。

カーテンの隙間から差し込む光が、床の上に淡い影を作っていた。

直哉さんは机の前で、黙ってキーボードを打っている。

いつもと同じ光景。

でも、今日はその背中が少し違って見えた。


学校で髪を指摘されたあの日から、私は“見られる”ということを考えている。

見られるという行為は、観察されることだと思っていた。

けれど、違うのかもしれない。


人は、誰かを見ることで、

自分の中の“何か”を確かめているのだと、

教室で感じた。


だから、私は今、彼を見ている。

机の上に置かれた湯飲み。

メモに残された殴り書きの文字。

顔にかかる少し乱れた髪。


どれも、彼そのものを形づくっている。


「……何か、ついてるか?」

気づかれた。

私の視線に。


「いえ。観察です」

「おいおい、またそれか」

彼は笑って、ペンを回した。

その笑いが、いつもより柔らかく感じる。


観察。

けれど、今のそれは、

少し違う言葉で言い換えられる気がした。


私は考える。

“観察”と“理解”の違いは、どこにあるのだろう。

形を記録することが観察なら、

心の動きを感じ取ることは、きっと理解だ。


「……直哉さん」

「ん?」

「あなたの“疲れた”という表情は、今、どの程度ですか」

「……どの程度って」

「一から十で言うなら」

「五くらい、かな」


彼の声が少し掠れていた。

私は立ち上がり、台所の方へ向かう。

「休息を提案します」

「提案って……またそれか」

「“観察結果”として、合理的です」

「はいはい、従います」


彼が椅子にもたれ、深く息をついた。

私は湯を沸かしながら、

その音を“静かな生活の音”として記憶する。


以前の私は、

人の声や表情を“ノイズ”として処理していた。

でも今は、違う。

それらは、世界を柔らかくする“要素”に変わった。


湯気の向こうに、直哉さんの姿がぼんやりと滲む。

私は思う。


──見られることを恐れなくなったのは、

 きっと、この人を“見られる”ようになったからだ。


私は湯呑を差し出す。

「温度は、好ましい範囲です」

「ありがと」

「疲労値が下がったら、報告をお願いします」

「了解、観察者さん」


少し、笑った。

それが自分の顔にどう映っているか、今は気にならない。


──きっと、“見られる”ということは、

 “見せていい”と思えることなのだろう。

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