Ep.3

沈黙が数秒続いたあと、リリアナはふっと息を吐いた。


「……まあ、いいですわ」


すっと背筋を伸ばし、気を取り直すように軽い調子で言う。


「このあとのタスクが詰まっておりますので、あとで詳しく聞くことにしましょう」


彼女が指を軽く振ると、公爵軍らしき兵士たちが近づいてきた。

鎧の擦れる音が、やけに重く響く。


「捕らえなさい。この者は、私自ら尋問いたします」


――えっ!?


「ちょっ、ちょっと待っ――!!」


抗議の声を上げた瞬間には、もう両腕をがっしり掴まれていた。

信じられないくらいの力で、まったく身動きが取れない。


「ちょ、違うんだって! 僕は助けようとしただけで――!」


必死に言い訳しても、誰も聞いちゃいない。


……いや、なんで?

どうしてこうなった?

助けるつもりだったのに、なんで僕が捕まる流れになってるの!?


(ちょっと待って、これ……悪役令嬢ルートじゃなくて、僕が処刑ルートじゃない!?)


両腕をがっちり押さえられたまま、僕はずるずると王城の奥へ連行されていく。


兵士の手は冷たく、廊下の石床はやけに長く感じた。

背後では、まだ混乱の声が響いていた。



数時間後。


「……入れ」


兵士の低い声に促され、僕は重厚な扉をくぐった。


――どうして、こんなことになったんだ。


頭の中で、あの断罪の場面が何度もフラッシュバックする。

本来なら、リリアナはあの場で婚約を破棄されて終わるはずだった。


それがどうしてこうなった?

なんで僕が、捕虜みたいに連行されてるんだ?


部屋の中は静まり返っていた。

王子アレクシスの私室らしいが、その主の姿はない。

代わりに、部屋の中央にひとり――


「さて」


優雅に椅子に腰をかけ、紅茶を口にしている少女がいた。


金の髪。青い瞳。

あの悪役令嬢――リリアナ・フォン・エーデルハルト。


あの断罪の場から、王子を倒し、父の軍勢を率いて王都を制圧した“張本人”だ。


もう“悪役令嬢”なんて言葉では足りない。

この姿は――まるでラスボス。

王国を支配する黒幕。


彼女は静かにティーカップをソーサーに戻し、まるで最初からすべてを見通していたような余裕の笑みを浮かべた。


「改めてお聞きしますわ。先ほどの断罪の場……あなたは私を助けようとしていましたね?」


声は穏やかで、けれど探るような響きがあった。


「……はい」


僕は正直に頷いた。

嘘をついても通用しない――そんな気がした。


「どうして?」


彼女の瞳が、じっと僕を射抜く。

蒼玉のように輝くその目に見つめられ、息が詰まる。


どう答えるのが正解なのかわからない。

軽々しく言葉を出せば、取り返しのつかないことになる気がした。


僕が言い淀むと、リリアナは小さく笑った。

まるで、確信したとでもいうように。


「例えば……悪役令嬢が迎える破滅の運命を知っていたから――とか?」


心臓が跳ねた。


「あるいは、その未来を変えるために動こうとした……とか?」


その瞬間、僕の頭の中で警鐘が鳴る。

どうしてそれを……?

僕が隠してきた考えを、まるで読んでいたかのように。


「ど、どうして……そんなことを……」


リリアナは頬杖をつき、ゆるやかに口角を上げた。


「あなたの反応で確信しましたわ」


その顔に、嘲笑や冷たさはない。

ただ、純粋な好奇心だけが宿っているような、観察者の笑みだった。


僕の頭に、ひとつの考えが閃く。

まさか――そんな馬鹿な。

でも、それなら全部説明がつく。


「……あなたも、転生者なんですか」


その言葉に、リリアナの瞳が細くなった。

けれど、否定はしなかった。

むしろ、どこか楽しげに唇を歪める。


「そう。私は――日本から来た転生者ですわ」


空気が止まった気がした。


やっぱり。


この世界の中で、自分だけが異質な存在なんて、そんな都合のいい話はなかったんだ。

僕は観念して、深く息を吐く。


「……僕もです」


そう言って頷いた瞬間、肩の力が抜けた。

なんだか、ずっと張り詰めていた糸が切れたようだった。


リリアナは興味深そうに僕を見つめる。

その瞳はもう、断罪の場で見たものとは違っていた。

まるで――同胞を見るような目。


だから、僕も話すことにした。


自分がこの世界の「モブ」として転生したこと。

そして、リリアナを救おうと決めた理由を――。



リリアナは、ふっと柔らかく微笑んだまま、すっと背筋を伸ばした。

そのまま椅子に深く腰を下ろす仕草――それは優雅そのものだった。

けれど、その姿勢にはどこか“観察者”のような冷たい精密さがあって、僕は思わず息を飲んだ。


……まだ、実感が湧かない。


本当に、彼女が僕と同じ日本人だったなんて。

この完璧な立ち居振る舞いも、王子を一撃で倒す剣技も、北公軍を動かすほどの策略も――

どうやったら、そんなものを身につけられるんだ?


リリアナは、紅茶のカップを指先でくるりと回しながら僕を見つめていた。

その声は穏やかで、興味深そうに聞こえるのに、瞳の奥は何を考えているのかまったく読めない。


「この世界を何度も繰り返してきましたけれど……こんなことは初めて……」


……何度も、繰り返してきた?


あまりにもさらりと言ったが――それが意味するものはいったい何なんだ。


「……今回のように、私以外の転生者が現れたことは、一度もありませんでした」


(“今回”? “現れた”……?)


まるで僕が、この世界の“異物”として観測されたみたいな言い方だった。


「……そういえば、まだ聞いていませんでしたわね」


リリアナが唐突に話題を変えた。


「あなた、お名前は?」


「……モブロック」


一瞬ためらったが、こちらでの名前をそのまま口にした。


「僕の名前は、モブロックです」


リリアナは小さく頷き、微笑を深める。


「モブロック……モブくん、ですわね。憶えておきますわ」


その言い方が、なぜだろう――妙に怖かった。

言葉遣いは丁寧なのに、まるで名前を呼ばれた瞬間、掌の上で転がされているような気がした。


それから、彼女の質問が始まった。

まるで尋問のように、しかし一つひとつ丁寧に。


――いつ、どうやってこの世界に転生してきたのか。

――なにかきっかけはあったのか。

――そして、この世界でどう過ごしてきたのか。


すべて話し終えたあと、リリアナは少しだけ目を細めた。


「なるほど、私とはまた事情が異なるみたいですわね」


そう言って、彼女はゆっくりと背をもたれ、静かに瞼を閉じた。

沈黙が落ちる。

紅茶の香りだけが、部屋にふわりと漂う。


僕は意を決して、口を開いた。


「次は……君の話を聞かせてほしい。

この世界が“彼方の聖女”と違う展開になっている理由とか、

さっき言ってた“繰り返してきた”っていうのがどういう意味なのか」


リリアナは少しだけ、口元に笑みを浮かべる。


「いいでしょう。――では、話して差し上げますわ」


カップを静かにソーサーに戻す音が、やけに大きく響いた。

彼女はほんの少し姿勢を正し、青い瞳で僕を見据える。


「――私が、何度この世界で失敗し、そして殺されてきたのかを」

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