Ep.2

廊下を歩きながら、私は先ほどのやり取りを何度も思い返していた。


(あそこまで無下に断られるなんて……。

しかも、お父様、あんなに怒っていらした。どうして?)


胸の奥がずっと重い。

けれど、私はただ無謀に反乱を口にしたわけじゃない。


これまでのループで、学院や王宮の内情を探るうちに、

エーデルハルト家の影響が思っていた以上に深く浸透していることを知っていた。


教師の中にも、文官の中にも、明らかに父の息がかかっている者たちがいた。


(公爵ほどの方なら、すでに手を回しているはず……。

最悪の場合、軍事衝突の想定まで)


いずれこの国が割れるのは時間の問題。

そう確信していた。


(……公爵は『恐れ多い』とは言っても、『できない』とは言わなかった)


公爵が反乱の準備を進めていることは確か。

ならば――できる。勝算があるのだ。


廊下の奥の窓から差し込む光が眩しく、私は思わず目を細めた。

父は……私を見限ったのだろうか。


さっきのあの冷たい目。

まるで、娘ではなく、厄介な存在を見るような。


自室に戻ると、私はそのままベッドに倒れ込み、顔を枕に埋めた。

静寂の中で、胸の奥に沈む焦燥感がじわじわと広がっていく。


(アニメでは……公爵はリリアナを可愛がっていたはず)


その記憶と、現実の冷たい拒絶がどうしても噛み合わない。


(もしかして……知らず知らずのうちに、公爵の前で“リリアナらしからぬ”振る舞いをしてしまった?)


そう。今の私は“本物のリリアナ”ではない。

公爵から見れば、まるで別人に見えても不思議ではない。

それが――彼の警戒を生んだのかもしれない。


「……」


息を吐き、目を閉じる。

父の協力は、今のままでは得られない。


「どうにかしなければなりませんわね」


小さく呟いて、私はゆっくりと目を開けた。

諦めるわけにはいかない。


破滅の運命を断ち切るために――次の一手を探さなければならなかった。



――わがままで、傲慢なお嬢様。


それが、この世界における“リリアナ・フォン・エーデルハルト”という人物像だった。


(……公爵のような“真の貴族”の目から見れば、

私の立ち居振る舞いにどこか“無礼”があったのかもしれませんわね)


思い返せば、私は言葉遣いや態度には気をつけていたものの、

貴族令嬢としての作法――所作や呼吸、立ち位置の一つひとつまでは意識できていなかった。


そもそも“知らない”のだ。


リリアナ本来の人格は確かに性格に難はあったけれど、

少なくとも礼を欠くような人物ではなかったはず。


それを思えば、今の私は貴族令嬢として、あまりに雑だった。


(これまでは、アニメのリリアナを思い出しながら“それらしく”振る舞ってきたけど……)


だが、それでは“本物”のリリアナにはなれない。

きっと父には、その“粗”がはっきりと見えてしまったのだろう。


自分では丁寧にふるまっているつもりでも、

長年娘を見てきた父の目からすれば、わずかな違和感でも見逃せない。


(……令嬢としての立ち居振る舞いを、一度きちんと学び直さなければなりませんわ)


そう結論づけた私は、静かに顔を上げた。


「アンナに相談するしかありませんわね」


アンナ――エーデルハルト家に長く仕える侍従。

幼い頃からリリアナの身の回りの世話をしてきた、ほとんど家族のような存在。


最初の周回では、何も分からず右往左往していた私に、何度も助けの手を差し伸べてくれた。

どんなに多忙なときでも屋敷を支え続ける人。


この屋敷の中で、最も信頼できる人物――それが彼女だ。


(長年仕えてきた方ですもの。今の私の頼みでも、きっと耳を傾けてくれるはず)



「リリアナ様、お呼びでしょうか?」


アンナが部屋に入ってきたとき、その落ち着いた佇まいに思わず背筋が伸びた。

長年エーデルハルト家に仕える彼女は、年齢を重ねてもなお、品格と威厳を失わない。

まさに“理想の侍従”という言葉が似合う人だ。


「ええ、アンナ。少しお時間をいただけますか?」


私はベッドから立ち上がり、正面から彼女を見据えた。

これから口にするお願いが、いかに奇妙に聞こえるか分かっていた。


それでも――言わなければならなかった。


「お願いがございますの。

私に――貴族令嬢としての作法を、一から教えていただきたいのですわ」


アンナの目がわずかに見開かれる。

驚いたように瞬きをして、静かに言葉を返した。


「作法を……一から、でございますか?」


「ええ」


私は真剣な声で続ける。


「学院で、アレクシス殿下をはじめ、多くの方々と接する中で痛感しましたの。

エーデルハルト家の娘として、恥じることのない振る舞いを身につけたいのです」


アンナはしばらく黙って私を見つめていたが、やがて目頭にそっと手を当てて、感慨深げに微笑んだ。


「お嬢様……本当に立派に成長なさいましたね」


「私が……立派に?」


思わず聞き返す。


「ええ。昔は、習い事が嫌で泣いて逃げ回っておられましたのに……

ご自分から学びたいとおっしゃるなんて……」


その笑顔に、私は内心で苦笑いを浮かべた。

(それは、“元のリリアナ”のことですわね)


私は別人――でも、その名を背負っている以上、恥じるわけにはいかない。

彼女が途中で投げ出したものを、私が完璧に仕上げてみせる。


「アンナ、どうか私に力を貸してくださいませ」


頭を下げると、アンナは一瞬目を伏せ、やがて穏やかな笑みを浮かべて頷いた。


「承知いたしました。そのようなお役目を仰せつかるとは思いませんでしたが……

お嬢様の覚悟、喜んでお手伝いいたします」



翌日から、アンナの徹底的な教育が始まった。


「まずは姿勢です。背筋を伸ばし、顎を引きすぎず、目線は優雅に」

「歩き方も気を抜いてはいけません。足音を立てず、滑らかに……」

「笑い方ひとつで印象は変わります。大声を出さず、息で微笑むように」


あの穏やかなアンナが、ここまで厳しい人だったなんて。

昼は礼儀作法、夜はマナーと会話、翌日は食事の所作、扇子の扱い、立ち居振る舞い。

次から次へと課題が出され、息をつく暇もない。


(……これでは、剣の修行より体力を使いますわね)


けれど逃げるつもりはなかった。

かつてのリリアナが身につけていた“本物の貴族令嬢の所作”

――それを超えなければ、私はこの世界で生き残れない。


「歩き方が乱れています、リリアナ様。もう一度最初から」

「ダンスのステップが甘いです。はい、音に合わせて――」

「ピアノの音が硬いです。力で弾くのではなく、指先で奏でるように」


毎日くたくたになってベッドに倒れ込む。

だが、不思議と嫌ではなかった。

汗を流しながらも、確かに自分が少しずつ変わっていくのを感じていたからだ。


幾度ものループを重ねるうちに、私はようやく“本当のリリアナ”に追いつき始めていた。

ピアノの旋律は柔らかく、ヴァイオリンの弓はしなやかに、ダンスのステップは優雅さを増していく。


「素晴らしいです、リリアナ様」


アンナが微笑む。

その言葉に、私は胸を張って答えた。


「ありがとうございます、アンナ。

この成果をお父様にお見せするのが楽しみですわ」


鏡に映る自分を見て、思わず息を呑んだ。

そこに立っていたのは――かつて“アニメの中でしか見なかった”完璧な令嬢。


リリアナ・フォン・エーデルハルトそのものだった。

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