解体者の初恋
古井雅
序章
バラバラさんのうわさ
「ねぇ、“バラバラ”さんって、知ってる?」
日本一の名門と呼ばれている白神高等学校のクラスの一角で、そんな会話が囁かれた。
普段は生真面目に整えて勉学に励む生徒たち。
そんな普段の空気とは異なる会話は、多くの生徒の記憶に留まるものである。
バラバラさん。
まるで子どもが考えたような幼稚な響きだ。
そんな風に思考の糸を掠めたのは、クラスの片隅で本を読んでいた
なんの気なしに耳に触れた「バラバラさん」という話。
妙に気にかかったのは、単純にその時の気分であるという他ない。
だからか光は、無意識に話が聞こえてきた方向へ顔を向けた。
そこには、クラスの中でも比較的派手な雰囲気の女子生徒たちがいる。
女子生徒とは最低限しか話したことはないものの、普段そのような話をするタイプでないことは確かだった。
そんな彼女らが話しているものは、所謂「オカルト話」であろう。
「えー? なにそれ」
「最近有名なんだって。噂話をしたところにやってくるの。
その“バラバラさん”がね」
「気持ち悪っ。てか、“バラバラさん”って何なの? 何かを、バラバラにするってこと?」
光は話している女子生徒と同じことを思っていた。
「バラバラさん」という、明らかに穏やかではない内容。
オカルト話と呼ぶに納得できるほど曖昧なものに、思わず好奇心から耳を欹ててしまう。
「もちろん、人を、なんだって」
女子生徒は少しばかり言葉を選ぶような間を置いて、そう話した。
人をバラバラにする。
まるで一昔前の怖い話。
光は話を聞きつつも、興をそがれるように手元の本に視線を向けた。
しかし、話はさらに続いていく。
「え……なにそれ。ちょっと怖くない?」
「だから有名になってるんだって。
本当に、それで人がバラバラになったかもしれないから」
光はその話に、再び意識を引き戻される。
実際に人がバラバラになったかもしれない。
恐ろしげな話題に対して、過去そんな噂話が流れたことがある。
小学校の時の話だった。
自分たちが生まれるよりももっと昔、一九九〇年代に起きた未解決のバラバラ殺人事件。
今なお語り継がれるその事件は、ネットで検索すれば闇の深い事件として出てくるほどだ。
解決しない事件というものは、往々にして人の記憶に強く留まるもの。
そこから関連深い事件が起これば、尚のことだ。
似たようなバラバラ殺人事件が起こる度に、周りではなにかしらの噂が囁かれる。
呼び方は多数であるが、「バラバラさん」なんて安易な名前になったのは微笑ましさすらあるだろう。
内心でその話を一笑に付していた光は、視線を右往左往していることがバレないように瞳を閉じる。
しかし、恐ろしい話はここからだった。
「ほらこの間、あったじゃない? 違うクラスの子の足が、事故で切断になったって」
「あぁ、あの子だ。久島君だっけ? サッカー部の子」
「そうそう、あれ自体は不幸な事故だったらしいんだけど、久島君だったらしいよ。
“バラバラさん”のこと話し始めたのって」
「そんなことある?
久島君、こんな子どもっぽいこと話すタイプじゃないのに」
「まぁ分からないけど、そういうところ含めて、なんか気持ち悪くない?
本当に話したら来ちゃって、広がっていくみたいでさ。
そんなこと話すタイプじゃない子が急に話し始めて、結果的にそうなるなんて」
周囲に気を使って小声で話をしているが、距離が近い光には話が聞こえてしまう。
光はあまり周囲と関わりを持つタイプではない。
それでも久島のことは、幼馴染の親友である中村千尋(なかむら ちひろ)を介して耳に入っている。
話に出てきた久島君こと、
その事故は、ガードレールに衝突した車から飛んできた破片が、左足首に当たってしまうというものだった。
もちろん、普通の交通事故でもそのようなことが起きることはあるだろう。
しかし彼の怪我は不自然な部分があった。
飛んできた破片が丁度良く左足首に直撃し、まるで鋭利な刃物で一気に切断されていたらしい。
不幸中の幸いと表現して良いのか、久島は左足首以外の怪我はなく、その代償として完全に左足を失った。
その事実が、「バラバラさんに左足を持っていかれた」という噂になったことは言うまでもない。
当然だが、あからさまにそんなことを言う人間は少ないだろう。
光も、漠然と「そんな話がある」という程度の理解しかなかった。
どうやらそのことが語られているのはネットのようであり、匿名性がギリギリ保たれた状態で、暗号会話のようにこの手の話がなされているらしい。
不自然な事件と、バラバラさんというオカルティックな話。
学生が勉強の隙間に嗜むには、確かにちょうどよい内容かもしれない。
光だって、今まさにその話を聞いて話半分に時間を貪っているのだ。
ただ、不思議なことに今日は、こんな子供騙しの噂話が妙に耳に残る。
話そのものはそこで終わったというのに、光は一日中、漠然と頭にその話が木霊していた。
バラバラさんの噂を聞いた人のところに、やってくる。
ぼんやりとそんなことが、脳溝に張り付いて止まない。
とぼとぼと帰路につく中で、光の肩を掴んだのは、親友の千尋である。
「
「千尋……」
「なんか妙にしょぼついた背中だけど、なんかあったのか?」
「んー……そういうわけでもないんだけどね」
光は煮えきらないまま、しかし抱いた感情を吐露することもできず、千尋とともに家路につく。
二人っきりで、あぁでもないこうでもないと、他愛のない話をしているうちに自宅に到着した。
自宅は家屋を挟んで三軒隣の家だ。
お互いに一軒家であり、子どもの時からお互いの家に入り浸っている。
千尋は、光のことを完全に家の中に入るまで見送って、更に奥にある自宅へ帰るのが日課だった。
「おい、大丈夫か?」
光の家に到着するや否や、千尋はその裾を掴む。
その視線の先には、カーポートに停車している黒い外車へ向いていた。
「大丈夫。父さんが帰ってきているんだと思う」
「だからそれのことを言ってんだよ。
今日、泊まっていかないか? 俺の家、親いないし」
「ん……いや、遠慮しとく。久々に顔も、見たいと思うしさ」
複雑な表情を浮かべている光は、貼り付けたような笑顔を千尋に返した。
その態度に黙殺された千尋は、暗がりの扉へ消えていく光に向かって、力なく手を振ることしかできなかった。
自宅に帰ってきた光は、すぐに響いてくる沢山の怒号に思わず耳を塞ぐ。
もう、高校生にもなるというのに、この感覚は未だに慣れないものがあった。
今は比較的落ち着いているが、両親の喧嘩は常に絶えない。
特に母親の情緒の不安定さは、息子でも心配になるほどだ。
些細なことで父親や光を怒鳴りつけ、事あるごとに手を上げられたことを、今でも昨日のように感じられる。
そんな母に、父親も物を投げるなどして当たり散らす日々。
唯一幸いなのは、父親は単身赴任で家にいる時間が少ないことだろう。
こうなればとっとと別れてくれれば良いのにとも思うのだが、何故か両親は別れることなく喧嘩を繰り返す。
「子どもがいるから離婚はできない」
「せっかく名門学校に通っているんだから世間体がある」
「会社にもなんて言えばいい?」
呼び起こされる記憶は碌なものではないというのに、光はその理由に甘えることしかできなかった。
両親は、自分が幼い頃より、自分のことなど見ていない。
その事実に気づいていた。しかし強烈な愛着への渇望が、痛々しい家庭へ光を執着させる。
まるでお互いがお互いの役柄を演じるような生活。
だと言うのに、光はそこから離れようと思えなかった。
自分たちが頑張れば、いつか両親は自分のことを愛してくれるのではないか。
そんな呆れるほどの希望的観測が頭の中にある。
ただ、その一方で願ってしまうことがある。
いっそ全て、なくなってしまえばよいのに、と。
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