Ep.2

「なるほど、それでアニメしか知らなかったんだね」

ようやく落ち着きを取り戻したモブロックが呟く。


「ええ。ですから、アニメでは描かれなかった細かい設定や、トゥルーエンドの展開は知らなかったのです」


私は優雅にカップを置き、彼をまっすぐ見つめた。


「ですが、あなたは違いますわね? 原作ゲームを最後までプレイし、全ルートを攻略していた」


モブロックは気まずそうに頬をかいた。

その仕草に、少しだけいたずら心がくすぐられる。


「そういうあなたは、おいくつ? もちろん、あちら側での話ですわ」


「……25歳だけど」


「まあ」

私は少し目を見開き、口元に微笑を浮かべた。


「あらあら、思ったよりお歳を召していらっしゃったのね」


「……失礼だな」

彼の頬が引きつる。


「いやいや、25ってそんなに歳いってないでしょ!? むしろ若い部類だと思うんだけど!?」


「まあ、個人の感覚によりますわね」


私は再び紅茶を口に運び、香りを楽しみながら喉を潤す。


彼は小さく肩をすくめ、どこか敗北したような笑みを浮かべた。



しばらく沈黙が続いた。やがて彼が口を開いた。


「……ねえ、リリアナ」


「なんですの?」


「僕、ずっと考えてたんだ。僕達の世界にあった彼方の聖女って、どうやって作られたんだろうって」


唐突にそう言う彼の横顔は真剣で、ふざけている様子はない。

私は少し眉をひそめ、次の言葉を待った。


「……リバースエンジニアリングって知ってる?」


不意打ちのような問いかけに、私は思わず目を瞬いた。

彼はこういう唐突な話題をよく持ち出す。


「既製品を分解して、その構造や設計を調べる手法ですわね。車や機械でよく使われる」


「そう、それ!」と彼は人差し指を立てる。


「……ここは確かに“彼方の聖女”のアニメやゲームにそっくりだよね。登場人物も、国の名前も、建物も、出来事の流れまで」


「ええ、私も否定はしませんわ」


私は椅子に腰を下ろし、手元の紅茶に口をつける。

苦みが口内に広がるのを感じながら、静かに続きを促した。


「ですが――完全に同じではありません。微妙な違いが、いくつもありました」


「そうなんだよ!」モブロックは嬉しそうに机を叩いた。


「例えば、セドリックがエーデルハルトの領地に滞在していたこと。アニメじゃそんな描写はなかったし、ゲームでも触れられなかった。それに、そのカルヴァロスの存在だって、この世界に来て初めて知った」


彼の声は徐々に熱を帯びていく。


「それでさ、ここは本当に“アニメやゲームの中の世界”なのか? ――僕は違うと思う」


「理由を聞かせてちょうだい」


「創作物ってゼロから作られるじゃない? 脚本家がいて、演出家がいて、キャラクターデザイナーがいて。人の頭で組み立てたものなら、こんなに細かい“余白”や“現実の厚み”があるはずない」


確かに、と私は心の中で頷く。

私は何百回もこの世界で死に、繰り返し生き直してきた。

アニメやゲームでは描かれなかった“現実”――息づく生活や、痛みや、心の揺れを知っている。

虚構であるには、あまりにも生々しすぎる。


モブロックは小さく息を吸い、身を乗り出した。


「僕の仮説はこうだよ――“彼方の聖女”という作品は、この世界をモデルに作られたんだ。

 つまり僕らが元の世界で遊んだゲームやアニメは、この世界をリバースエンジニアリングして作られた産物なんだ」


「……続けなさい」


「僕らが住んでいた地球とは別に、“彼方の聖女”の元になった世界――つまりここが存在していた。

 誰かがこの世界から情報を引き出して、日本でアニメやゲームとして再現した。

 しかも、その作品には仕掛けがあって……触れた人間を、この世界に送り込むようになっていた」


「なるほど……」


私はカップを静かに置き、指を組んだ。

その言葉は、私がずっと抱えていた疑念を、ぴたりと形にした。


「あなたも、その結論に辿り着いたのですね。……私も同意見ですわ」


モブロックの表情がぱっと明るくなる。


「やっぱり! じゃあ、あの作品には本当に仕掛けがあったんだ。アニメやゲームを媒介にして、人の意識をこちらへ転送する仕組みが!」


声が大きい、と手で制すると、彼は慌てて口を押えた。


「……ただ、二つ疑問が残ります」私は静かに告げる。


「疑問?」


「ええ。仮にあなたの推理が正しいとして――“誰が”、そして“何のために”我々を送り込んだのか、です」


部屋に沈黙が落ちた。

蝋燭の炎が、ぱちりと音を立てて揺れる。


モブロックはしばらく俯いて考え込んでいたが、やがて低く答えた。


「……僕たちに何かをやらせたいとか?」


私は顎に指を添え、考えをまとめた。

窓の外では、夜風に王都の旗がかすかに鳴っている。


私は指先を顎に添え、思考を巡らせる。


「……送り込んだ者がいるとすれば、その目的はおそらく“この国の未来を変えること”でしょう」


「未来を?」


「ええ。この国は放置すれば、黒い影に飲み込まれる。

ならば外部からの存在を投入し、筋書きの外から打開を試みさせる。……そのような狙いがあるのではないかと」


「なるほど……」モブロックは頷き、目を細める。


「だとしたら、僕らは“修正パッチ”みたいな存在なのかもしれないね」


私は思わず小さく笑った。


「ふふ……例えがいかにもあなたらしいですわ」


けれど、笑みの奥で、胸の奥にひやりとしたものが広がっていった。

――“誰かに送り込まれた”というのは、“誰かの意図に組み込まれた駒”である可能性でもある。


「次に……誰がやったか、だよね」モブロックが言う。「少なくとも“彼方の聖女”の制作会社は関係してると思うんだ」


彼の言葉に、私は背筋を伸ばした。


「キミは制作会社についてどれくらい知ってる?」


「全然知りませんわ。ただ……シナリオは、なんとかという女性ライターが書いているのをどこかで見た気がします」


「白淵(しろぶち)さんだね」モブロックが頷いた。

「ファンの間では結構有名だった。妙に骨太なシナリオを書く人でね」


白淵――。

その名前を、私は心の中で繰り返した。


「彼女が書いたシナリオは、ただの恋愛ストーリーじゃなくて、どこかダークで深みのあるものが多かった。乙女ゲームなのに、妙に考察しがいのあるストーリーだったっていうか……」


「なるほど……。それでトゥルーエンドがあのような展開になったのも納得ですわね」


「それに表現に妙にリアルなところがあって、架空の物語なのに、まるでそれを経験したかのような真に迫った文章を書く人なんだ」モブロックが懐かしそうに語る。「僕もファンの一人で、彼女が個人で活動してたころからのファンなんだよね」


私は息をのみ、ゆっくりと紅茶を置いた。

その女性の名前が、胸の奥で鈍く響く。

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