大鴉アカアサと森で暮らす —黒翼とのスローライフ—

桃神かぐら

第1話 黒い翼が降りてきた

 森の朝は、ゆっくりと始まる。

 風が先に目を覚まし、木々の葉を撫でていく。

 小川が小さくさざめき、土の匂いが少し濃くなる。


 遙馬は、山小屋の前に立って背伸びをした。

 身体の中の古い空気を吐き出し、新しい空気を取り込む。

 肺の奥が、森の匂いで満たされていく。


「……今日も、静かだな。」


 声に応えるものは何もいない。

 ただ、森が肯定するように、そよそよと葉の音が返ってくるだけだった。


 けれど、遙馬はそれでよかった。

 いや、それが良かった。


 都市の朝はいつだって忙しなく、どこか刺々しかった。

 人の気配、車の音、画面の光、締め切り。

 時間は常に「奪われていくもの」だった。


 ここにはそれがない。

 代わりにあるのは、余白と、呼吸。


「……さて。」


 遙馬が小屋の扉に手をかけた、そのときだ。


 影が落ちた。


 真上から。


 音はなかった。

 ただ、空気の重みだけが変わった。


 遙馬は反射的に顔を上げた。


「あ……」


 言葉が喉で止まる。


 黒い翼。


 それは、鳥だった。

 だが、ただのカラスではない。


 大きい。

 遙馬の胸の高さほどもある。

 翼を広げれば、大人を包めるほどの幅があるだろう。


 羽根は陽の光を受けて黒ではなく、深い藍に見えた。

 そして目だけが、朝の火のようにかすかに赤を帯びている。


 大鴉は、遙馬の視線を正面から受け止めていた。

 逃げもせず、威嚇もせず、ただ「いる」。


「……来客か?」


 口が勝手に動いた。


 返事はない。


 けれど、鳥は一度だけ、ゆっくりと瞬きをした。


 それは、野生では珍しい動きだ。

 攻撃も警戒もせず、自分を無防備に見せる瞬き。


 ——この鳥は、敵じゃない。


 そうわかってしまうほど、目が澄んでいた。


「アカアサ。」


 遙馬は、自然と名前を口にしていた。


 赤い朝。

 夜明けの色を宿した目の鳥。


 大鴉は小さく 「……カァ」 と鳴いた。


 名前を受け取った者の声だった。



「……腹、減ってるんだろ?」


 返事はない。

 ただ、喉が ころっ と鳴った。


 その素直さに、遙馬は思わず笑った。


「おいで。少しなら分ける。」


 小屋に火を起こし、スープを煮込む。

 野草の香りが湯気に混じって立ち上る。

 干し肉の旨味がゆっくり溶けていく。


 街では、食事はただの燃料だった。

 ここでは、生きている感覚になる。


 扉が、こん と軽く叩かれた。


 遙馬は笑いながら開ける。


「……待てって言っただろ。」


 アカアサは もふっ と羽を膨らませた。

 すねている。

でかい図体のくせに。


「よし、ちょっとだけな。」


 皿に盛って差し出す。


 アカアサは、まず遙馬を見た。

 その目はまっすぐで、迷いがなかった。


 遙馬は小さく頷く。

押しつけず、求めず、ただ肯定する。


「大丈夫だよ。ここには奪うやつはいない。」


 その言葉に対して——


 ちょん。


 アカアサは、ひと口かじった。


 次の瞬間、羽毛が ぱあっ とほどけるようにゆるんだ。


 まるで笑っているみたいだった。


 「コロル……!」


「……うまいか。」


 返事は嬉しい音だった。



 二人で外に出て食事をする。

 アカアサは ひょい ひょい と、少しずつ距離を詰めてくる。

 気づけば、遙馬の膝のそば。


「来れたな。」


 手を伸ばす。


 アカアサは目を閉じた。


 触れてほしい。

 信じている。

 そういう目だった。


 羽根は柔らかくて、あたたかかった。


「……おまえ、優しいな。」


 アカアサは羽の先で、遙馬の肩にそっと触れた。


 ここにいるよ。


 その一瞬で、胸の奥があたたかくなる。



 午後。

 畑作り。


 遙馬が鍬を振るたびに、アカアサは翼でふわりと風を送り、

 土をめくる手伝いをする。


「めっちゃ有能じゃないかお前……」


 「カァッ!」

 誇らしげ。


「かわいいかよ……」



 沢での水飲み。

 アカアサは びしゃっ と派手に顔を濡らす。


「いや下手か!」


 「カァ!?」(否定!)


 手ですくってやると、

 アカアサは手のひらから水を飲んだ。


 世界一素直だった。



 夕暮れ、焚き火。

 空は橙、風は冷たい。


 遙馬はふっと言葉をこぼした。


「俺さ、前は頑張らなきゃいけない場所にいたんだ。」


 アカアサは聞いている。

 ただ寄り添って聞いている。


「頑張れなくなったらさ、誰も怒らなかった。

 ……代わりに、失望した目を向けられたよ。」


 火がはぜた。


 アカアサは、そっと隣に座り、

 遙馬の背に羽を重ねた。


 そこに言葉はいらなかった。



 夜。

 アカアサは布団の隣に座り、

 遙馬の胸のあたりにそっと頭を寄せて眠った。


 呼吸が重なる。

 寂しさは、ゆっくりと溶けた。


「おやすみ、アカアサ。」


 「……コロ……」


 その小さな返事は、

 今日を肯定する音だった。


 朝は、静かな光とともにやってきた。


 まだ陽が薄い。

 空の青は深く、森は濡れたような影の色をしている。

 鳥の声は遠く、風は眠たそうに枝を揺らしていた。


 遙馬が目を覚ましたのは、胸の上にぽすっと柔らかい重さが乗ったからだった。


「……ん?」


 視界がぼやける。

 意識が上がる。

 そして目に入ったのは——


 黒い羽根が、胸にふわっと広がっている光景。


「お前……寝るとき近いな……?」


 「カァ……」


 ねむそうな声。

 半分夢の中の甘え声。


 そう、アカアサは。

 朝は、胸の上に乗って起こすタイプだった。


「重いけど……別に嫌じゃないけど……」


 遙馬が起き上がろうとすると、アカアサは ずずっ と滑るように身体を寄せた。

 顔——くちばしの根元あたり——を、遙馬の首もとにすりっと押しつける。


 それは、犬でも猫でもなく。

 鳥のくせに、妙に“抱きしめ方”を知っている仕草。


「……はいはい。起きるから。おはよう。」


 遙馬がそっと頭を撫でると、


 「コロル……」


 とろけたみたいな声が返ってきた。


 今日の朝は、それで始まる。



 外に出ると、森は露でキラキラしていた。

 小屋の前の風景は、昨日と同じはずなのに、今日は少しだけやわらかく見えた。


 人と、一羽で見る景色は、ちがって見えるものだ。


「よし……朝飯にするか。」


 焚き火を起こす。

 火は、よく乾いた枝から燃え始める。


 パチ……パチ……と、火の音は小さな心臓みたいに一定だった。


 アカアサは、火の前にどしんと座る。

 近すぎない。

 でも離れない。


 それはもう、そこが「自分の場所」だと言っているのと同じだった。


 遙馬は木の器に入れたスープをかきまぜながら言う。


「俺、さ。昨日、久しぶりに笑ったわ。」


 ひとりごとじゃない。

 アカアサに向けて言っている。


 言葉は重くない。

 でも、本音だった。


 アカアサは、焚き火に温められた風をくぐりながら、

 丸い瞳で遙馬を見て、ゆっくり瞬きをした。


 それは、“わかってる”という返事の瞬き。



 食事のあと、遙馬は畑に行く。


 昨日耕した土は、朝露でしっとりしている。

 ここに種を撒けば、いつか芽が出るだろう。


「なぁ、アカアサ。」


 声をかけると、隣に来る。

 胸を張って、偉そうに。


「今日からここ、二人の場所な。」


 言葉に、根拠はない。

 でも、この森には、そういうことを許す余白があった。


 アカアサは、ふわっと羽を広げて——

 そのままそっと遙馬の背に影を落とす。


 それは、

 まるで “背中に屋根を作る” みたいな仕草だった。


 陽射しから守るみたいに。

寄り添うみたいに。


「……ありがとう。」


 その言葉は、

 もう、弱さではなくなっていた。



 森の中で暮らすというのは、

 不便で、ゆっくりで、手間がかかる。


 でも——


 その全部が「生きてる」ことだった。


 火を起こして、飯を炊いて、畑を耕して、汗を流す。

 風が吹けば空を見る。

 静けさが降りれば眠る。


 都市では、忘れていた生き方だった。


 遙馬は気づく。


 昨日と同じはずの空気が、

 今日は少しだけ甘い。


 昨日と同じはずの心が、

 今日は少しだけ軽い。


 そして、


 昨日と同じはずの世界に、

 アカアサがいる。


 それだけで、生きていて良いと思える。


「……さて。今日は森の奥まで散歩するか。」


 言うと、アカアサは——


 バサァッ!


 翼を大きく広げて、


 「カァッ!!」(行く!!)


 と、誇らしげに鳴いた。


 笑ってしまうほど、嬉しそうだった。


 遙馬も笑った。


 昨日より、ずっと自然に。


 森の奥へ向かう道は、踏みならされていなかった。

 誰も通らない獣道。

 草は濡れていて、土はやわらかい。


 遙馬は長靴の先で、そっと草を分けるように進む。

 足音は吸い込まれ、森の中は静かだった。


 アカアサは、遙馬の少し前を歩く。

 大きな体なのに、音を立てない。

 羽根の間を抜ける風の音だけが、ふわりと聞こえた。


「お前……歩くの、上品だな。」


 「カァッ(当然)」

 とでも言いたげに振り向く。


「いや、自信満々かよ……かわいいやつだな。」


 アカアサはわかりやすく、羽根をもふっとふくらませた。

 照れていた。



 森の奥には、光が落ちる場所があった。


 木々の間がぽっかり空いて、

 そこだけ、昼の光が湖面みたいに揺れている空間。


 草は短く、苔がやわらかい。

 小さな白い花が、あちこちに咲いていた。


「……きれいだ。」


 遙馬は思わず立ち止まる。


 都市では、きれいなものを見るときはだいたい

 「誰かに見せるため」

 「写真にするため」

 「共有するため」

 だった。


 でも今はちがう。


 自分の目で見て、

 自分の心で受け取る。


 ただそれだけで十分だった。


 アカアサは花の近くに降り立つ。

 大きな鳥のくせに、踏まないようにそっと羽を畳む。


 その優しさに、胸がじんとした。


「なぁ、アカアサ。」


 声は自然にこぼれた。


「俺さ。ここに来てやっと、

 “息を吸ってもいいんだ”って思えた。」


 アカアサは振り返り、

 そのまま遙馬の胸に、そっと頭を寄せた。


 くちばしではなく、額で。

 鳥としての“なでられたい”の仕草。


 遙馬は、胸の奥がふわりとあたたかくなるのを感じた。


「……ありがとう。」


 言葉は軽く。

 でも、確かだった。



 その帰り道だった。


 アカアサがぴたりと立ち止まる。

 遙馬も足を止める。


「どうした……?」


 アカアサは耳を澄ませるように、わずかに首を傾げた。

 そして、森の奥へ向かって一度だけ鳴いた。


 「……カァ。」


 それは警戒でも威嚇でもない。

 ただ、**“気配を感じた”**という合図。


 遙馬は息を呑み、周囲を見渡す。


 しかし——何もいない。


 ただ、森の空気が一秒だけ沈んだ。


 すぐに、何事もなかったように風が吹き、葉が揺れた。


 遙馬は小さく笑った。


「……まぁ、森だもんな。何かいても不思議じゃない。」


 アカアサは、遙馬の袖をくちばしでつつっと引いた。


 帰ろう、という合図。


「おう。帰るか。」


 二人は森をゆっくり戻った。


 午後の陽は、少し傾いていた。

 畑から戻った遙馬は、斧を肩にかけたまま、薪置き場の前で立ち止まる。


 薪割りは、考えごとをしない時間にちょうどいい。

 手を動かし、体を使い、呼吸を合わせる。

 頭を空にするのに向いている作業だ。


「よし……今日の分だけでも。」


 遙馬が斧を振りかぶると、

 アカアサは隣にどすんっと座った。


 まるで、


 「見てる。」

 「ちゃんとそばにいる。」


 と、言っているみたいに。


「監督か?」


 声に、アカアサはふわっと胸元の羽毛を膨らませる。

 得意げ。完全に得意げ。


 遙馬は笑って、斧を下ろした。


 ぱんっ。


 乾いた音が、森に心地よく響いた。


 薪が割れる音は、なぜだか胸にすっと通る。

 無駄なことが削ぎ落とされていく音だ。


 しばらくそうしていると、アカアサが突然立ち上がり、

 薪の欠片をくちばしでつまんで運び始めた。


「……おまえ、手伝う気あるんだな……?」


 アカアサは一度だけ、

 **「カッ」**と短く鳴いた。


 誇らしげに胸をはる。


「いや……うん……かわいすぎるだろ……」


 遙馬は思った。

 この鳥は、ただの野生ではない。


 理解し、考え、選んでいる。


 **「一緒にやりたい」**という意思がある。


 そのことが、胸にすとんと落ちた。



 薪を運び終えたあと、

 二人は一度小屋の裏手に回った。


 そこには、苔に覆われた岩と、細い小川が流れている。

 水は冷たく、澄んでいた。


 遙馬が手を浸すと、

 指先の熱が吸い取られていく。


「つめた……でも気持ちいいな。」


 アカアサもやってきて、

 ちゃぷっと水をつつく。


 が、次の瞬間——


 べしゃっ!


 顔を直接突っ込んだ。


「いや毎回ダイナミックだなお前!?」


 「カアア!?」(驚いた自分に驚いてる声)


 水がぼたぼたと羽毛から落ちる。

 黒い体が、しおれた毛玉みたいになっていた。


「こい、拭くから。」


 遙馬は布を持ってきて、

 アカアサの頭からそっと水気を取る。


 羽根は思っていたよりも細かい。

 指を通すと、柔らかい層が何重にも重なっているのがわかる。


 アカアサは、最初は少しこわばっていたが——


 次第に、目を細めはじめた。


 とても、安心した生き物の目。


「……そうか。触られるの、好きなんだな。」


 その言葉に、アカアサは

 そろりと額を遙馬の胸に押しつけた。


 そこにいていい。

 触れていていい。

 この距離は怖くない。


 そんな温度。


 遙馬は、小さく息を吸った。


「……大丈夫だよ。俺も、だ。」


 風がそよぎ、木々が笑うように揺れた。



 小屋へ戻る途中、

 遙馬はふと空を見上げた。


 木々の隙間から見える空は、

 高く、青く、どこまでも広がっていた。


 昨日まで、

 世界は「苦しい場所」だった。


 今日、

 世界は「呼吸していい場所」になりつつあった。


 変えたのは森ではない。

 状況でもない。

 誰かの言葉でもない。


 ただ——


 隣に、失わない存在ができた。


 それだけだった。


「帰ろう、アカアサ。」


 「カァ。」


 二人分の足音と羽音が、

 森にやわらかく溶けていった。



 小屋には、夕暮れが差し込んでいた。

 オレンジ色の光は柔らかく、長い影を作っている。


 スープを温め、パンを焼く。

 火の前に座り、二人で食事をする。


 アカアサは、遙馬の肩にそっと羽を寄せた。


 寄り添うでもなく、依存でもなく——

 ただ、そこにいる。


 遙馬は目を閉じた。


「……なんだろな。

 ここなら、生きてていい気がする。」


 アカアサは声を出さず、ただ呼吸で答えた。


 **あたたかい。


 この世界は、思っていたより優しかった。**



 夜。

 遙馬は布団に入り、アカアサはその隣に丸くなった。


 風が、屋根をやわらかく叩く。


「おやすみ、アカアサ。」


 「……コロ……」


 返事は、眠りへ落ちる音。


 今日も、生きられた。

 それだけで、十分だった。


 夜は、森を静かに包んでいた。


 焚き火はもう小さくなり、

 橙色の炎は、最後の役目を果たすようにぱち……と揺れている。


 アカアサは遙馬の隣に座り、

 火に照らされた黒い羽根は、どこか赤みを帯びて見えた。


 その色は、

 初めて出会ったときに感じた“赤い朝”を思い出させた。


「……なぁ。」


 遙馬は、火に向けた視線のまま、声をこぼす。


「おれ、街を出てくるとき、何も持ってこなかったんだ。」


 火が、ひとつ息を吐くように揺れる。


「仕事も家も、友達も。

 ……いや、友達はいたのかすら、もうわかんねぇな。」


 アカアサは、ただ聞いていた。

 息づかいすら静かに。


「勝手に壊れたのは俺の方で。

 でも、壊れたまま続けたらさ……

 なんか、自分がどっかに消えてく感じがして。」


 小さな灰が、ふわりと火の上に舞い上がる。

 遙馬はそれを目で追う。


「誰も悪くないのに、苦しくてさ。」


 その言葉は、弱音ではなかった。

 ただ、事実だった。


 アカアサは、ほんの少しだけ身体を動かした。


 黒い大きな翼が、

 そっと遙馬の背に触れる。


 覆うのではなく、

 押しつけるのでもなく、

 ただ寄り添う形で。


 ここにいるよ。


 その温度が、

 言葉よりも早く胸の奥に届く。


 遙馬は目を閉じた。


「……ありがとう。」


 その一言は、

 今日一日の中で、いちばん静かで、いちばん強い言葉だった。



 火を消し、遙馬は小屋に戻る。


 簡素な寝床。

 毛布は薄い。

 けれど、冷たくはなかった。


 アカアサは、遙馬が横になるのを見届けると、

 当然のように、その隣に丸くなった。


 大きな鳥なのに、

 眠るときは不思議なほど小さく見える。


「……お前さ。」


 毛布から顔だけ出して遙馬が言う。


「名前、呼ばれるの好きだろ。」


 アカアサは、目を細くして、

 ほんの小さな声で返した。


 「……コロ。」


 肯定の音。


「そっか。じゃあ……」


 遙馬はそっと、指先でアカアサの額に触れた。


「おやすみ、アカアサ。」


 今度は、迷いも照れもなく言えた。


 アカアサは、ゆっくり瞬きしたあと、

 遙馬の肩にとんと頭を寄せる。


 そして——


 「……カァ。」


 それは、「ここにいる」という返事の声。


 小屋の天井に、柔らかい静けさが降りてくる。


 寝息と寝息が重なる。

 呼吸と呼吸が寄り添う。

 それだけで、夜は深く、やさしくなる。


 外では、風が木々をなでていく。


 森は眠り、

 世界は静かで、

 夜はただ、やわらかかった。



 遙馬は眠りに落ちる直前、思った。


 ——今日は、生きててよかった。


 そう思える夜が、

 自分にまた来るなんて、昔は思わなかった。


 でも、今は。


 ここにいる。

 この森で。

 アカアサと。


 その事実だけが、

 胸の奥の空洞を、少しずつ満たしていく。


 明日はきっと、今日より少しあたたかい。



第1話 完


誰かと食べるスープは、あたたかい。

名前を呼び、名前を返される世界は、優しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る